<オトナは、誰も、遊んでない?>
時代劇の中の遠山金四郎という人は、
お奉行さまでありながら、
いつもは身分をかくし
「遊び人の金さん」として、
日々を暮らしている。
金さんは、遊び人なのだ。
どんなことをして遊んでいるのか、気がかりだった。
遊び人といっても、テレビドラマのなかの金さんは、
ただ「そば屋」にいりびたって、
そばを食ったり酒を飲んだりしているだけだった。
辞書的な意味では、
遊び人というのは、
職がなくてぶらぶらしている人だったり、
ばくち打ちだったり、
という意味があるらしいけれど、
それじゃおもしろくもなんともない。
職がなくてぶらぶらしているのも、
遊んでいるわけじゃないと思うし、
ばくち打ちは、ばくちを打つという仕事をしている。
遊ぶってのは、どういうことをしているのか?
「おにいさん、ちょっと遊んでいかない?」
という客引きは、
女性との性的な関係を持つことを
「遊び」と表現している。
同じ「遊んでいかねぇですかい」が
ばくちを意味する場合もある。
「おとうさんは、若いころは遊んだもんだよ」
という場合、おとうさんは、
どんなことをして遊んでいたのだろうか。
いろんな女性とつきあうこと?
仕事をさぼってドライブに行ったり?
街でけんかにまきこまれたり?
なんだか、よくわからないのだ。
「あのむすめさんは、けっこう遊んでるっていうわね」
という場合、そのむすめさんは、
どういうことをしているのだろうか?
たくさんの恋愛を経験をしているのか?
夜まで酒を出す店にいるのか?
たばこをいっぱい吸っているのか?
ヘソを出して歩いているのか?
これも、よくわからないのだ。
映画とかテレビドラマとかには、
お金をたくさん持っている旦那が、
遊んでいるという場面があるけれど、
たいていは、日本髪の女性と
ちゃかぽことヘタな踊りを踊っているだけだ。
これに、たくさん酒を飲むだとか、
料理なんかもたくさん取って、残しちゃうとか、
幼稚園のぼくちゃんみたいなことをしている。
外国のギャングの親分なんかも、
薄着の女性が周囲にたくさんいて、
高そうな酒をじゃんじゃん持ってこさせて、
ステージの歌を聴きながらバカ笑いしているだけだ。
なんだろうなぁ、遊ぶって。
特に、おとなになってからの遊びって、
なんだか無理があるような気がしてならないのだ。
どういうのが遊びなんだろう?
「遊びにいこうぜ」と言って、どこに何しに行くんだろう?
「遊んで暮らしたい」というのは、
単に、定職なしに楽に過ごせることなのか?
ちゃんと考えてこなかったよなぁと。
いまさら思うわけだ。
「遊ぶ」ということばが、
たしかに生きているのは、
子どものころの「遊び」だ。
「いつまでも遊んでないで、暗くなったら帰っておいで」
「外で遊んできな!」
「みっちゃん、遊ぼう」
「おにいちゃんが、遊んでくれなーい!」
「もっと遊んでっていい?」
こういう場合、たしかに遊んでいたんだよなぁ。
何をしていた、とことばにはできないけれど、
たしかに遊んでいたという自信があるもんな。
理想は、あの感じだなぁ。
学校には、ほんとに遊びに行ってたもん。
おもしろかったなぁ。
毎日、会社に遊びに行くような感覚で、
出勤できたら最高だよなぁ。
どこをどうすれば、そうなるのかな。
全身をでんぐりかえししながら、
泥だらけも寝不足も忘れて、
仕事で遊べるというような会社は、
どうでしょう?
無理なのかなぁ。 |