ITOI
ダーリンコラム

<今年のおまえさんに。>

初夢に、ことばのぞんざいな神様があらわれまして、
「今年のおまえさん」に言いたいことがある、と。
ちょっとしゃべって、消えました。
ここに、そのお言葉を記させていただきます。
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「こころ」が、いまある現実に、
ぴったりフィットしているという状態があるよ。
だけど、そういう時に、
「あたま」にも相談してみようということになると、
「あたま」の野郎がよけいなことを言うもんだから、
迷いや惑いがでてしまって、うまくいかなくなるよな。

「あたま」ってやつは、
なんでも自分がいちばんだと思いがちだし、
自分にまかせておけば失敗はない、と
いばりたがるんだ。

しかし、「あたま」のおかげで
助かったことなんて、あったかね。
そりゃぁまぁ、試験のときだとか、
どっちがものしりでしょう合戦だとか、
ちょいと他人を出し抜いてやりましょうだとかね、
そんなときには、
「あたま」が道具としてがんばることもあるよ。
そういうことが好きなら、
さんざん「あたま」を崇め奉るこった。

「あたま」で考えに考えて、調べに調べて、
なにかがうまくいくってことも、あるにはある。
だけど、そういう場合にしたって、
たいていは、うまく説明できないけれど
「こころ」のほうが、先にわかっていたことを、
「あたま」が試し算するだけだったりするんだよな。
アインシュタインさんが、まだガキのころに、
相対性理論の「だいたいの感じ」は、
わかっていたという話もあるよ。
自分もふくめて、みんなに説明できるようになるのに、
だいぶん時間がかかったというじゃないの。

いや、「あたま」を嫌ってるわけじゃないのよ。
「あたま」も、道具のひとつくらいのところに、
自分をおくくらいの謙遜なところがあれば、
悪いやつじゃないとは言ってやれるんだよ。
だいたいがさ、「あたま」にしたって、
成りあがりなんだからね。
神経っていうか、交通路のかたまりだろ。
伝令の株式会社みたいなもんなんだからさ、
たいしたもんじゃないっつーの。

それにくらべりゃ、「こころ」なんてものは、
あくせく努力したって磨けないんだからな。
その逆に、5歳の子どもだって、
みごとなキラキラの「こころ」を持ってたりもするよ。
たいがいは、「あたま」にゴミだのクズだの、
ぎゅうぎゅう詰め込んだやつは、
「こころ」のいる場所をなくしてるね。
追い出しちゃうんだろうね、「こころ」をね。

いやいや、ゴミだのクズだのって、
知ってて溜めこんでいるやつは、まだいいんだ。
「こりゃゴミですから、すぐ捨てます」ってさ、
「こころ」の置き場所を、つくれるからね。
だけど、ゴミだのクズだのってのは、
もともとそんな名前が付いてたわけじゃないからね。
ご立派だの、正しいだの、お見事だの、憂えるだの、
センスがいいだの、たいしたもんだだの、
なかなか捨てにくい「熨斗紙(のしがみ)」が付いててさ
ぜひ大事に溜めこみたいと、思わせるんだなぁ。
そういうものが、詰めこまれて溜めこまれて、
人の動きをとれなくするんだよ。
へたすりゃ、腐るからね。
臭くなるし、毒を出すよ。
こういうことになれすぎちゃうと、
この腐った悪臭が、いい匂いに感じられるものなんだ。
そんな「あたま」が、ああせいこうせいって言うことを、
いちいち聞く必要ないよな。

「こころ」は、けっこうフィットしてるんだから、
たいていの場合は。
フィットしてないときは、してないってわかるし。

「うまく説明できないけれど、わかった!」ってときに、
だいたいは、決まっちゃってるんだよ。
いじくり回したりこねくり回して、
「絶対に大丈夫という保証」を求めたり、
「失敗しないという証明」を探したりしていると、
フィットしなくなって、だめになっちゃうんだよね。

わかってるよな。
見えたような気がしたら、もうオッケー。
「あたま」は、あとで助手で雇ってやればいいだけだ。
さっきも言ったけど、「あたま」のほうもな、
分をわきまえて、自分が一番だみたいな顔しなきゃ、
使ってやりゃぁいいんだ。
そういうときには、いいやつだぜ。
鷹匠にとっての、鷹、な。
鵜飼いにとっての、鵜、な。
レーサーにとっての、クルマ、な。
そのくらいの役には立つもんだよ。

じゃ、寝ろや、しげちゃん。

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以上で、初夢はおしまいでした。
ちょっと、またお会いしたい感じの神様でした。

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2006-01-02-MON

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