ITOI
ダーリンコラム

<ゆっくり噛んで食う>

このところ、『森川くんの断食中継』のおかげで、
あらためて、食べることや、健康のこと、病気のこと、
人体のことなどなどについて、
よく噛みしめて考えることができて、
ほんとうによかった。

毎日、当たり前のようにある
(あるとさえ意識できなくなっている)ものごとを、
いったん断つことで、
「それ」がどういう役割をしていたのか、
「それ」に対して何が、どう関係していたのか、
「それ」は、どうありたかったのか、
なんてことが見えやすくなってくる。

前から、うすうす感じていたことが、
腹から納得できた。
それは、「腹七分目健康法」についてのことだった。
一般には、「腹八分目に医者要らず」というけれど、
その格言のまま「八分目」を意識していると、
ついつい結果的に九分目以上も食べてしまうので、
イメージとしては「七分目」のあたりを
狙っていたほうがいいのだ。
なんと言っても、この考え方はいいと思っていた。
先日も、鍼灸の先生と話していたら、
「バランスのいい少食に勝る薬も治療もありません」
と、爽やかに言い放っていたっけ。
そうなんですよ、ぼくもずっとそう思ってます。
人間が、満足のいくだけの量の食物を、
手に入れられるようになったのは、
人類の歴史のうちでもつい最近の、
ほんのちょっとの時間しかない。
そのほんのちょっとの時間で、
人間の肉体が大きく変化したとは思えない。
人体は「食いものを得るのは簡単じゃない」長い長い時間、
ずっとその状況に生きやすいようにできてきたのだ。
だから、いまみたいに大食いを続けていたら、
身体に不都合が起こるに決まっている。
だろう? 
だーから、「腹七分目」だよねー。

‥‥しかし、
言うは易く行うは難しなのだ。
いくらでも食えるのに少なく食べる
というのは、実にむつかしいことだ。
どうしてむつかしいか、ということについて、
ぼくは、「気持ち(脳)が、身体以上に食べたがるから」
だと思っていた。
おばあちゃんの言う「口がいやしい」というやつね。
身体のほうも(身体ってのは、昔のやつだから)
うまいものがあるならば、
どんどん食べられるだけ食べて、
脂肪として貯蔵しておこうという姿勢なわけで、
「脳の意見に賛成っす」ということなんだろうな、と。

だから、よっぽどの目的があるとか、
とても人間ができているとかじゃないと、
いいに決まってる「腹七分目」は無理かなぁと、
なかばあきらめてもいたのだった。

でも、森川くんにつきあっての「いいかげん断食」で、
ついに、わかったんだよ。
ぼくは、その日の思いつきをメモした。
それを、そのまま記しておこう。

<早食いというのは、満足しないように食べる方法だ。
 味わうことをしないから、
 もっともっとと、量を食べる必要がでてくる。
 そうして、余計なカロリーばかりが増えて溜まって、
 満足を知らぬまま、その日の食事を終えることになる。>

いっぱい食べる人が、早食いなのは、
誰もが承知のことだと思う。
では、早食いは、どうしていっぱい食べられるのか?

それについて、説明を受けた。
曰く。
「人間が、満腹を感じるサインはいくつかある。
 ひとつは、胃壁の拡張である。
 胃の中が食物で満たされたら、
 ふくらんで胃の皮がつっぱるでしょう。
 それで感じる満腹感がある。
 
 また、水を飲んでも満腹感のサインになる。
 水分が足りなくても空腹を感じるものだ。
 
 だが、最も重要なのが、
 脳の唯一の栄養であるグルコース(ぶどう糖)が、
 血液に混じって送りこまれること。
 つまり、食物をとって血糖値をあげると、
 脳のなかの満腹中枢が刺激されて、
 余は満腹じゃ、となるわけだ。
 
 しかし、食事を開始してから、血糖値があがるまでには
 20分だったか‥‥それなりに時間がかかる。
 早食いをすると、満腹を感じる前に、
 たくさんの食べものを詰め込んでしまえる。
 だから、ゆっくりと、よく噛んで食事をとると、
 少ない分量でも、満腹のサインが脳に届くのだ」
というようなことだという。
表現が正確かどうかはわからないけれど、
おおむね、こういうことらしいのだ。

以上のような説明を聞く前に、
(断食見習い期間は)ぼくは「少量」の食事を、
急いで食べるのがもったいなくて、
しみしみとよく噛んで、ゆっくり食べていた。
そしたら、いままでと同じような食事が、
実においしいのだ。
しかも、かなり少なめの食事でも
「満腹」というより「満足感」があるのだった。
これなら、今後も「腹七分目」ができるかもしれない。
そういう自信のようなものまで、生れつつある。

で、ここまでで終わりにしてもいいのだけれど、
「満足」と「速度」の関係って、
食の問題ばかりじゃないなぁと、つくづく思ったのだ。

さっきのぼくのメモの「食う」を「読む」に替えてみる。

<速読みというのは、満足しないように読む方法だ。
 味わうことをしないから、
 もっともっとと、量を読む必要がでてくる。
 そうして、余計な情報ばかりが増えて溜まって、
 満足を知らぬまま、その日の読書を終えることになる。>
 
とにかくたくさんカロリーを摂取したい、
という場合には、速く掻っ込むように食ったり、
読んだり、考えたりするのがいいかもしれない。
しかし、なにごとも、
満足感のある「身に付いた」ものにするには、
ゆっくりとよく噛みしめてとりいれるほうが、
ずっとよさそうだ。
これ、あんまり早計に言い切るわけにはいかないけれど、
教育だとか、チームづくりだとか、
人間関係のからむものごとにも、言えそうな気がするなぁ。
時間とか手間のコストは、何倍もかかりそうだけどねー。

このページへの感想などは、メールの表題に、
「ダーリンコラムを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2007-06-11-MON

BACK
戻る