<みうらじゅんの語る「イトイさん」は?>
先日、『今日のダーリン』に、
ひさしぶりにみうらじゅん画伯と
かなり長い時間いろいろ話したということを書いた。
みうらの話のなかにでてくる
「イトイさん」という「無頼漢」のことを、
いまのぼくが聞いているという図は、妙なものだった。
「イトイさん」やら「おれ(みうらじゅん)」たちの、
ばかばかしくも愉快な日々というのは、
聞いてるぶんにはおもしろい。
それは、みうら的な脚色がたっぷり効いているせいだ。
味付けしてないただのほんとのことは、
みうらの解説してない「いやげもの」と同じようなもんで、
そんなに爆笑できるものでもないと、ぼくは思う。
昔の「イトイさん」という人が、
いまはいなくなったとは言わないけれど、
ずいぶん変わったもんだなぁ、と、いまのぼくは思う。
どこが変わったかについて、たくさん語る必要はない。
煎じ詰めれば、たったひとつが変わったのだ。
個人競技の選手から、団体競技の選手になったことだ。
「なった」と言えるまでにはなってないのかもしれない。
まだまだ修業中ということばかりを感じるからだ。
いまのみうらじゅんくらいの年齢から、
ぼくは競技の方法を変えようとして、変えはじめた。
ほんとのことを言えば、
そんな変化はぜひやりたいことではなかったと思う。
「フリーランサー」としてずっと生きてきたし、
「個人事業主」独特との気楽さと緊張感に、
どっぷり頭から浸かっていたのだから、
なれない団体競技の選手になろうなんてことは、
生まれ変われということに等しい。
しかし、その変化を選び取ることしか、
これからの時代の「おもしろいこと」は、
ぼくにはできなそうに思えた。
伝統芸能でもないし、神に仕える身でもないので、
保護されて生きていくということはありえない。
自分のやる気になれる場所は、
自分で開拓しなくてはならない。
他人が、場所とりをしてくれて「どうぞ」と招いてくれる
なんてことを期待していてはいけないと考えたのだった。
そのあたりの事情は、
『ほぼ日刊イトイ新聞の本』に記したつもりなので、
そこらへんを詳しく知りたい人は、読んでください。
団体競技の選手として、一からやりだそう、というのは、
選手から監督になるのとはちがう感じだ。
ぼくも、できるかぎりは現役のプレイをしていたいし、
「イトイ」という選手のプレイをあてにしないのは、
まだもったいないと思うからだ。
しかし、それは個人の成績をあげるためというよりは、
団体競技の選手として活躍したいということだ。
自分が思いっきりやったことが、
チームの他のメンバーの最高のプレイを引き出せたとか、
誰かのパスをゴールに蹴り込むことができたとか、
はたまた「直接の受け手(読者とか買ってくれる人)」に、
こころから歓迎されたとか、
そういうことが目的になっている。
つまりはホームラン競争で勝つこと以上に、
チームが勝つこと、優勝すること、
球場にお客さんが詰めかけてくれることなどが
うれしいというわけだ。
どっちにしても、それまでの考え方や、
そこまでに確立してきたつもりの方法を、
いちど捨てる必要があるのだった。
そういえば、秋になってあらためて
去年の大河ドラマ『新選組!』を思い出すようになった。
あのドラマに夢中になれたのも、
ひとりずつ自分をのみ頼んできたような剣客たちが、
おのれの強さを確かめることよりも、
チームとしての『組!』の活躍を
価値の上位にもっていくようになるという物語が、
団体競技の選手に生まれ変わったつもりの
ぼくの気持ちに合っていたのだと思う。
巨人の前監督の原辰徳さんが、
なにかの放送のときに言っていた。
「ほんとうに競り合う段階になると、
自己犠牲のできる選手のいるチームが強いです」
という言い方をしていたことがあった。
中日ドラゴンズが立浪選手をドラフト一位で獲得したとき、
「キャプテンをやっていた選手が欲しかった」と言った。
個人の能力の足し算でなく、
一人ずつの力がかけ算になるようなプレイが、
団体競技の強さを生み出すことであり、
それがおもしろさそのものになるのだ。
いま思えば、若いときの自分は、
団体競技に憧れる個人競技型の選手だった。
しかし、たぶん、一生個人競技をやっていくんだろうなと、
漠然と思っていたような気がする。
みうらじゅんが、おもしろそうに話す
「ゴーカイな(わがままな)イトイさん」のことを、
ぼくは、いまでも、心の襞まで思い出すことができる。
いろんなことが、いまよりもへたくそだったし、
もっとずっと世間をなめていたけれど、
そうは悪いやつでもなかったとも思える。
でも、その走り方のままでは、
いまぼくが味わってるおもしろさは、
知ることができなかったと思う。
おもしろさだけでなく、辛さもではあるけれどね。
ちょっと酔っぱらいながら、
まったく個人競技の選手のように自分のことを語る
みうらじゅんという後輩も、
そのとなりの席にいるイベントのプロの仲間と、
なかなかナイスな団体競技をやっている。
個人競技の選手だけで、大きな会場のイベントやら、
さまざまな「くだらないつくりもの」の製作なんて、
やりきれるものじゃない。
実は、みうらもチームプレイに憧れながら、
夜中にひとりで雑誌を切り抜いてるようなやつだ。
たぶん、これからは、
もっともっと団体戦を仕掛けていくことだろう。
正直にいえば、
個人でしかできないおもしろさはある。
ある、というよりは、
いまでも、それが基本なのだと思っている。
個人の頭のなかに湧く妄想が、すべての原点だ。
しかし、その原点の妄想を大きく渦巻かせるのは、
とても一人じゃできないことなのだ。
(一人と一人でサッカーをやってるところを、
想像してみたらいい。速度も広さも、意外性も
まったくなくなってしまうだろう)。
「昔のイトイさん」という人がいなければ、
きっといまのぼくらの「ほぼ日」は始まらなかったし、
「昔のイトイさん」が、いつまでも居座っていたら、
たぶん、いまの「ほぼ日」になる前に、
とっくに潰れていたような気がする。
いろんなことを考えながら、
みうらじゅんの話を聞いたり笑ったりしていた夜だった。
ぼくはぼくで、もうじき57歳になる。
たしかみうらは、10歳若いと思うので、
それでも47歳というわけだ。
しょうがねぇオヤジになってるなぁ。
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