<近くも、遠くも。>
今回書こうと思っているのは、
ほんとに平凡な、ふつうのことなのです。
あんまりふつうで、おもしろくもないかもしれない。
でも、そういうことを
「ほぼ日」を7年半もやってきたいま、
思ったということが、自分に新鮮だったのでした。
「インターネットって、すげぇ!」
と、びっくりしてこの世界に入ってきた自分が、
「やっぱり、すげぇ!」と思ったのです。
平凡でいいや、と、そのまま書きます。
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先日、世界のあちこちで
「ほぼ日」を読んでくれている人たちから、
「こんなところで読んでますよ」というメールを
たくさんいただいた。
日本の東京のある場所から発信した
「小さな言葉」の数々が、
全世界というような規模で飛んでいって、
あちこちの個人にキャッチされている。
これは、なんだか感動的なことだった。
「ほぼ日」をはじめたばかりの頃にも、
この「世界中」に届いているという事実には、
なんども喜ばされたものだった。
ドミノ倒しの駒が、遠くまで遠くまで
次々に倒れていくときの快感に、ちょっと似てる。
「ああぁ、やっぱりつながっているんだ」と、
思うことは、うれしいものだ。
遠くに届くということは、それだけでうれしい。
このごろは、インターネットが
遠くまで届くということを、忘れていたように思う。
どこかに出かけて行くときに、
「そのあたりで何を食べるかな」なんて調べるのに、
インターネットはほんとに便利に使われている。
ここ数年かなぁ、「近くを知るためのツール」として、
インターネットは、どんどん発展してきた。
こんなふうになるだろうなぁ、とは思っていたし、
なればいいのにと期待していた時期もあった。
しかし、そのうちには、
遠くに届くというインターネットのうれしさを、
すっかり忘れてしまっていたのだった。
近くも、遠くも、
両方いいものだよなぁと、
しばらくぶりに思い出させられた。
で、ここまで考えているうちに、
また思ったのだった。
世界中、遠く遠くに、
ぼくらの発信する小さい言葉を読んでくれている人が
いるということは‥‥。
その遠くにいるたくさんの人たちが、
「そこに行った」という物語が、
その人たちの数だけあるということなんだよなぁ、と。 |