ITOI
ダーリンコラム

<ある没になったコピーの思い出>

『人材、嫁ぐ。』
これは、昔、ぼくが書いて没になったコピーだ。
当時の西武百貨店を中心にした
西武流通グループの企業広告のために書いたものだ。

そのころの一般的な企業では、
女性の働く機会というのは、
かなり限られた条件のなかにあった。
仕事を持った女性でも結婚すると
「寿退社」などと呼ばれて、
退職するのが常識のようになっていた。

企業のそういう現状があるなかで、
西武流通グループは、
結婚をして出産した女性が、
子どもに手がかからなくなってから
「再就職」のかたちで職場に復帰しやすいような
新しい人事システムを、つくりはじめていた。

このことを新聞媒体を使った
企業広告シリーズの
次のテーマにしようということで、
ぼくらの仕事はあった。
西武百貨店宣伝部の人たちと、
ぼくら制作者チームとで、何度かの打ち合わせを持ち、
ある程度表現の方向が決まってから、
個人的な制作がはじまる。

新聞広告のメインの写真は、
結婚式の花嫁さんにしようと決めてあった。
ボディコピーでは、
新しい人事システムのことを言うに決まっている。
ただ、それをどう言うのかは会議では決まらない。
ミーティングを解散した後で、
コピーライターの「いといちゃん」個人が、
まず書いてくることが必要になる。
それから、いいだのわるいだの、
もうちょっとココにコレがだのと、
意見を出しあったりする段階になる。

で、『人材、嫁ぐ。』というキャッチフレーズが生まれた。
あんまり説明するのも野暮だけれど、
この表現の大事なポイントは、「人材」という言葉だった。
この企業では、女性が
「おんなのこ」として扱われているのではなく、
能力を発揮して仕事をしている「人材」として
活躍しているのです、
というようなことを言おうとしていた。
そういう「人材」が嫁ぐ、ということは、
この企業で共に働く仲間として実に惜しい。
言い方は悪いけれど、「嫁がないでほしい」くらいに
あなたという女性のことを重要視しているんですよ、
ということが、このキャッチフレーズのこころだった。
そして、このキャッチに合わせて、
ボディコピーでは、嫁ぐあなたに、
「いつでも、即刻でも戻ってきてほしい」というような、
少々の冗談なんかも混ぜながら、
人事システムの説明がされていたと思う。

打ち合わせの場では、このコピーは大好評だった。
女性を、「人材」というか「企業の戦力」として、
確実に位置づけている会社だ、ということが、
とてもわかりやすく書かれている。
そして、そういう「人材」が、
再度職場に戻ってこられるようなしくみが、
整備されようとしている‥‥そういう企業です、と。

うまくいったなぁ、くらいの思いで、
ぼくらはこの広告のプレゼンテーションに向かった。
当時の西武流通グループの重要な広告は、
会長である堤清二さんと、
直接に話しあって決めるのだった。
トップが、自らの考えを気の済むまで話してくれる。
こちらからの提案についても、
遠慮することなく率直に説明できる。
そういう場が、定期的にあったことは、
ほんとうに恵まれていたと思う。
ぼくは、あの時代の西武の広告をやっていたせいで、
「広告」が「経営」の重要な一部分であることを知ったし、
最も責任のある人が「広告」を考えることが、
どれだけ力強い効果をもたらすかも学んだ。

夜の独りの時間を、
辻井喬という作家として生きている
堤清二さんという人物については、
いろんな人がさまざまなことを語るのだろうけれど、
三十代前半だったぼくの目には、
「真剣にたくさんものを考える大人」として、
先生のように見えていたものだった。

その日のプレゼンテーションの場も、
おおむね和やかに始まった‥‥のかもしれない。
忘れている。
いつものように、「いいですね」と言うかと思ったら、
むっとしたように堤さんは、押し黙った。
制作者であるぼくらのほうではなく、
社内の重役や、宣伝部の責任ある人のほうを見る。

「女性が結婚をするとか、出産するということは、
 その人の人生にとって、
 もっとも大切なことですよね」
言葉遣いはていねいだったけれど、
この人は、怒ったときほどていねいになる。
「その女性は、ひとりの個人として、
 結婚という大切な人生の門出を迎えたんですよね」
そうです、としか答えようがない。
しかし、誰も口をはさめないままだった。
「最も喜びに満ちた、ひとりの女性の、
 大切な人生のイベントを‥‥
 仕事が大好きで生産性やら効率やらのことばかり
 考えている西武百貨店のお偉い方々は、
 『ああ役立つ人材が嫁いで行く』というふうに
 見ているんですか?
 ひとりの人間として祝福されるべき結婚式の
 花嫁姿を目にして、人材が嫁ぐと考えているんですか」
語調はだんだん激しくなっていった。
「こんな、企業の論理を、
 女性たちに押し付けるようなことが、
 ぼくらのやりたかったことなんですか!」
 
コピーを書いたのは、ぼくだったのだけれど、
堤さんは、ぼくのほうを見てなかった。
社内の重要な役職の人たちに向かって声を出していた。
若かったぼくとしては、怒られている人たちは、
ぼくのせいで冤罪の誹りを受けていると思えて、
ずいぶんとつらかった。

堤さんの怒っていたことは、
当時の企業の常識からすると、
寝耳に水のようなものだった。
おそらく、企業でまじめに働く人々のほとんどは、
「人材」と呼ばれ、惜しまれて結婚退社する女性のことを、
よかったじゃない、と思っていたろう。
いまでも、その考えに近い企業人は、
いくらでもいるだろう。

自分が書いたコピーのせいで、
いつも楽しかった会議の場は、まっ暗になった。
しかも、ぼくが怒られるのではなく、
他の人が怒鳴られている。
「書いたのはぼくなので、
 いちおう説明をさせていただきますが」
なんてしゃべった憶えもあるのだけれど、
何かが言えたはずもない。

結婚や出産は、人間のすることで、
それは、他人にも、所属する共同体にも、
じゃまできるはずのないことだし、
少しでも妨害してはいけない。
そんなふうに、堤さんの言ったことをまとめると、
とても青い理想論のように聞こえるのかもしれないが、
『人材、嫁ぐ。』と、文字面と言葉の響きのよさを重視して
書いてしまったぼくには、
とてもよくわかる正論だと思えた。

せっかくの新しい人事システムができても、
「人材」が「嫁ぐ」と考えているような企業では、
そのしくみは、すぐに有名無実化してしまうだろう。
ほんとうは、
「仕事のできるキミには、
 ほんとうは嫁いでほしくないんだよ」と、
思っているかもしれないから。

権力を持っている企業の側が、
「ほんとうは嫁いでほしくない」と思っていたら、
結婚する女性にとって、よいことなどあるわけがない。
コピーを書いた真犯人のぼくにも、
そういう直感がはたらいた。

あのときの、堤さんの、あの怒りようは、
その後のぼくの考え方に、
ずいぶん大きな影響を与えている。
企業の依頼でコピーを書くという仕事をしてきて、
あの時あんなふうに、
自分の考えの根源が問われるのだとわかって、
ほんとうによかったと思っている。

いまでも「人材」とか「能力」とか、
「優秀な」とかいう言葉に、多少敏感になるのは、
あのときの会議のおかげだと思う。
「企業や、社会にとっての役割よりも、
 ひとりの人間として大事にすることがあるんだよ」
と、時々は意識的に思い出したりしないと、
ついつい企業のロジックを振り回してしまうものだ。
あの『人材、嫁ぐ。』という没コピーは、
ぼくにとっても、没になって助かった。

もう四半世紀も前のことだったけれど、
一度も忘れたことのない会議の思い出だ。

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2008-04-14-MON
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