ITOI
ダーリンコラム

<エビちゃんの時代。>

いろんなことが変わってきている。
そりゃぁもう、いろーんなことが変わってきている。

そのすべてがインターネットのせいだとは言わないが、
どうも、インターネットが関係しているような
気がしてならない。

かつては、富にしても情報にしても、
どこかに「蔵」があって、
その「蔵」のカギを持っている人と、
持っていない人の間には、おおきな違いがあったものだ。

昔の空想科学映画に登場するコンピューターってやつは、
とにかく建物に近いくらいの大きさで、
それを超がつくほどのエリートとか、
むやみに金や権力を持っている悪人とかが利用している、
というような設定だった。

ところが、いまは、
そのへんの空想レベルのコンピューターなら、
みんながふつうに持っていて、
しかも、それをみんなネットでつないでしまって、
情報の都合をつけあっている。

「蔵」が「網」のかたちに変わってしまって、
カギなんかなくても、いつでも情報を取り出せる。
カギの役目もちょっと変わって、
個人情報を入れている「財布」のほうに、
カギが必要になっているというわけだ。

「蔵」から「網」の変化が、
どれくらい多くのものを変えてしまったか、
数えろといわれても、きりがないほどになっている。

たとえば、極端な話、ぼくの本棚は、
(もちろんお金というカギが必要になるんだけれど)
『Amazon』のなかにある、とも言える。
さらにキミの冷蔵庫は、
部屋から外にでて数分のところに
『コンビニ』という名前で置いてある、と言える。
ひとりひとりの人間が、
自分の必要なものは、外の網のなかに持つようになる。

自分のところに自分のためだけの何かを持つのは、
「趣味」や「遊び」や「アート」に関わるような、
「持ちたいから持つもの」だけになっていく。
それも、よそにもあるようなものを
わざわざ持つのは意味がなくなっていくだろう。

そういう時代に、すっかりなってきている。
何がどう変化して、何がどう変わってないのか、
これが変わりそうで、これは変わらなそうだ、
というふうに、
何から何まであらゆるものごとの、
変化を見ているだけで、
いまのような時代はおもしろくてたまらない。

昔は高かったものが、安くなる。
昔は安かったもの、タダだったものが、
限りなく高くなる。
かつて低かった価値が、高くなったり、
ダサかったものがかっこよくなったり、
かっこよかったものが、ダサくなったり、
捨てていたものが奪い合いになったり、
大事にされて自慢されていたものが、ゴミになる。
そんな事例は、みんないくらでも見ているだろう。

以上、今回ここまで書いてきたことは、
ほとんど、常識的というか、
学校の先生の総まとめみたいなことである。
しかし、この時代の変化についての、
こんな総まとめみたいなことを、
なぜ、ぼくが書きたくなったかが大事なのだ。

『ウェブ進化論』を読んだから?
いや、とても勉強になったけれど、ちがう。
オリンピックの「ほぼ日」での特集が
あまりにも不思議な大人気になっているから?
それも、うれしいけれど、ちがうんだよね。

「エビちゃん」です、原因は。

かつては、
よく例に出されるけれど、
消防署のある通りの名前を
「ファイアーストリート」と名付けたり、
バンドのメンバーのニックネームを
ジュリーだとかエリーだとか呼び合ったり、
高速道路をハイウエイと言ったり、
もっと昔の歌なんかだと、口紅がルージュだったりね。
そういうカッコつけ方の時代が、
長く続いていたはずなのだ。

みんなの憧れるモデルの呼ばれ方が、
「エビちゃん」です!
見事です、この時代にはこれなんだと思いました。
去年の夏くらいに電車の中吊りで、
「エビちゃん」というモデルの存在を知ったのだけれど、
自分がこのネーミングを付けられたろうかと考えて、
「ああ、明治は遠くなりにけり」と思ったのだった。

「エビちゃん」というのは、
プロが「蔵」からいいのを見繕って出してきた
というような「よさげ」な名前じゃないのだ。
女の子どうしの、同級生とかクラブの友だちとかが、
「えびはらだから、エビちゃん」というくらいの
軽い感じで付けた名前なのだ。
それでいいのだ。
それこそがいいのだ。
「エビだからシュリンプですよね、
 シュリンプってことで、シュリーでどうですか」
あるいは、
「エビちゃんは、まずいっすよ。
 だったら、ユリちゃんにしましょう」
みたいな小賢しい会話なんか意味ないのだ。
「えびはらだからエビちゃん」という
直球の向こうに、「はい」と返事する
現物のエビちゃんが登場したら、
それ以上かっこいいことはないのだ。

いろんな変化を見てはたのしんできたぼくだけれど、
この「エビちゃん」という名前を知ったときには、
もうオレは頭をまるめてやり直すしかない、と思ったね。

ちょっとでも「蔵」の富や知識や方法を
あてにしていたら、
「エビちゃん」というネーミングに、
反対するほうの側に立っていたということだ。
ちょっとだけ、自分に救いがあるのは、
「うわぁ、負けた!」と感じられたことだけだった。

反省したから、反省文を書く。
というわけで、今回の『ダーリンコラム』になりました。

このページへの感想などは、メールの表題に、
「ダーリンコラムを読んで」と書いて、
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2006-02-20-MON

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