ITOI
ダーリンコラム

<スズメ的なもの>

スズメとハトと、どっちが好き?
というような、しょうもない話をしていた。
もともとでまかせの質問だったから、
何をどう答えようがかまわない。
いろんなことを考えるということが、ゲームだ。

「なんか、好き」というのも、けっこうだ。
「ハト、田舎には
 あんまりいなかったような気がするんで。
 都会の象徴なんですよね、ぼくには」
なんてのもある。
「peaceと言えばハトだから、ハト!」
と、これもよし。
 
ぼく自身は、どうやらスズメ派だったようだ。
「ハトを追っ払うのに苦労したことがあるから」
「スズメは、なんか、頭がかわいい」
「絵に描いたような平凡な感じがいい」
「少しくらいならコメを分けてやりたい」
「スズメ焼きはうまそうだけど、実際うまくはない」
‥‥なんでもいいのだ、
話が続けば、それだけでたのしい。
予定通りでない会話ができれば、それだけで遊びだ。

スズメ、いつも意識していたわけじゃないけれど、
ぼくはスズメを見ていた時間の長い人だ、と思う。
子どものころに、スズメというのは、
身近にいつもいつもいて、
どうやら焼いて食うとうまいらしかった。
この、どうやらうまいらしいというのは魅力的なのだ。

スズメと同じように、ナマズというのも
つかまえて焼いて食うとうまいらしかった。
しかし、スズメもナマズも、
自分の実力ではつかまえることができなかった。
こういうものは、
いつまでも憧れの残像になるものだ。

だから、気持ちにゆとりがあって、
見えるところにスズメがいるときには、
ついついぼくは観察してしまう。
ついでに言うと、
中年になってからナマズも買って飼った。
焼いて食うことはしなかったけど。

もともと、スズメを見るくせはあったのだけれど、
ああスズメを見ていたなぁ、と思い出すのは
外国に行ってひとりでいる時間だ。
公園だったり、プールサイドのレストランだったり、
ホテルの窓の外だったり、いろいろなんだけれど、
ぼくは、よくスズメを見ていた。
日本にいるスズメとは
ちょっとずつちがうのだろうけれど、
ぼくは、スズメとして見ていたと思う。
なぜ、そんなにスズメを見るかというと、
「スズメのことがわかる」ような気がするからだ。
日本にいても、外国にいても、
スズメは、ただのスズメである。
たいしたことも考えちゃいないだろうし、
まぁだいたい日々の流れのままに生きているだろう。
それがわかるのが、うれしいのだ。
ぴょんぴょんと軽快なステップでパンくずを探す様子、
集まったり、離れたり、寄り添ったり、飛び去ったり、
いちいち何をしているのかがわかるのだ。
ぼくが見た通りのことを、スズメはしているのだ。
それが、うれしいわけです。

外国にいて、うきうきしながら
珍しい景色によろこんでいるときはいいけれど、
ただの異邦人としてひとりでいるときなんかには、
見知らぬ景色や、耳から入ってくるけれど
何を言っているのかわからない言葉、
すぐに読めない看板や案内板、
早口で展開するテレビのお楽しみ‥‥そういうものに、
静かに疲れてくるのだ。

毎日そこに暮らしていて、
しばらくの間、そこで生きていくという決意をしたら、
もっとちがって聞えるのだろうけれど、
ふらっとやってきた旅の人間であるぼくには、
「そこ」と「じぶん」の間の距離が、
途方もなく遠くに感じられるのだった。
そこに、スズメがいるわけだよね。
「ああ、スズメ、おれはおまえのこと知ってるぞ」
と、うれしくなるわけさ。
知ってるぞー知ってるぞーと、見つめるのだ。
外国だろうが、さみしい気持ちだろうが、
スズメはいつも同じようにスズメであるだけだ。
そのおかげで、そのことが「わかる」自分が、
取りもどせるということなのだろう。
スズメを見ている間、ぼくはうれしいのだ。
外国のいろんなところで、スズメを見ていた思いでがある。
それは、ぼくの異邦人として生きていた時間の記録だ。

『MOTHER3+ 』というアルバムのなかに、
『We miss you〜愛のテーマ』という曲がある。
アルバムのなかで、ひとつだけ歌詞のある曲で、
その詩は、ぼくが書いた。
歌い出しは、こうだ。

  深い闇 遠い町
  知らないことば 騒(ざわ)めく
  
「知らないことば」が騒めくのを聞いているとき、
ぼくらは、最大の孤独を味わうのではないか。
そんなときに、スズメが目に留ったら、
絶望はしなくてもすみそうだよなぁ。

ぼくらが家で飼っているペットも、
「おれはおまえのこと知ってるぞ」とか、
「おまえはおれを知ってるよな」だとかいう
スズメ的な存在なのかもしれない。
ほんとうは、子どもだったら親が、
夫だったら妻が、妻だったら夫が、
スズメ的な役割をしてくれるのだと思うけれど、
いまの世の中、そんなに、
絵に描いたようには動いてないからなぁ。

いつだったか、仕事で知りあった中年のおじさんが、
「イトイさん、ぼくは悩むとね、ある場所にある
 大きな樹を見に行くんですよ」と、酒場で言い出した。
その勢いで、「見せたいなぁ、見に行きましょう」
ということになって、タクシーに乗って、
その樹を見に行くことになった。
ぼくの目には、そんなに
頼りになりそうな樹には見えなかったのだけれど、
「いいでしょう? ぼかぁねぇ、この樹を見ると、
 おまえに恥ずかしくないように、やっていくぞと、
 勇気がでてくるんですよ」と語っていた。
わかりあっていたんだろうな、あの樹と。
日々の仕事やなんかが、
「知らないことば」の「騒めき」に聞えたとき、
彼は、この、わかりあってる樹に会いに来るんだね。

海に向かってクルマを走らせる人もいるだろう、
昔からのともだちに会う人もいるだろう、
「ママ」に意見をされに行く人もいるだろう。
なんでもいいんだろうね、それこそスズメでも。

いいよ、スズメは、ね。
あ、犬が起きて見てる‥‥
「ブイヨンもいいね、よしよし」。

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2006-11-13-MON
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