ITOI
ダーリンコラム

<使うものが、使われる。>

おお、息子。
ひさしぶりだったかな。
ひさしぶりだったかどうかについちゃ、
忘れちまったな。
まぁ、お座りなさいよ。

今日は、こういうような話。

「使うものと、使われるものの間にはさ、
 それがたがいに逆転しちゃうという関係があってさ」
 
ま、それだけ言うと
ずいぶん簡単な言い方なんだけれどね。
もともとは、吉本隆明さんが、よく
とても大事なことを言うときの顔で、
話すことなんだよね。

このことを、「そりゃそうだよ」とか。
「そうに決まってるよ」と言える人もいるだろう。
実は、あたしもそのひとりでさ。
ヘーゲルだの、マルクスだのを勉強しなくたって、
「使うものと、使われるものの間にはさ、
 それがたがいに逆転しちゃう関係がある」
ということは、うすうすわかってるよな。

端的な例としてはさ、
「ぶってぶって、もっとぶって」っていうMは、
「じゃぁぶちましょう、しばりましょう」というSの
主人の役割になっているだろ。
「うえ〜い、ぶってやる」というスタート時点では、
Sは、主人だったはずだし、
やってることを見ても、そう見えるんだろうけど、
実際は「ぶってぶって」というのはMの命令だろ。
その命令に従ってるのが、Sなんだから、
スタート時の主従関係は、実は逆転しているんだよな。

‥‥たとえが、悪いか?
でも、その例えが、いちばん象徴的だと思うんだけどなー。

まぁ、息子よ。
そうあわてるな。
便所なら行ってこい。
小でも大でも、よければ中でもしておいで。

Sは、Mに使われちゃうんだよ、とにかく。
道具ってのも、そういうところがあるわけでさ。
もともと、道具は人にとって、道具だよ。
いつでも人間の自由に、役立てるための
生まれたものだよ。
銃なんてものだって、人間の都合で出来たものだ。
でもね、やがては銃と人間の関係が、
銃の都合で人間を使うという方向に、
ひっくり返っちゃうことになるんだよなぁ。
「そういうことは、個人の意志しだいでしょ」と、
おまえさんは言いたそうにしてるな?
息子よ、そういう側面は、たしかにある。
だけど、意思の強い弱いが関わっちゃうこと自体、
ひっくり返っちゃう可能性が
そこにあるということじゃないか。

そりゃね、おそらく、実際に弾を込めて、
撃てる用意をしてある「ホンモノ」を、
いつも持ち歩いたらわかるだろうとは思うよ。
そんなこと、しちゃいけないんだけどさ、
想像だけしてごらんよ。
ただ持って歩いているだけだって、
ずいぶん怖いと思うよ。
安全装置をかけてあっても、
他人にわからないように持っていても、
転ぶんじゃないか、落とすんじゃないかというだけでも、
ひやひやすることだろうよ。
おまえさんの意思を試すようなことを、
無言の銃がたえず仕掛けてきているとも言えるだろう。

たまたま、すっごく危ない場面に出くわしたとか、
偶然、ものすごく憎むべき悪い奴が現れたりしたら、
使いたかろうが使いたくなかろうが、
銃が、人間に強く命令するだろうよ。
「使え、使ってくれ、オレをぶっぱなせ!」ってね。
言ってくれるんだよねー。
それで銃をぶっぱなした人って、
世界中に3人や4人じゃないと思うよ。

まぁ、息子よ。
戦争は反対さ。

こんなぶっそうな例ばかりじゃなくてもさ、
ペットを飼ってる人は、わかると思うけど、
犬やら猫やら金魚やらが、
実は、おれの生活のリズムを決定づけているんじゃないか?
そんなふうに思ったことってないか。
そのペットが、たとえミミズだとしてもね。
ミミズが干からびないために、
ミミズのいのちからの命令にしたがっちゃうんだよね。

ミミズの次に出すのは、失礼かもしれないけどさ。
恋人だとか、愛人だとか、配偶者だとかだって、
そういうものなんだよ、よく考えてみたら。
もっとも、そのへんは、
相手から見てもそういう逆転があるかもしれないから、
なんとも複雑におもしろいことになるんだけどさ。

さて息子。

道具と人間の関係でいえば、
人類最古の機械とは、
「軍隊という組織」だという説もあるよね。
人間の都合で、この機械もつくられたんだけれど、
これも、おそろしく逆転しちゃうものなんだよなぁ。
「使っているつもりが、使われている」ことの、
徹底的な経験ができるかもしれない。

その「軍隊という組織」という機械のしくみを、
とても多くの組織が見習っているから、
「とても多くの組織」と人間の間にも、
「使ってるつもりが、使われている」の例が、
がんがんあると思うんだよねー。

コンピューターという便利な道具と、人間の関係も、
もういまじゃ、「使われるために買う」くらいまでの、
極端な逆転主従関係がありそうだ。
コンピュータだとか、ケイタイの電話だとか、
見ないでは生きていけないようになっちゃってる、
中毒のような状態に、けっこう多くの人がなってる。
もともと、あんたがSで、
コンピューターがMだったはずのになぁ。
コンピューターを使えるようになったら、
もっともっと便利で楽になる予定だったのになぁ。

もう終わりにしてもいいくらいなんだ、息子よ。

あえてまとめるならばさ、
ちょっと役立つ道具みたいなことを、
言って終わりにしたくなるものだよな。
でもホレ、道具は人間を使おうとするからよー。
おっと、乱暴な言い方になっちまった。
お道具は、人間をしばろうとするからね、
気をつけなきゃならないってことだよな。

おなじ道具なら、「ゆらゆらした道具」がいいんだよ。
使い道にルールが少ないとか、
どうでもいいことが混じってるとか、
うるさくない道具ってのは、
人間の上に立とうとしないよ。
つまりそれはな、例をあげるとしたらさ、
えーっと、安物の下駄みたいなものだとかさ、
折り込みチラシの裏のメモ帳みたいなものだよ。
ほしくない?
いや、ほしくないとかほしいとかの問題じゃなく。
折り込みチラシの裏なんてものは、
人間に命令しようとしないだろう?
だから、もの足りないという側面もありはするが、
ナマイキじゃないから、そこがいいんだ。
いつまでも、使い手の人間のほうが主人でいいんだ。

なぁ、息子よ。

人間の使うあらゆる道具だとか、理論だとかは、
こういう「チラシ」みたいなところがあったほうが、
いいんじゃないのかなぁ。
そう思うんだよ。
ん? そうさ。
公僕としての政治家なんてものも、
人間たちの道具なんだからさ、
「チラシ」みたいなところがなきゃいけないよな。
そうそう。いいところに目が行ったな。
人間も、他の人間の都合によって、道具になるんだから、
安物の下駄だったり、
新聞の折り込みチラシの裏側みたいな‥‥
そういうもんでありたいな。
うまく終われたじゃないか、おれも。

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<意味のない広告>
そういえば、「ほぼ日手帳」も、
使い手をしばらないように、と
強く意識してつくられてます。
使う人の下にいさせてもらえるようにね
‥‥と宣伝めいたことを言っても、
実は、もうほとんど完売してしまっているんです。
ロフトには、まだあるかもしれません。

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2008-04-07-MON
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