ITOI
ダーリンコラム

<川上哲治さんと親孝行伝説>

今回、ここに書く話は、
ときどき友人には話していたことです。
ひょっとしたら、「ほぼ日」にも書いたかもしれない。
でも、いまの時期にまた、書いておきたくなったので、
書くことにします。

ほんとうなのか、よくできたつくりばなしなのか、
ぼくにはわからないのだけれど、
プロ野球の歴史的大打者にして
歴史的な名監督であった
川上哲治さんが、
野球解説の場面で、
ある選手について
「彼は親孝行な選手ですからねぇ」と、
おおいに評価したという伝説がある。
「親孝行だから、活躍できる」と予想をしたのか、
「親孝行であるということを、評価したい」ということが
言いたかったのか、知らない。

しかし、中年以上のプロ野球ファンには、
このセリフは、あまりにも有名である。
おそらく、川上哲治という人の
「大打者であり、大監督ではあるけれど、
あまりに古臭い考え方の持主であること」を、
半ば愛しつつも笑いのタネにしているのだ。
平凡な野球ファンであるぼくも、
そんな感じで、この伝説の意味をとらえていた。

しかし、ずっと親孝行でなかったぼくは、
自分が親と言われるようになって、いまさら思うのだ。
歴史的な大打者であり大監督であった野球解説者が、
「親孝行な選手」を評価することについて、
そんなに簡単に「ただの困ったちゃん話」として
片づけてしまっていいのだろうかと。

まずは、こう考えてみたらどうだろう。
同じような力量の選手がいたときに、
一方が「親孝行」である選手、
もう一方が「親不孝」な選手だったとしたら、
どちらが活躍の可能性が高いと言えるだろうか。

ほんの少しずらして考えてみてもいい。
「彼はともだち思いの選手ですからねぇ」と、
「彼はともだちなんて信じない選手ですからねぇ」では、
どっちが、活躍できると思えるだろうか?

天の神さまが、その選手の善行を見ていてくださるから、
親孝行な選手や、友情に篤い選手が活躍できる‥‥
というわけではないとは、ぼくも思う。
だが、やっぱり、ぼくは
「親孝行」な選手や「ともだち思い」の選手のほうが、
活躍できるチャンスが多いと考える。

なぜか?
簡単なことだ。
「親孝行」も「ともだち思い」も、
自分以外の人のことを大事にしているということだ。

親が喜んでくれるからと思えばこそできることも、
ともだちを大切に思っているからこそできるガマンも、
きっとあるはずなのだ。
それを、恋人や家族に置き換えてもいい。
自分だけのために、自分が決めたことだけをやるのは、
なかなか困難なことなのだけれど、
誰かのためにもなることは、あんがいやれるものだ。
わがまま娘だった女性が、
母親になったら強くなるなんてことも、よくあることだ。
なにをするにも、「動機は自分のなかにひとつだけ」
というのは、ほんとうにもろいものだ。

「母ちゃんに楽をさせてやりたい」だとか、
「おとうさん、よろこんでくれるだろうな」とかを、
イメージできる人のほうが、
「いまよりも、ましな自分」に向けて、
がんばりやすいということなのだろうと思う。

というようなことを、ちょっと考えると、
川上哲治さんの「親孝行」についての話も、
ずいぶん味わい深いものになる。
しかし、かつてのぼくは、それを想像できなかった。
この場合の「親孝行」というキイになることばが、
古臭い、押しつけがましいと思われる「道徳」と、
あまりにも合致しすぎていたために、
それ以上考えることをやめてしまっていたのだろう。
もったいないことをしていた。

というようなことを書いているぼくは、
最初に言ったように、少しも親孝行でないままだ。
「自分のため」だけの動機では、
とても弱いこともわかっているつもりだし、
親がいてくれたから自分がいることも知っているのに、
どうにも親孝行にはなれない。
そんなものなのかなぁ、とも思うけれどねぇ‥‥。
しょうがないものだなぁ。

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2007-03-12-MON

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