ダーリンコラム |
<あなたはわたしを愛しなさい、て> 夏休みだからね。 なんか、ちょいと頭がゆだってるようないい感じのことを、 書こうかと思いながらさ、 中島みゆきを聴いていたと思いねぇ。 で、あ、これを書こう、と決めたんだ。 以下、行きます。 文法的はまちがっちゃいないんだろうけれど、 しかも、さらっと聞いたら、 なんにもまちがっちゃいないように思えるのに、 まちがっている文って、ある。 「どうして、あなたはわたしを愛せないの?」 と、詰問されている人がいたとする。 仮に、その責め立てられている人が男だとして、 「すいません」と謝っていたとする。 「すいませんじゃすまないわよ! どうして? どうしてあなたはわたしを愛せないかって、 訊いてるのよ、わたしは」 「いや、だから、無理なんで‥‥」 「無理ぃ?! 開き直るの?」 「開き直ってるわけじゃないんだけど、 愛せないものは、やっぱり愛せない‥‥んで」 「じゃぁ、じゃぁ、 どうして愛そうと努力しないの?」 「努力したんだけど、無理だったんで」 「無理で済ませようとしてるの。 無理で済ませられる程度の努力しかしてないんでしょ?」 「いや、おれなりに、努力はしたけど‥‥」 「ふざけないでっ! 誠実に努力したんだったら、愛せるはずでしょ、わたしを」 不条理コントみたいになってきちゃったけど、 この対話って、なんだか怒っている女が正しくて、 謝ってる男がまちがっているように、 思われちゃうよね、雰囲気的には。 でも、よく考えてみると、 もともとの怒りの質問が、おかしかったんじゃないか。 「どうして、あなたはわたしを愛せないの?」って‥‥。 愛するって、自由意思のはずじゃないかー。 愛するように努力する、ということも、 できなくはないだろうけれど、 その愛する対象を選ぶのは、愛する人の自由だろう。 世の中のいろんなことが、 権利だ義務だ、約束だ、公平だ、平等だ、で 語られているから、なんでもかんでも、 そういうもんだと思われがちだけれど、 どうにも公平でも平等でもないことって、あるんだよなぁ。 そのなかのひとつが、愛するとか、好きだという感情で、 神ならぬ人間に「博愛」を求められるのも無理だけれど、 「あなたが、わたし以外の人を愛する」という どうしょうもない事実を、 不平等だと責めることはできない。 たしかに、愛されないという側にいたら、 理不尽だと感じるかもしれないし、 不公平だと思うかもしれない。 だけど、「あの人を愛さないで、わたしを愛しなさい」 という命令は出せないものなんだよねー。 人が人であるかぎり、そいつはしょうがない。 そういうことが、あるんだよなぁ。 人間には、そういうことを、解決できない。 しょうがないことが、あるわけさ。 でもね。 人間の言語体系では、 「あなたはわたしを愛しなさい」 という言い方は成立しちゃうんだよね。 おもしろいような、困ったもんだというような‥‥。 |
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2007-08-13-MON
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