ITOI
ダーリンコラム

<長生き主義者の寿命>

縁起でもない、という意味で、
他人から言ってもらうわけにはいかないので、
自分で言うことにした。
いつ死ぬのか? という問題だ。

土曜日の『宣伝会議』主催の記念講座で、
永江朗さんと話しているときにも、
ちょっとふれたことだし、
「ほぼ日」のミーティングでも言ったが、
ぼくは、ちょっとまちがっていた。
「いのちを大事にしない姿勢が、かっこいい」
というような男らしい発言に対する
反発もあって、ぼくは「長生き主義者」だった。

かっこなんかよくなくても、少々嫌がられても、
長く生きて、ちょっとでも長いこと、
この世の中ってやつを見ていたいと思っている。
そういう考えの人間だった。
というか、いまも、そういう考えだ。

しかし、気づかされてしまったのだった。
「長生き主義者」だからといって、
長生きができるわけでもない、ということを。
「あっちゃーっ!」であった。
そうだったそうだった、
長生きしたいから長生きをする、
ということじゃなかった。
だとしたら、ぼくが長生きをするぞ、と宣言しても、
ちょいと早めに死んでしまうことも、あるというわけだ。
いまさら、そんなことを知ったのだ。

世の中の平均余命というやつは、
どんどん長くなっている。
日本人男性では77歳とかだし、
女性にいたっては83歳を超えるらしい。
だから、自分もそのくらいの年齢で死ぬと、
ばくぜんと決めていたのが、幻だったわけだ。
自分が平均余命まで生きるなんて、
保証はひとつもない。
さらにいえば、先日ニュースで読んだのだけれど、
人間の寿命は父親の遺伝による、
という研究が発表された。
自慢にゃならないけれど、
父親は68歳で亡くなってるぞ。
そのまた父親も、短命な人だったらしい。
だとすると、ぼくは「長生き主義者」でありながら、
父親のように60歳代で死ぬという可能性がある。
そんな可能性、まったく考えてなかった‥‥
長生き主義者だから。
長生きって、希望だったのね、事実じゃなく。

世の中の人たちは、どう思っているのだろうか。
20歳だとか30歳で寿命を考える人もいないだろうが、
何歳であっても、ばくぜんと自分も、
平均の年齢まで生きる、
と決めているのではないだろうか。
ぼくが、そうだった
と、いうだけなのかもしれないんだけれど。
冷静に、事実を知ったら、びっくりした。

実際、68歳で亡くなった父親にくらべると、
健康診断もしているし、酒もタバコもやらないけれど、
遺伝的に同じ年齢で他界する可能性はある。
だとすると、あと10年しかない。
大きな病気をした人が、余命を語ることは多いけれど、
健康で生きている人間にしても、余命があるのだ。
それが、ぼくの場合、10年かもしれない。
こりゃぁ、たいへんだ。
のんびりしちゃいられないかもしれない。
その可能性もおおいに考慮しながら、
いろんなことをやっていかなきゃならない。
90歳以上生きるつもりの「長生き主義者」として、
予定ともいえない予定を生きてきたぼくだけど、
これからは、二刀流で行くことにした。
68歳コースと、100歳コースと、
両方の可能性を考えながら、がんばりまっす。
ということに決めたのよ。

この話をかみさんにした。
「68歳までだったら、あと10年だぜ!」と、
すごんでみた。
妻は、言った。
「10年じゃないよ。11年だよ!」
‥‥励まされた。

『いつまでもあると思うな、親と金』
ということばがある。
それも、わかっちゃいないうちに、
『いつまでもあると思うな、親と金と自分』
と、気がついてしまったっつーの。

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2005-11-21-MON

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