<「外」が怖い?>
バリにいる間、ひとりの時間に、
ぼんやりといろんなことを考えていた。
ぼんやり考えていたことだから、
そのまま忘れてしまってもいいのかもしれないけれど、
せっかくだから、「ほぼ日手帳」にメモしておいた。
しばらくは、そういうメモから、
この『ダーリンコラム』を書いたりできる。
これは、とても助かるなぁと思った。
バリにいる間は、室内にいるのがもったいない。
なにかと本や飲み物を持って外に出たがる。
これまでも、いつもそうだったし、
今回の旅でもそうだった。
プールサイドのパラソルの下や、
四阿(あずまや)の小さな日陰で、
外の景色の一部になったようなつもりで、時間を過ごす。
冷房の効いた室内のほうが、居心地がいいはずなのに、
ひたいに汗をにじませながら外にいたがる。
空気のいい場所に行くと、人は深呼吸をしたりするけれど、
あれは、ふだん暮らしているところが、
深呼吸したいほどには空気がきれいでないのだ、きっと。
ぼくは、そのきれいな空気だけでなく、
きれいな「外」に飢えているのかもしれないと思った。
「ああ、そういえば」、と空を見ながら思うのだった。
東京の「外」には、知らない人がたくさんいて、
その知らない人たちは、自分に親しい人だとはかぎらない。
東京の「外」には、たくさんのクルマが走っていて、
その一台一台が、あたりまえのように、
深呼吸したくないような排気ガスを出している。
騒音とも言える音も出している。
雨が降った後のクルマの汚れから類推すると、
思いきって吸い込みたいような空気は、
都会の「外」にはないようだ。
逆に、東京にいるときの「内」には、
空気清浄機や、暖冷房の装置があって、
「外」のキレイでない空気を遮断しさえすれば、
快適な生活を送れるような仕組みがある。
いつもいる都会では、「外」は危なくて汚いもので、
「内」は安全できれいということになっている。
実際に、なにかの数値を計ってみて、
「内」が安全で「外」が危ない
なんてことが言えるかどうか、
それはわからないのだけれど、
ばくぜんと、そういうイメージで
「内」と「外」を考えているようだ、自分は。
ふだん、「外」と親しみを持って暮らしてないぶんだけ、
たまに、安全で安心でやさしい「外」に出合うと、
うれしくて甘えたくなってしまうのだろう。
太古の昔なら、「外」はきっと
親密とも言えないものだったろう。
あるときは親密で安全であり、
あるときは危険な脅威であるような、
きっとそんなふうなものだったのだと想像できる。
「内」という安全な場所を確保できること自体が、
簡単じゃなかったのだろう。
本で「洞穴に住んでいた」とか読んでるぶんには、
「ああ、そうですか」ですむけれど、
その洞穴を、探し出したのか、掘り出したのか、
他の人々から譲り受けたのか、奪い取ったのか、
ただただ自然に洞穴ひとつだってありゃぁしないものね。
落語の世界にいる町人たちにとっての、
「外」と「内」というのは、実にあいまいで。
縁台で夕涼み、なんてことでは、
その縁台のある場所は「外」なのだけれど、
そこで涼んでいる人は、「内」としてふるまっている。
縁側で茶飲み話をする、とかいう場合の縁側というやつも、
「外」の風や光のそのまま当たる「内」のような場所だ。
ここらあたりの「内」と「外」の
自由に行き来できる感じは、
なんとも幸せな関係のように思えるのだ。
ぼくがバリのホテルで、
受け止めたがっていた「外」というものと、
こんな落語の世界の「外」のイメージとは、
かなり近しいもののような気がしている。
だが、懐古趣味のように思われるかもしれないけれど、
ぼくの幼少のころの環境というのは、
けっこう「外」と「内」とがあいまいな、
親しい関係にあった。
ま、それだけ空気もきれいだったとか、
クルマが少なかったんだ、ということもあるけれど、
家が安普請で、紙や薄い板一枚はさんで、
すぐに「外」であるような状態だったとも言える。
だいたい、カギをかけて「外」に出るなんてこと、
ほとんどしてなかったと思うもの。
つまり、それは盗まれるものもない、という
貧しさの表現でもあるわけだし、
顔の知らない人が近くを通りがかることも、
けっこう多くなかったということでもあるわけだしね。
(近所に、夜の風呂上がり、全裸で道路にでてくる
おじいさんがいたんだぜ、それだけは、
コドモゴコロにあんまりじゃないか、と思ってたけどね)
いつか、どこかからか、
「外」は危ない、「内」は安心、というようなイメージが、
ぼく自身のなかにも、くっきりしてきたのだろうな?
「鬼は外、福は内」の昔から、そういうことはあるだろう、
とも言えるけれど、
もっと肉体が深呼吸を避けるような
「汚染された外」のイメージは、
いつごろからなのだろう、と考えてみたわけさ。
ぼくが大学を中退したというか、行かなくなったころ、
「光化学スモッグ」で小学生に被害がでる、
というニュースがあった。
青梅街道と環七の交差点近くの小学校だった。
ぼく自身が、そのへんに住んでいた。
雨戸まで閉め切って昼も夜もない暮らしをしていたが、
その日には、外にパチンコかなんかしにいって、
たぶん、光化学スモッグを吸ったんだろうね、
歩いているうちに気分が悪くなったのだった。
翌日の新聞を見て、
「おお、流行の最先端だったんだ、オレ」と思った。
この出来事は、自分と「外」との親しさに亀裂を入れた。
空気が毒である、というイメージは、
およそ考えられるなかでも、最悪の環境だ。
後に、オウムの連中がサリンをまいた事件もあったけれど、
あれは「外」の怖さを徹底的に誇張するような表現だった。
たぶん、空気が毒、というイメージのおおもとには、
放射能で汚染された「核戦争後の世界」という、
近未来小説的な想像がある。
いちばんイヤなことだけに、ずんと心に沈殿して
消し去りにくいのだろう。
近未来の「外」が危険のかたまりであるような世界の、
予告編のように現在がある、というような、
かなりヒステリックなイメージで、
いま、ぼくらは「外」を見ているような気がしてならない。
実は、バリまで行かなくたって、
思い切り吸い込みたい空気は、いくらでもあるし、
「内」だってハウスダストのたまり場なんだし、
ぼくがなんとなくのイメージでとらえているほど、
「外」はひどくないんじゃない? と、
少し考えを変えたほうがいいような気がしている。
北京の朝の、太極拳をする人々とか、
代々木公園あたりの、都会のまんなかの緑とか、
それなりの「外」との交際の仕方は、あるよねぇ。
都会のごく狭い部分が、
いくらゴミゴミしていて汚く見えるからって、
「外」を過剰におとしめちゃいけないと思った。
港区の屋上で、あじの干物をつくったっていいし、
皇居の周囲をジョギングしている人たちが、
汚い空気で健康を害するんじゃないか、
というようなことも、心配しすぎないようにしよう。
‥‥なんてことをね、バリで、
リクライニング式のデッキチェアに横たわりながら、
考えていたのでした。
「お外あそび」って、こどもの遊びの基本だもんね。
インターネットから目を離そう、
外にでてきれいとも言えない空気を吸い込もう!
(えー、「ほぼ日」からのメッセージでした) |