<ありふれたことばで。>
講演のときの「たとえ話」には、
よくコップと水差しがでてくる。
それは、講演する人の目の前に、
コップと水差しがあるからに他ならず、
しかもそのコップと水差しが、
会場の聴衆にもよく見えるものだからだ。
それで、よいのだった。
それ以上のことは、いらない。
美しいものを言うのに、
咲く花のことを持ち出すのは、
あまりにもよくあるし、
聞く相手によっては
おざなりだと思われてしまうかもしれない。
でも、美しいと感じていることがほんとうで、
花のことを美しいと思っているのなら、
それで、よいのだった。
それ以上は、いつかまたあるならあればいい。
平凡なことばの数々。
ありふれた言い回しの山。
いかにもあたりまえな言い方。
名付けようのないもののために、
ちょっと借りてくることばの物置。
そういうものを手にとって、
おかしなものだなと笑いながらでも、
いじってしゃぶって吐きだせばいい。
生まれてから、今日までに、
おれは、おまえは、
どれだけのことばを借りてきたことか。
借りては返さず、生み出すこともできず。
コップと水差しと、花と陽射しのことを、
なんども何回も語ってきた。
それで、よいのだった。
それ以上のことは、できやしない。
好きな女を好きな気持ちは、
女の名を呼んでみるだけでいい。
こころからいやなことには、
ただただいやだと叫べばいい。
あとは、ちょっと借りたことばと、
思いつかないことばを持って、
ばかのまんまで笑っていればいい。 |