ITOI
ダーリンコラム

<ブラックマジック・ホワイトマジック>

ずいぶん前のことだったけれど、
友人の仕事仲間のよっちゃんが、
ロケでバリ島に行って、
地元の人を怒らせるようなことをしたのだという。
よっちゃんは、人のいいやつではあったけれど、
なかなかトンマなことをやらかすことが多いから、
コトバの通じない国の人を怒らせることは、
おおいにあり得ると思った。

よっちゃんが怒らせたバリ島の人は、
ふだんは他の仕事をしているけれど、呪術師でもあった。
バリには、そういう人がたくさんいるのだという。
ふだんは他の仕事をしている呪術師の人は、
よっちゃんにブラックマジックをかけたという。
「おれの耳に、ふうって。息みたいなのをかけたんです」
息みたいなのって、息以外になんなんだ?
「いや、息です。ふうって、耳に息をかけるんです」
ただそれだけかい?
「すっごく怖い顔をして。
 ブラックマジックをかけてやるって、言ったんです」
んで、耳にふうって、かい?
「怖かったですよーーーっ」
でも、息をかけられただけなんだろ?
「ホワイトマジックもあるらしいんですけどね。
 ほんとに危ないことになったら、
 ホワイトマジックで治してもらうらしいです。
 通訳の人も、すっごく怖がってました」
でも、耳にふうって、だけだろう?
耳にふう、で、うっふんって声あげた?
「ほんとに、怖かったんですよ。まじで」
うっふんなんてもんじゃなかったらしい。
よっちゃんは、明るい性格の人間だったけれど、
明らかにブラックマジックを怖れていた。

その後、よっちゃんが死んだという話もなかったし、
大きな事故にあったという噂もなかったので、
ブラックマジックのことなんか、忘れていた。

ところが、いまごろになって、
そのことを思い出したのだ。
よっちゃん、耳にふうってやられた直後こそ、
なんでもなかったようだけれど、
その後の彼の歩んだ道は、
かなりブラックなことになっていたと言えるのだ。
ひょっとしたら、あれは、ブラックマジックのせい
だったのかもしれない、と、
いまさら、想像してみたのだった。

いまごろになって、
ああそうか、と思えるようになったのだ。

「憎しみの気持ちをこめ、怖い顔をして耳に息をかける。
 おまえを不幸にしてやる、と捨てぜりふをぶつける」
ブラックマジックをかけるほうの人は、
以上のことをするだけでいいわけだ。

しかし、かけられた側は、憶えているのだ。
どんなに忘れっぽい人でも、少しは憶えているだろう。
そうすると、なにかいいことがあったり、
わるいことがあったりするたびに、
かけられたマジックについて思い出すことになる。
たとえば、誕生日のお祝いをしてもらうとき、
みんなが心からおめでとうと言ってくれている。
うれしいなぁ、と思えば思うほど、
その反作用のように、
「何か起こらなければいいが‥‥」と不安が混じる。
そしたら、気持ちのいい笑顔が消えてしまうかもしれない。
パーティが終わってひとりになってから、
その不安と向き合うことになったりするかもしれない。
妙にともだちの表情が気になって、
不信感を抱いてしまうなんてこともないともいえない。
幸福感や達成感を感じているときには、
そんなふうに反作用的な暗い気持ちに襲われる。
さらに、事実、ちょっとでも
ネガティブなことがあったときには、
「いつまでも、こういう悪いことが、
 連続するのではないか」と心配になる。

そんなに長い説明が要るわけでもない。
つまり、ブラックマジックをかけられた人は、
生きることのなかに過剰な不安が混じってしまうのだ。

不安のない生き方など、あるはずはない。
しかし、その不安のみなもとがどこらにあるのか、
それを解決する方法があるのかないのか、
その不安から逃げるのか、立ち向かうのか‥‥
自分の理解の範囲で、ある態度をとることができる。
しかし、相手が「魔術」だとなったら、
対決する方法も、回避する道も、わからないではないか。
それが、ブラックマジックによる不安の、
「過剰さ」というものなのだと思うのだ。

過剰な不安を持った人が生きていくのは、難しい。
必要以上に慎重になる必要もあるだろうし、
他人を簡単に信用したら、
もっとひどいことになるかもしれないから、
疑心暗鬼にならざるを得ない。
つまり、臆したり、疑ったりしながら、
生活しなくてはいけないということになる。
また、そういう毎日はストレスがたまるから、
人並み以上に疲れることだろう。
ストレスを感じ続けていることには耐えられないから、
ときには、反社会的なまでの爆発をして、
バランスをとるようになるかもしれない。
すなわち、やけっぱちな行動だ。

「おどおどし、信じず、新しいことをせず、
 疲れ、ときには爆発する」というような人間が、
他の人間との関係で、うまくやっていくのは
そうとうに困難だろう。
かくして、ブラックマジックは成功。というわけだ。

この黒魔術をかけた人は、一度だけ、
「憎しみの気持ちをこめ、怖い顔をして耳に息をかける。
 おまえを不幸にしてやる、と捨てぜりふをぶつける」
だけでよかったのだ。
あえて、さらに効きをよくするためには、
「彼の魔術は効いた」という伝説や評判をたてる。
アフターサービス的に、かけられた人に、
「効いているぞ、ひっひっひ」というふうな
ブラックマジックを思い起こさせることをする。
などという方法があるかもしれない。

しかし、よくよく考えると、
ブラックマジックをかけているのは、
実はかけられている本人なのだ。

いま現在のよっちゃんが、どうしているのか。
ぼくはよく知らないのだけれど、
もうそろそろすっかり元気になっているような気もする。
ブラックマジックにも、有効期限がありそうだから。

それにしても、世の中、ブラックマジックに満ちている。
「あなた死ぬわよ」と、怖い顔して宣う占い師も、
「その方法では、うまくいかない」と、
過剰に騒ぎ立てるビジネス書も、
勉強しないと幸せになれないと叱る家族も、
思えば、みんなブラックマジックかもしれない。

やたらに「ポジティブシンキングいたしましょう」
と煽る必要はないと思うけれど、
「それはダメだ」という無数の忠告を聞くよりも、
「これはいいぞ」という
たったひとつのヒントをもらうほうが、
人は能力を発揮できるものであるらしい。

この文章を書こうと思ったとき、
最後にいじわるな付録をつけようと考えていた。

「ブラックマジックを試す」と、記して、
リンクを張る。
リンクの先には、以下のような文章がある。
「不幸がいま、あなたにとりついた。
 何をしても、もう、うまくはいかない。
 不幸があなたのまぶたの裏に張り付いた。
 不幸があなたの内臓にしみこんだ」
というような‥‥。
で、これを解くには、一週間後にまたおいで、
ということで、
「ホワイトマジックを試す」と書き直しておくわけ。
そこからのリンク先には、
「ブラックマジックの試練をかいくぐったあなたは、
 光り輝くホワイトマジックの恩恵を受ける。
 あなたという人の、底の底から、光が発せられる。
 あなたと、あなたの周囲の人々は、いま、
 幸せにならざるをえないような循環に入った!」
と書いておく。

いたずらである。
気まぐれないたずらにすぎないけれど、
何パーセントかは、効きすぎちゃう人もいると思って、
やめることにした。
でも、ここまであからさまに書いた上で、
おまじないをプレゼントしておきましょう。

あなたの微笑みに、
幸福が吸い寄せられますように。

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「ダーリンコラムを読んで」と書いて、
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2005-08-29-MON
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