ダーリンコラム |
<もっと、をんなのように> なにげなく知っているつもりになっていたことが、 実はなんにも知っちゃいなかったんだ、と わかることが多くなった。 正月といえば、百人一首だよなぁとか思ってて。 そういえば、嵐山に宮本茂プロデュースの 『時雨殿』があったんだっけ。 行ってみようかなぁ、と、 ぼんやり思っていた。 歌の教養とか、ないよなぁ、おれ‥‥。 なんてことを考えていて、 ちょっと面白いことを思いついた。 『源氏物語』が平安朝の文学であることは、 知っているつもりだった。 いまから、約1000年前に書かれたということだ。 歴史のテストがあったら、 そのくらいの答えは書けそうだ。 主人公が光源氏であるとか、 作者が紫式部であるとか、 いくつかの単語をまとめて、『源氏物語』。 谷崎潤一郎だとか、与謝野晶子だとか、 有名な訳者の名も、少しは思い出す。 それだけ、だ。 物語のおおよその内容も知っているつもりになっていた。 これも、あくまでも「あらすじ」だけである。 訳書にせよ、全編を通して読んだ覚えはない。 それが、急にひとつの事実を想像したら、 「わぁ、すごいかもしれない」と思うことになった。 心の奥のほうで、突然に感心してしまったのだ。 『源氏物語』についての知識は、 これまでのまま特に増えているわけではない。 たったひとつのことに気がついたのだった。 作者が女性である。 このことの意味が、突然、大きく見えてきたのだ。 日本を代表する文学作品であり、 長編文学としての世界的な傑作とも言われている 『源氏物語』は、女性の書いたものだった。 これだけ古い時代に、世界的な作品を書いたのが、 「女性」だったということが、 どれほどの大きな意味を持つのか、 正直、ぼくにはわからない。 しかし、他に、世界に、 女性の書いた文学が、こんなふうに価値を認められ、 広く知られているような例があるのだろうか? (いくらでもあるよ、と言われたら困っちゃうけど) むろん、その時代の男たちも、 別の場面でおおいに活躍したのだとは思う。 そして、その男たちを、 もしかしたら尻に敷いていたのは 女性たちだったのかもしれない。 でも、後に世界的傑作を言われる物語を 「女性」が書いて、 それを当時の人々が認めていたということは、 なんだかたいしたことなんじゃないだろうか。 詳しいことは知らないのだけれど、 当時もこの『源氏物語』は、 おもしろい物語として流行っていたというではないか。 いかにも女性の社会進出が、近代、 いまごろに始まったように思われがちだけれど、 女性の書いた物語を、ちゃんと広めるような社会は、 平安時代にもあったということになる。 男たちがつくる社会や、 男たちがつくる歴史もあるだろうけれど、 ほんとうは女たちがつくる社会や、 女たちがつくる歴史もある。 しかも、どうやら、 ぼくらの住んでいるこの島国の文化の特長は、 「女性的なもの」が、とても尊重されてきたらしいのだ。 『源氏物語』の世界をおもしろく描き出したのは、 男ではなく女だった。 それを認める環境が、 平安の昔の貴族社会のなかにあった。 そして、その物語は世界に通用する 人間文化の資産であると考えられる。 無知な人間の言うことだから鷹揚にとらえてほしいけど、 信長より秀吉より家康より、 紫式部のほうが世界的な人物なんじゃないか? そういう視点が、 これまでの日本やら、 これからの日本を考えるときに、 有効なんじゃないのかなぁ、と、思いたい。 尊敬に値する「女から生まれるいろいろなもの」とは、 どういうものなのか。 それは、いまの時代では、どこにどんなふうにあるのか。 これを真剣に考えることが、 とても大事だという気がしている。 現在の、いまの女の人たちのなかから、 いまの『源氏物語』にあたるようななにかが、 ほんとうはあちこちで、きっとたくさん 生まれているように思うのだ。 世間には、「女みたいだ」ということばが、 ネガティブな意味で使われていることが多い。 ぼくのこれまで生きてきた経験に照らし合わせれば、 悪い意味での「女みたい」な要素は、 たいていは「男らしい男たち」の属性であるようだ。 ぼくは、自分のやることが、 もっと「女のように」なることを、 とても望んでいる。 女がたのしそうにしている世界は、 おそらくとてもいい世界なんだと、ぼくは信じている。 百人一首のことを思っているうちに、 考えがぐつぐつと煮えてきてしまった。 ま、思っていることそのままだから、いいとしよう。 |
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2007-01-01-MON
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