ITOI
ダーリンコラム

<ねずみ取り警報機>

なんとなく書きはじめちゃっただけなので、
人がどう読むのかは、見当もつかない。
でも、読んでくれる人は、どうぞ。


クルマの小物入れから、手のひら大の機械が発見された。
正式にはなんと呼ぶものなんだろう。
つまり「速度違反を取り締まるため警察の設置した機械を
発見する警報機」というようなものだ。
仮に「ねずみ取り警報機」と言っておく。

フロントのサンバイザーのところに付けておくものだが、
その取り付け用の金具がこわれて、
そのまま使わないでいたのだった。
ずっと前に通っていた歯医者さんから、
これは素晴らしいとすすめられて買ったものだ。
山梨県で二度も速度違反で捕まって、
かなりがっくりきていた時に、これさえあればと
強くすすめてくれたのだった。

実際に、この機械が役に立ったこともなく、
妙なところでピーピー鳴るものだから、
スイッチを切っていることのほうが多かった。
ちょうどいい時に金具がこわれて、
その後は死んだままになっていたわけだ。

まわりくどい言い方になるのだけれど、
すっごい機械なのかもしれないけれど、
なーんとなく、このマシンを好きになれないでいたのだ。

もともと、こういう機械について、
最初に、設置している人として思い出すのが、
いまは解説者になっている巨人の元投手だった。
彼は入団が決まったときに新車を買って、
その納車の時には、もうすでに、この機械を付けていた、
という話を記者から聞いて、なんだか、
新人の野球選手のやることとしては、
なんとなくかっこわるいなぁと思った。
入団の時の「抜け穴」的なもめ事と、
そのマシンを付けていることとは、
関係ないとも言えないような気がしていた。
たいしたことじゃないんだけれど、
自慢できる話じゃないなぁと、思っていた。

なんていうんだろ、ずるさでしのぐ、みたいな感じ。
もちろん、法律に触れているわけではないし、
ある意味では法律を守るために買う機械なんだけれど、
なんかちがうって気がしたのだ。

ついでみたいに言うと、
これをぼくにすすめてくれた歯医者さんも、
歯の治療についての正攻法ではなく、
歯の型をいっぱい窓際に並べていることが特徴みたいな、
妙な個性の持ち主だった。
この機械を設置したタクシーの運転手さんも、
なんだか、裏道や抜け穴について、
興奮気味に語る人が多かったように思う。

誰でも、たぶんそうだと思うんだけれど、
「抜け道」とか「穴場」とか「抜け穴」とか、
好きなところがある。
ちょっとしたコツで、人を出し抜くということには、
けっこう快感がともなったりする。
発明や発見と、抜け道探しは、紙一重だ。
野球を観ていたって、盗塁には拍手がわくし、
かくし球がうまくいくと愉快でもある。
弱い者が、知恵を使って勝ちを得るには、
いわゆるゲリラ的な戦略や戦法が必要になるし、
うまくいったときの一発逆転の劇的な爽快感は、
映画や小説になっても人々の心をひきつける。

しかし、いつの間にか、
そういう方法じゃなく、ちゃんと負けるほうが、
ほんとは大事なのではないかと考えるようになっていた。
今日や明日の勝ちが、とても大切で、
今日明日勝たないと生きていけないような状況なら、
けたぐりでも猫だましでも勝つべきだと思うけれど、
あさって以後にも成長していきたいという場合は、
大きな相手に手もなくひねり潰される方が、
よいのではないかと、自然に思うようになっていたのだ。

ぼくの中学生時代は、植木等の「無責任男」のシリーズが
大流行していて、ぼくもその頃の子供として、
「無責任男」をアイドル視していた。
それを、父親が、「あまりよろこばしいことではない」
というような目で見ていたのを憶えている。
笑いのタネとしての無責任男は、
大人のためのマンガとして十分におもしろいものだが、
ハンパな年頃の男の子が、
「俺も植木等演ずる無責任男のように、
楽して調子よくスイスイ無責任に生きよう」などと
本気で考えていたら、大人としては気持わるいだろう。

その時期、ぼくは映画館でも電車でも、
空いた席をとることが無闇に上手で、
父との小さな旅行でそれを実践してみせた。
そのとたんに、こっぴどく怒られたことがあった。
理由も説明もなかったけれど、
とにかく、座るな、立て、と凄い形相で怒った。
なんだか、その時にはよくわかっていなかったけれど、
父のほうが正しいように思った。

ぼくは、もちろん、正義漢でもないし、
倫理的に正しい生き方をしてきたつもりもないけれど、
勝ち負けや損得以外の価値が、あるとはずっと思ってきた。
「おまえなんかが?」と言われるかもしれないけれど、
確かに、なんか、あるのだ。

たぶん、自分の子供が、
裏道について抜け穴についてやたらに詳しいと、
ぼくに向かって得意そうに言ったとしたら、
少し腹を立てながら、何かしらちがう価値について
話そうとするのだと思う。
どういうことを言うのかなぁ。
「おまえは、もっと大きい人間になれるはずだ」と、
言うのかなぁ。
いわゆる立派な人間とか成功者とかいう意味じゃなく、
小さく見えても大きな人間という人たちは、
たくさんいるもので、そっちの道を歩いてほしいと、
そういうことを伝えようとするのかもしれないなぁ。

「ねずみ取り警報機」は、やっぱり変なものだ。
警察の取り締まりのやり方には、
面白くない部分も多い。
だいたい、ねずみ取りという機械そのものが、
ずいぶん卑怯なマシンだとも思う。
でも、それに対して「ねずみ取り警報機」を付けて
安心してスピードを出したいというわけでもなく、
裏をかいてほくそ笑みたいということでもないのだから、
やっぱり、この機械は、付けることはもうなさそうだ。
自分は、もっと大きいはずだ、と、
思って生きたほうが、やっぱり楽しい。

ひとりよがり、かもしれないんですけどね。

2001-01-15-MON

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