ITOI
ダーリンコラム

<食う幸せ>

20歳くらいのとき、学校も中退していたし、
何をしていいのかもわからず、
アパートの雨戸を閉めきったままにして、
時間の感覚もわからなくなるほど眠っていた。

起きて、本を読んだり、近所に買い物に行ったり、
風呂屋に行ったりしていると、一日が終わる。
頭のなかでは、えらそうなことを考えているつもりだった。
作家の名前を知っているだけで、
その作家と同じレベルのことを
考えているような気分になれた。
キャンキャンと弱い犬のような声で、
世界や人間について語っていられた。
何もしていないけれど、万能だった。
いや、何もしていないからこそ、無敵だった。

それはそれで、かまわないのだけれど、
近くにそういう若い時の自分がいたら、
説教してやりたいというくらいの気持だ。
ま、知らない仲でもないんだし、と、さ。

そういう頃のぼくのそばにいた大人たちは、
よく怒り出さずに、つきあってくれたものだと思う。
ありがとうございました。すみませんでした。

だけど、そういう弱さと生意気の時代にも、
いいところも、ちょっとあったなぁと思い出した。

お金がなくなって、どうにもならない時、
当時のぼくは、新宿まで出かけていって、
伊勢丹会館のなかにあったフルーツパーラーで、
グレープフルーツを食べることにしていた。
それをしなければ、あと数日食っていけるという
ぎりぎりの状態になると、何故かそうしていた。

いまはグレープフルーツは高いものじゃないけれど、
当時は、まだそれが珍しい頃だった。
特にガラス張りのパーラーに座って食べる
グレープフルーツは、ぜいたくそのものだった。
ハーフカットにして蜂蜜をかけてあって、
いくらくらいだったんだろう、
600円くらいだったかなぁ。

あの時のようには、いまのぼくは
グレープフルーツを好きではない。
いつから、そうなったのかはわからないけれど、
なぜ、好きでなくなったのかの理由が、
いま、やっとわかった。

あの二十歳のころにぼくが食べた、
グレープフルーツは、
「旅」だったのだ。
遠くに連れていってくれる
別世界への切符のようなものだった。

日常のお総菜や、
「ほぼ日」の大好きなコンセプトである
「まかないめし」には、
同じ場所を共有しているという安心感とよろこびがある。
これだけでも、毎日ごきげんに生きていられるくらいの、
すばらしいものだ。

しかし、時に、ごちそうというものがある。
ごちそうとは、日々を生きていくためのものではない。
あえて言えば、「生まれてきたことをよろこぶ」ものだ。
二十歳のぼくにとってのグレープフルーツは、
生まれてきたことをよろこべなくなりそうな自分に、
ひょいと差し出す旅の切符だった。
「こんなに世界は広くて、
こんなに世界は豊かだ。
わるくないだろう。
どこまでも続いているんだ、君のその場所からね」と、
あのグレープフルーツは、ぼくに語りかけてくれた。

翌日から数日の間、空腹に泣くことなんかよりも、
世界が広いということ、けっこう豊かなものなんだと
感じることのほうを、
生意気で取り柄のない青年であるぼくは、
選んだのだと思う。

それに気づいたのは、
あるフランス料理屋に行って食事していたときだった。
前に一度来て、おいしいなぁとは思ったのだけれど、
「フランス料理」というものを、ぼくは敬遠しがちで、
二度目に出向く機会を失っていた。
値段の高いというタイプの高級な店ではないけれど、
他のぼくの好きな店の料理人たちが、
自分のための食事を味わうために、そこに行く、
というような「いい店」なのだ。

満足しながらあらかた料理をたいらげて、
けっこう量も食ったじゃないかと、ごきげんになっていた。
さて、デザートということになって、
それぞれにいろいろ注文したなかに、
『桃のスープ』があった。
果物としての桃は、このところ
山梨の自家用のおいしい桃を分けてもらっていたので、
すでに十分に満足していたのだが、
この『桃のスープ』を食べていて気がついたのだ。

旅をしているようだ、と。
どこか遠くに、このデザートが連れていってくれる。
そうか。そう言えば、このデザートにたどり着くまでにも、
ぼくらは、おいしいとかうまいとか言っていたけれど、
あれは、そのテーブルを囲む仲間での
旅をたのしんでいたのだったんだ。

この日の前には、タイ料理屋で、
主に植物の香りを通して、
東南アジアの国をうろつき回っていたっけ。
さらにその前の日には、
大好きな夫婦のやっている鮨屋で、
魚といっしょに海を見ていたような気がする。
あの鹿児島からやってきた鰺は、
いままで知らなかった場所に連れていってくれたなぁ。

二十歳の、とても馬鹿野郎なぼくが食べていた
グレープフルーツと、
料理を誠実に作り続けている人たちの
「旅への切符」とが、いまごろになってつながった。

20歳の自分も、ろくでもないばかりじゃなかった。
「そういうところは、いいよ」と、
説教のついでに、ちょっとほめてやってもいい。

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ついでに:
タイ料理の店は、恵比寿駅のすぐ近くに
ケンタッキーフライドチキンがありますが、
そのビルの6階にある『Asia』という店です。
シェフは料理の鉄人にも出たらしい。
高くないです、うまいです。混んでいるかもしれない。

フランス料理のほうは、『十皿の料理』(朝日出版社)
という本の著者・斉須政雄さんの店です。
これは、それ以上の情報は書かないでおきます。
お客が増えればうれしいというものでもなさそうだから。
この本は、すごい。もう、ほんとに・・・黙っちゃうね。

鮨は、教えられる時が来るまで教えません。
そういうことも、あるんです。

2000-08-28-MON

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