<犬は笑う。また「こころ」のこと>
おお、息子。
ま、豆大福でも食え。
英語で言えば、「MAMEDAIFUKU」だぞ。
マーメダイフーク、わかるな?
実をいえば、前にもした話をまたするんだ。
たぶん、この話は、
この先も何度でもすると思うんだけど、
また、あらためて残しておきたいということで、
書いておくことにするんだよ。
ずっと前から、かみさんは、
犬は笑うって言っていたんだよね。
「あ、笑ってる」というような具合で、
なにかと犬は笑うっていう考え方だったんだ。
おれのほうはさ、口角が上がって見えるということと、
「笑う」ってことはちがうと思ってるからさ、
かみさんの「あ、笑ってる」っていうことばを、
流して聞いていたんだよね。
否定はしてなかったんだ。
ほら、空の雲を見て「ひつじが逆立ちしてる〜!」
って言う人がいても、
「それはちがう、あれは雲だよ」とは言わないだろ。
だから、犬が笑うということについては、
なんとなく「どっちでもよいぞ」という気持ちだった。
でも、あるときね、ふと思ったんだよ。
「犬は笑う」ということと、
「犬が人間のような笑いの表情をする」ってことは、
まったく別の話でさ。
犬が、人間の笑いのような表情をしなくたって、
「犬は笑う」ってことはあるよなぁ、ってね。
つまり、人間が笑うときのような「こころ」は、
犬にもあるんじゃないかと思ったんだよ。
顔の表情筋が動くということじゃないけれど、
あるいは「あははは」という声がでるわけじゃないけど、
うれしさとか、よろこびとかの「こころ」は、
たしかに、犬にあるよなぁと、わかったんだよ。
だって、とてもわかりやすい表現で、
犬は「かなしい」だとか、「さみしい」だとか、
「腹が立つ」だとか「くやしい」だとか、
「つらい」だとかの、「こころ」を
いつだって表わしているじゃないか。
それについては、誰だって認めると思うんだよ。
犬に「かなしい」や「さみしい」という
「こころ」があるのと同じように、
「うれしい」「たのしい」なんて
「こころ」があるのは、もう、まったく当然のことだ。
なぁ、息子。
お、豆大福食わないのか。
豆大福っていうのは、つぶあんじゃないんだ。
こしあんなんだよ。
こしあんと、大福ってのが合うんだ。
うまいぞ。
食わないのか?
そんなら、おれが食おう。もぐもぐ。
んぐっ。
喜怒哀楽という四文字熟語は、
人間のこころだけを表わすものじゃないんだ。
ついつい、「こころ」ってものは、
ことばとくっついたものだと考えちゃうんだな。
だから、自分と同じようなことばを話す人間にだけ
「こころ」があるような気になっちゃう。
へたすると、自分と同じ国語をしゃべらない人や、
無口な人の「こころ」については、
少なく見積もられているかもしれない。
ことばよりも、「こころ」のほうが、
ずっと歴史があるんだよね。
喜怒哀楽というような感情ばかりじゃなく、
「やさしい」だとか「思いやり」だとか、
「やきもちをやく」だとかの「こころ」についても、
ことばのない時代から、きっとあったにちがいない。
人間の祖先ばかりじゃなく、
それこそ、犬だって、
そういう「こころ」があると思えるもの。
でさ、人類史10万年とか言われているけど、
その前のサル史だの、犬史だのの時代から足し算したら、
ものすごく長い時間、
われわれの先祖たちは、
「こころ」を見たり「こころ」を見せたりして、
生きてきたわけだよね。
ものすごく長い時間、それをやってきたんだから、
ものすごくそれについては、長けているだろうよ。
ことばを発したり、ことばを読んだりする歴史よりも、
「こころ」をたしかめあってきた歴史のほうが、
ずうううっと長いわけですよ。
なぁ、息子。
もうちょっと聞け。
水のむか? のむか‥‥。
お茶もあるぞ。
のんでいいぞ。
‥‥で、だ。
だから、いま生きている人間もさ、
「こころ」を見るのは、ものすごく得意なんだ。
たぶん、「こころ」のきれいな人が、
姿かたちのきれいな人にも増して好かれたりするのも、
人は学ばなくても、それを見ぬいている
ってことなんじゃないかな。
失敗したり人に迷惑をかけていてばかりいるのに、
みんなに嫌われない人とかって、
その人の「こころ」のきれいさみたいなものが、
人に伝わっているっていうことなんじゃないかねー。
そんなことを考えていると、
「こころ」の次元では、うちの犬のほうが、
自分よりも「いい」んじゃないかとか、
なかなか愉快な逆転現象も起こってくるんだよな。
いまの社会で優れてるって思われていることも、
「こころ」の序列にしたら、
あんまりたいしたことにはならないみたいだしね。
ってなことを言ってると、
なんか価値の転倒をおもしろがっているようだけど、
すでに実際の世の中では、かなり
「こころ」の位置は高く評価されていると思うよ。
だって、やっぱり「こころ」のいい人は、
みんなに大事にされているもの。
そんなことないか‥‥。
おれには、そんなことあるように思えるんだけどなぁ。
そんなことあると、思いたいだけなのかな。
犬は、笑うか。
そんな話からはじまったけれど、
こんなふうに、終わるよ。
寝てるのか、息子よ。
あ、寝てないか。
もう話は終わりだよ。
前にしたはずの話だったけれど、
またやってみたら、また別のものになったかもしれない。
比べてみたら、きっとどこか、ちょっとちがうよ。
たいていのことは、そんなもんだ。 |