ITOI
ダーリンコラム

<武士でないわたしたち>

ぼくは、ずっと「町人文化」だとか
「町人社会」という視点で、
いろんなことを考えたりやってきた。
「市場」やら「社会」を考えるということは、
基本的に大衆市場や、大衆社会を考えることだ。
武家社会や、貴族社会、セレブ社会(?)を
想像しても、しょうがないし、
なんにもなりはしない。
しかし、このごろ、いつのまにか
「日本はサムライの国だよね」みたいな
不思議な幻想が霧のようにこの島国にかかってるようだ。
へんだろう? それは。
というわけで、いつものおじさんに登場してもらった。

品格だとか、プライドだの誇りだのだとか、
食わねど高楊枝だとか‥‥ね。
いつのまにか、昔の日本人が、
みんなサムライだったような錯覚に陥ってねぇか?

武家社会以後でしょ、サムライって。
1192つくろう鎌倉幕府でしょ‥‥他の説もあるけど。
武力を職業とする人たちだろ、サムライって。
そういうのを否定するつもりはないよ、あたしも。
いいよ、武士、武家、サムライ、みんな認めます。
実際に、いたんだから、認めないわけにはいかないし、
必要もあったろうし、力もあったから、
いられたんだと思うよ、歴史のなかにさ。

詳しいことは、知らないよ。
素人考えで言わせてもらうけどさ。
研究もしたことないし、
武士道の本とかいっぱい出てるのも知ってるけど、
読んだことないからね。

その武士って人たちはさ、
いわば刃物を持って、人を殺傷する技術を持って、
社会を統治しようっていう立場なんだからさ、
自分たちをかなりの知性で律してないと、
権力が腐ったり、危ないことになるってことを
わかっていたんだと思うんだよ。
統治される側だって、
ただただ力で押さえ付けられるもんじゃないからね。
従わせるだけの説得力のない為政者は、
実は自分の首が危ないんだよね。
立派であること、自分や自分たちを律せられることは、
いのちに関わるような力を持つ者たちの、
「実力」の一部だったんだと思うんだよね。

で、さ。
刀も持ってない、
耕したり、商ったり、建てたり、
削ったり、運んだり、愛想ふりまいたり、
魚とったりしてる
サムライ以外の人たちは、
武士の「規律」とは
ちがうルールで生きていたはずなんだよ。
しかも、サムライのほうも、
町人だの農民だのに対して、
「サムライのように生きろ」とは言えなかったんだ。
さらに、ここが重要なんだけれど、
世の中の人口って、サムライ以外のほうが、
ずっと多いってことなんだよ。

そんなこと、決まり切ってることだし、
あまりにも当たり前のことだから、
言うまでもなかったはずなのに、
このごろは、町人だの農民までもが、
「サムライってのものは‥‥」なんて、
自分のことを誤解しちゃってるんだよなー。
いや、誤解させてる
空気があるってことかもしれないな。

ま、でも、ほんとうにサムライとして生きてる人は、
いまでも職業としてありますからね。
軍人さんだとか、警察の人とか、
武人として武器持って仕事している人は、
サムライのルールに
従っていたほうがいいかもしれない。
あ、あと、サムライとして
生きようと決めた人もいるから、
そういう人たちは、
日常のあらゆる不便や不都合を超えて、
サムライとして生きるのがいいと思うよ、
選んでやってることなんだから。
だけど、そういう人たちが、
町人にも「そうやれ」ってのは、反則だよ。
そんでもって、町人のほうが、
自分たちのことをサムライの
「律」に照らしあわせて
裁きあったりするのも、迷惑な話だよね。

いろんな時代小説のなかで、
サムライの気持ちを知るのも、
偉いサムライがいたもんだと感心するのもいいよ。
だけど、読んでるあんたはサムライじゃないっつーの。
サムライじゃないから、
サムライじゃない人間としての
約束だのルールだのを守ること、
サムライにはできないような仕事をすることが、
大事なんだってことだよ。

ほとんどのあんたは、サムライじゃない。
サムライである必要もないし、
サムライを食わせてる役割の、大事な只の人だよ。
品格よりも、粋だとかのほうがわかっていたいことだよ。

日本をほんとうにサムライの国にしたいなら、
まず、ちょんまげを復活させればいいのにねー。

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2007-05-28-MON

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