<昔はよかったのか? ほんとに>
まぁ、これまでにも似たようなこと言ってきたけどね、
「世の中がどんどん悪くなっている」とか、
「モノが豊かになって、こころの豊かさが失われた」
というご意見は、どうなんだろうね。
いや、そう感じる人は、
「わたしは、そう感じている」ってことだから、
感じるなよ、とは言えないんだけれど、
ちょっとだけでもさ、
「いや、まてよ」とか「ほんとかな?」と、
疑ってくれてもいいと思うんだよね。
ぼくも、江戸時代とかって
「いいなぁ」と思うところはあるけれど、
当然、いまより、ずっと激しい格差社会だよ。
「落語の世界は、ひとつの理想のひな型です」
とは言ってきたけれど、
それは、落語の物語のなかに、
町人の「あらまほしき理念」みたいなもんが
込められているってことでさぁ。
「日本国憲法」みたいな法のかたちで、
国民の理念を語ることもあれば、
「落語」という物語の体系を借りて、
「こういう世界がいいやね」と、
理想を語ることだってあるわけだよ。
だけど、正直なところ、
落語のなかの世界がユートピアかといったら、
そんなはずもなくてさ、
名作といわれるような人情噺には、
よく「娘を苦界に売る」という話がでてくるよ。
売らざるをえない状況があったわけだし、
それは当然のように「買う」人がいて
市場としてなりたっていたということだから、
いまだったら、大問題にされるだろうよ。
いばったサムライも出てくるし、
辻斬りだの、山賊だの、スリだの、ごろつきだの、
さんざん登場してくるよ。
夜だの、山道だのは「ぶっそう」なんだよ。
田舎者が江戸に出たら、生き馬の目を抜かれるっていうよ。
落語では、笑いにまぎれてこういう闇の部分には、
目が行きにくいけれど、
歌舞伎なんかだったら、
悪い奴がじゃんじゃん出てくるよ。
火消しだの、相撲取りだのってのは、
歌舞伎座のなかじゃ、
ほとんどやくざみたいなものだ。
あ、やくざだっていくらでも出てくるよ。
いいやくざと、悪いやくざがいます、
というような感じで。
食べものにしたって、
江戸の庶民の、
冷や飯にたくわんという食事に比べたら、
コンビニの賞味期限切れの弁当を拾う人たちのほうが、
豊かな食生活だと、言えなくもないかもしれない。
江戸時代より前の時代は、
国民総生産はもっと低かったはずだから、
もっとずっと悲惨なところが多いと思うよ。
ドラマになるような歴史上の人物とかってのは、
上の上のほうの人たちだから、
その時代の社会のなかでも
最高の豊かさを身につけているだろうけれどさ。
ただの庶民は、「食う」ことの安定が最大の目的だった
というくらいの厳しさのなかにいたと思うよ。
家族のきずなが、もっとしっかりしていたということも、
事実なのかもしれないけれど、
それは「家族以外が信用できない」ということと、
裏表の関係にあったんだろうよ。
恐ろしい世の中になったものだ、という人たちが、
タイムマシンに乗って、
もっとよかったという時代に到着したら、
ほんとのところ、どう思うんだろう?
物質的な豊かさばかりが、人間の豊かさでないのは、
承知の上で言ってるんだけど、
食料をはじめとする物質の豊かさについては、
いわば、右肩上がりで向上してきたわけだよね。
「モノが豊かになるほど、精神が貧しくなる」
という言い方がほんとうならば、
歴史は、さかのぼるほど精神的に豊かな社会が
見えてくるということになるんじゃないっすか?
うっそでしょう。
過剰に豊かになろうとするあまりに、
30年前まで不足していたはずのコレステロールが、
摂り過ぎ状態になってしまったり‥‥。
そういうようなことに代表される、
「バカみたいな豊か」は、確かにあるよ。
それについて、考え直すことも大事かもしれない。
だけど、「世の中が、どんどん悪くなっている」という
粗っぽい言い方には、なんか、
そう言いたい人の
都合があるように思えるんだよなぁ。
「このままじゃいけない」という危機感をあおって、
「オレの話を聞くべきだ」という本が売れるとかさ、
「こんなに社会はひどいことになってます」
ということで、ニュース番組の人気がでるとかさ、
「こんな世の中に誰がした」ということで、
政治的な活動をすすめるとかね。
ぼくは、正直に言って、
保守党を好きなわけじゃないし、
保守党の知恵と努力が、いまの日本の豊かさを
つくってきたのだとも思えない。
だけど、「いまという時代のいいところ」を、
どんどん悪くなった終着点みたいに言いたがる人には、
どうしてもついていく気になれないんだよなぁ。
昔からよく言われている
「いまの若者はなげかわしい」という意見に対しては、
「それと同じ文句が大昔の落書にもあったらしい」
というツッコミが定着してきた。
しかし、「時代はどんどん悪くなっている」については、
言ってる人の数も多いし、
いろんな文脈で言われているので、
ついつい同意させられそうになるものだ。
いいよ、ほんとに、そう思うなら思えば。
言うなら言うで、ごくたまにでいいから、
「じゃぁ、よかった時代ってのはいつどこにあったんだ?」
と、考えてもらいたいよね。
人のことばのなか、マンガのなか、映画のなか‥‥。
現実には、そんなものはいつだってないんだよ。
‥‥って書いたあげくに言うんだけれど、
少なくとも、20年前の、
みんながコンピュータを使わなかった時代には、
こんなに忙しくなかったよなぁ。
ちょうどいい不便さというようなものを、
デザインしてみたいものだなぁ。 |