<ひとりでやる会議の記録>
この『ダーリンコラム』というものを、
一週間に一度書いているのだけれど、
ささっとメモのような気持ちで
終わらせちゃうこともある。
また、ぐだぐだと、
話の持って行き所が見つからないまま、
あれこれ考えて、書くのをやめちゃうこともある。
今回は、書こうと思ったのに、
めんどくさくなって書かないでやめたことについて、
どんなふうに考えていたのかを、書いてみる。
「ひとり会議」というやつだけれど、
こういうことは、毎日のようにやっていますが、
なかなか飽きないものです。
腹話術みたいなものですから、
どっちがほんとうの自分だということもない。
この「ひとり会議」を、他人とやると
対談やらインタビューになるのだと思う。
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○「いまさらながらだけど、
ますます『トゥルーマンショー』という映画が、
リアルに感じられるようになってるね」
●「1998年だから、もうずいぶん昔の映画
という感じになってしまったけれど、
これは未来を予見しているって、
けっこう騒ぎになったもんだよね」
○「1998年というのは、
ほぼ日刊イトイ新聞の創刊された年なんだよ。
なんでもないひとりの男の日常が、
ずっとテレビ局のカメラに追いかけられていて、
大人気のドキュメンタリー番組になっていた‥‥。
そういうお話なんだけれど、
あのころの設定としては、主人公の行動を追っている
目玉としてのカメラというのは、
テレビ局というマスコミだったんだな」
●「インターネットの大衆化は、はじまっていたけれど、
テレビ局くらいの大きな仕組みがないと、
『トゥルーマンショー』という番組は
成り立たない、と。
そういうイメージだったんだろうね」
○「そうそう。
でも、いまはテレビも新聞もなしに、
『トゥルーマンショー』は成立するよな。
インターネットのおかげでね」
●「ブログに日記を書くという行為は、
自分自身が、意識的に『トゥルーマンショー』の
主人公を演じるということになっている」
○「世界中の人間が、みんな日記を公開してさ、
無数の『トゥルーマンショー』の
主人公たちになったら、
ひとりひとりの主人公が目立たなくなるから、
あの映画のような悲劇も薄まるかもしれないね」
●「そうかもしれないけれど、
それじゃ満足できなくて、
なにか大きなものを代償にしても、
主人公になりたいという気持ちも、
人間にはあるだろう。
世界の中心で愛を叫びたいんだよ、人は。
世界のはじっこで愛をささやきたい‥‥
という人がいるのと同じようにね」
○「たださ、実はけっこう怖いことをやってると思うよ。
自分のことを、どれくらいの質と量で
明らかにするのか、という判断は、
相当に技術の要ることだからなぁ」
●「日本には、
ずっと私小説の歴史みたいなものがあって、
さらけ出すという表現技術が、
磨かれてきたけれど、
それだって、作家が
自分や周囲の人たちの人生を狂わせたりしながら、
改築増築を繰り返した建物みたいに
つくってきたものだろう。
さらけ出すことと隠すことのバランスをとることは、
プロだって難しいからなぁ」
○「いま、村松友視さんが書いた
吉行淳之介の評伝というのかな、
『淳之介流』という本を
読んでいたんだけれど、
あの吉行淳之介でも、手ひどい傷を負っている。
そんなふうに見えないように
していたろうけれど、
下手をしたら
致命的な傷になりそうなことがあって、
そこをなんとか抜け出せたからこそ、
その後の吉行淳之介がいたんだなぁと思ったよ」
●「誰にも知られてない自分が、
誰にも知られてないことを前提にして、
自分なりの生をまっとうする。
これが、ふつうだったわけだよね、昔は。
政治家だとか、役者だとか、歌い手だとか、
見られたり語られたりすることが、
職業に大きく関係する人たちでなければ、
どう言ったらいいんだろう‥‥その、
天にお目こぼしされていたんだよね」
○「それがつまらなくてイヤです、という気持ちが、
人類の間に溜まっていたのかもしれないな。
何になりたいかはわからないけれど
有名になりたい、
という子どもがいっぱいいるらしい」
●「アンディ・ウォーホールが、かつて、
<誰でも3分間だけなら、
世界中で有名になれるだろう>
とか言ったらしいけれど、
どうして、いまのこの時代のことが
わかったんだろうな」
○「3分間‥‥だっけ? 10分とか15分間って、
言ったんじゃなかったっけ?
ま、ほんとは何分でもいいし、
3分のほうがリアリティがあるけれどさ。
中心に自分がいる、という状況なんて、
王様とか権力者しか味わえなかったものだろう。
誰もがその中心に自分がいるということを
意識できる時代が、ひょいっと来ちゃった」
●「グーグルアースで、自分のいるところを調べるとさ、
ここが主人公のいる場所です、
という気持ちになれるよ。
なにせ<おれんち>がまんなかなんだよ、いまって。
王様のお城からどれくらい離れているか、じゃなく、
<おれんち>から王様んちまでは、
どれくらいの距離なのかなぁ、だよ」
○「先週、『ソーシャル・ウェブ入門』という本が、
おもしろいって書いたじゃない。
その本のなかにあったコラムでさ、
<タイム誌の2006年の「年の人」は
「YOU=あなた」に>決定したとあったんだよ。
聞いたことがあるニュースなのかもしれないけれど、
無数の、いくらでもいる、
それこそ人間の数だけいる、
どこにでもいる「YOU=あなた」が、
PERSON OF THE YEARに選定されたってわけだよ。
これは、すごいことだよ」
●「YOU=あなた」って、
いつ選ばれてもおかしくない人物だったと思うんだ。
しかし、2006年という年が、
いちばんぴったりだったという気がするね」
○「PERSON OF THE YEARに選ばれた
世界のYOUたちが、この後、
PERSON OF THE YEARならではの強さや、技術を
身に付けていくんだろうか?」
●「ずいぶん、抽象的な言い方だけれど、
それはあえて期待したほうがいいかもしれないね。
そうなってこその、新しい時代だっていう気がする」
○「そういうあなた自身は、どうなの?
おおげさにいえば、何十年も自分を表現してるけど、
バランスというものはつかめているのかい」
●「たぶん、なにかコツはつかんでいるんだと思う。
生きているようすが誰かに見られているというのは、
とんでもなく大変なことでね。
たいへんな覚悟だの、強さだのと、
ほんのちょびっとだけの秘密が必要なんだよ、
たぶん。
いや、隠し事を持つぞ、
と決めることが大事なんだ」
○「それ、秘密という部分よりも、
ほんのちょびっとだけという部分のほうに、
力点がありそうな話だねぇ」
●「そう。そのとおりです。
それが秘密だったりしてね」 |
こんなところで、やめておきました。
自慢じゃないけど、ぐだぐだしてるでしょう?
そういうやつだから、です。 |