<こころについて、みじかく。>
おお、息子。
ま、あんぱんでも食え。
こころってなんだ、とかいう話になっても、
うまく説明できるもんじゃないけれど、
こころっていうものが、あるとしよう。
いや、あるんだ。
こころなんてものはないという人もいるけどさ。
あるとさせてください。
で、こころというものは、
ことばを持っている人間のなかにばかりあるわけじゃない。
ことばを持っていない人にも、こころはあるし、
ことばでうまく言えないこころのありようも、ある。
あかんぼうにも、こころはあるよな。
それは、もう、だれだって知ってることだ。
犬や猫にも、こころがあるのもわかるだろう。
よろこんだり、かなしんだり、くやしがったり、
犬だって猫だって、あかんぼうだってしてるじゃないか。
なぁ、息子。
お、あんぱん食わないのか。
そんなら、おれが食おう。もぐもぐ。
ことばでうまく言えないこころのありよう、というのは、
いろんな芸術で表現されたりもしてるね。
とくに、善であると言われにくいようなこころは、
ことばにするにも勇気がいるから、
名付けようのない思いとして、
うやむやになっちゃうことが多いよ。
いや、うれしいほうのこころにしたって、
そんなにうまくことばにできるものじゃない。
こころのほうが、ことばより古くからあるからかな。
ことばがあるせいで、
それをこねくりまわしているうちに、
もわぁっと生まれてくることばも、あるね。
そういうのは、ややこしいものだよなぁ。
でも、あるんだからしょうがない、楽しむしかないね。
なぁ、息子。
もうちょっと聞け。
水のむか? のむか‥‥。
ミネラルウォーターがあるぞ。
のんでいいぞ。
こころがきれいだっていうのは、
どういうことを言うのか、よくわからないけれど、
あんがい、人と人って、
そういうのを見破ってるような気がするね。
しらずしらずのうちに、こころを見合ってるよ、人間て。
こころが、どうやってできるのかなんてのは、
けっこう運みたいなところがあるようにも思えるね。
こころを悪く育てるための道のりを歩いてきたら、
こころをよごすのも、簡単なんじゃないか。
こころをきれいにしておけるような運も、
きっとあると思うんだよね。
そういう意味じゃ、
こころのきれいな人を好きだと思うのは
しょうがないことだけれど、
こころのきたない人を憎むのは、
筋ちがいなことなのかもしれないねー。
残念なような気さえするけどな。
自分は、どうだろう。
こころ、きれいか、きたないか。
どっちだろうねぇ、どっちかが多めなんだろうね。
どっちだとしても、きれいになれるといいね。
生まれたときには、みんなきれいだったんだろうねぇ。
寝てるのか、息子よ。
あ、寝てないか。
もう話は終わりだよ。
こころってのは、あるよなぁってさ。
言いたかっただけなんだ。
みんな、顔の表情やら、ことばを見ているようだけれど、
ほんとうは、こころを見合ってるんじゃないか。
そんなことをな、思ったもんでさ。 |