ITOI
ダーリンコラム

<ビジョンとは、どういうものか?>

あいかわらずの、考え中シリーズ。
東京ではなく、京都の田舎で、深夜、
ひとりで考えていることを、そのまま垂れ流してます。



「いい会社」には、ビジョンが必要なのだという。
だという、なんて他人事のように言わなくてもいい。
ぼくも、「いい会社」には、ビジョンが必要だと思う。

どうなりたいんだ、どうしたいんだ、ということなしに、
何かをやり続けていくことは難しい。
個人の場合だと、ビジョンがあろうがなかろうが、
なんとかなるように思うのだけれど、
組織ではビジョンが必要になる。
どうして必要かというと、
他人をお誘いするから、である。

他人の力をあてにしつつ、自分の力を貸しつつ、
両方の力を合わせつつ‥‥
で、どうしようっていうのだ??
というわけだ。
他人の力をあてにしつつ、自分の力を貸しつつ、
両方の力を合わせつつ‥‥
「利益をあげましょう!」では、
いかにも会社らしいけれど、
そのために他人をお誘いするのは難しいと思うのだ。
利益をあげて、どうしたいのだ?
ということがないと、
そのグループに集う意味が見えない。
利益をあげて、その利益を利益をあげるために使って、
さらにその利益を、さらなる利益をあげるために使って、
さらにさらに、その利益を‥‥というだけでは、
どう考えても「ビジョンがない」とばれてしまう。
でも、いま、なんだかほとんどの会社が、
「利益をあげるために利益をあげる」ということを、
ビジョンのかわりに掲げているように思える。

その一方で、「社内貼り紙」みたいな
企業の理念というやつもある。
ほんとにその通りとは、誰も思ってないような、
「●●を通じて地域社会に貢献し、
 国際的視野をもって、未来へ開かれた企業となる」
みたいな、学校の校歌に似たようなものも、
ビジョンの代用に使えるかもしれない。
でも、具体的にどうもしなくても、
そういう「社内貼り紙」みたいなことは、
結果が出なくてもわかりゃしないし、
誰の責任にもならない。
秋祭りの寄付をしたって、
地域社会への貢献だしね。

そんなこと言っている自分たちに、
ことばにできるようなビジョンがあるのか、というと、
なんとも実をいうと心もとない。
ないはずはないとも思うし、
これまでやってきていることのなかに、
その「ビジョンのソース」があるのだとは思うけれど、
まだ「探しながら歩いている最中」というか、
ビジョンのモラトリアム状態である。
恥ずかしながら、そうとしか言えない。

探している最中に、ふと、
こういうことは言えないだろうかと思いついた。
「あなたの会社は、いくらでもお金があったら、
 何をしますか?」という質問を考えてみる。
「いくらでもお金がある」というのが、
なんともあいまいな言い方で、厳密でないのだけれど、
「お金に余裕があったら、こういうことをしたい」
という目的は、ビジョンに限りなく似ていないか?
個人的な質問として、
「あなたは、いくらでもお金があったら、
 何をしますか?」と訊ねたら、
ヨットを買って世界一周したいだとか、
愛人をいっぱいつくってごろごろしていたいとか、
カウンターでおまかせの寿司を腹いっぱい食いたいとか、
まぁ、いろんな答えが返ってくるのだろうけれど、
会社に、そういう質問がきたら、
どういうふうに答えるのだろうか。
先日亡くなった、クロネコヤマトの小倉昌男さんだったら、
きっと、はっきり答えられたような気がするのだ。
それが、ビジョンのあるなしと、関係あると思う。

儲けるために儲ける、ということ以上の、
儲けてどうしたいのだ、ということが、
「付け焼き刃」や「たてまえ」でなく言える会社が、
ビジョンのある会社なのだというふうには、
言えないだろうか。
そんなふうに考えていると、
ソニーにいた丸山茂雄さんの『mF247』
大橋歩さんのやっている『アルネ』
などが、とても気になってくる。
「いくらでもお金がない」うちから、
「いくらでもお金があったらどうしたい」かを、
すでに含んでいるような動きに思えるからだ。

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2005-10-31-MON

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