<単騎、千里を走る。>
映画を観てから、ほんとうに、
この『単騎、千里を走る。』
ということばが好きになった。
「ほぼ日」のキイワードにしている
Only is not Lonely.に、つながるものを感じている。
何十年も前から、ぼくは、こんなことを思っていた。
ひとりでいるときの顔が想像できる人と、
ひとりでいるときの顔が想像できない人とがいる。
ひとりでいるときの顔が、想像できない人とは、
どうにも仲よくなれそうもない。
ま、そんなことを言っているのが、ぼくで、
想像できるだのできないだのと、
ジャッジをしているのも、ぼくなので、
あんまり信用しないほうがいいかもしれない。
でも、やっぱり「群れ」のなかにしか
いようとしない人と、
「群れ」から離れていることを、怖れない人
というのはいると思う。
先日の『今日のダーリン』でも書いたけれど、
『単騎、千里を走る。』という映画の元になった
三國志の関羽というリーダーのイメージが
人々を感動させるのは、
たったひとりで馬に乗って走る男の、
覚悟が伝わってくるからなのだろう。
個であること、孤であることから
逃げないで生きる人の姿というものには、
厳しい美しさがある。
そして、そのうえで、だ。
そしてそのうえで、
ひとりを怖れない人が、
人々の情けを感じるということがすばらしい。
ひとりを怖れない人が、
他のひとりの役に立とうと、走る姿は美しい。
Only is not Lonely.
ひとりであるということは、孤独を意味しない。
ひとりを怖れない者どうしが、
助けたり助けられたりしながら、
生き生きとした日々が送れるなら、
それがいちばんいいと思う。
千里を走る単騎は、おそらく、
おのれのためだけに走っていたのではあるまい。 |