ITOI
ダーリンコラム

<冷蔵庫を探すな>

何もすることが思いつかないとき、
あるいは、やるべきことがあって、
やらなくてはいけないこともわかっているとき、
人は皆、冷蔵庫を開けるものだ。

と、まるでセフティ・マッチ氏のように
書いてしまいましたが、
ま、「人は皆」っていうより、
「私は」ってことだね。

冷蔵庫という場には、
基本的に腐りやすいものが入っていたり、
食べきれなくて余ったものがしまってあったり、
すぐに食べたり飲んだりするための冷やしたものが
キープされている。

で、冷蔵庫をなんとなく開けたときに、
冷蔵庫のなかに、なにか素晴らしい発見が
あったためしはない。
特に、単身の所帯ではこんなとき、
「やったーっ」というようなうれしさは、
ほとんどないものだろう。

自分でいれたはずの、
「たかがしれているもの」が、
冷蔵庫のなかに入っているのを、
知っているのに、開けてしまうのだ。
退屈して、何度も冷蔵庫を開けるときほど、
その「なんにもない」感は露骨になる。

これ、なにかに似ていると思わないかい。
アイディアに詰まるときのパターンにそっくりだ。

仕事でもそうだし、彼女とか彼とかとの関係でも、
職業の道についての悩みでも、家族のことでも、
なにか「考えを生み出さなきゃいけない」時って、
もーのすごくいっぱいあるよね。

その時に、たいていは、みんな、
冷蔵庫を開けちゃうんだよなぁ。
「なんか、ないかなぁ」
と、いちおうは何かを探しているつもりでね。

冷蔵庫のなかに入っているのは、
過去の自分がストックして置いた
「あまりもの」なんだよね、だいたいは。
古いタマゴ、賞味期限の切れた牛乳、酸化したしょうゆ、
少し乾きはじめた味噌、水気のなくなったリンゴ、
缶入りのトマトジュース、しなしなしたレタス。
それを上手に工夫すれば、なにかできると思っていたから
それらは冷蔵庫のなかにあったのだろうか?
あることさえ忘れられていたから、
捨てるタイミングを失っていたから、
ただ単に捨てるにはしのびないから置きざりにされていた、
のではなかったろうか?

ぼくは、仕事がらなんだけれど、
アイディアの出し方について、よく訊ねられたりする。
その都度、なんかしら答えてきたつもりなのだけれど、
ぼくだけの方法と、みんなができるはずの方法が、
まったく違っていたら、ぼくの「答え」は
質問者の彼にとって意味を持たない。
そのことが、いつも気になっていたのだけれど、
この冷蔵庫の比喩を思いついたおかげで、
誰にも共通するような答えが見つかったような気がする。

きっと、今回のタイトルのとおりなんだ。
「冷蔵庫を探すな」が答えなんだ。
ぼくにとっても、あなたにとっても、
冷蔵庫を開ける時がある。
「天井から金がぱらぱら降ってこねぇかなぁ」
と望むことよりも、
なんかない?という気持で冷蔵庫を開くことのほうが、
よっぽど悪いような気がする。

冷蔵庫の内容をメモに書き出して
新しい料理を考えるのも工夫のひとつなんだろうけれど、
それは、たいていは、
ほんとうに求めているものじゃないのだ。
廃物利用の手芸みたいなものが、自分以外の他人を
決してよろこばせないことに、それは表れている。

優秀な、と言われる人たちは、
とてつもなく大型の冷蔵庫を、どんどん買い足していく。
なんでも入っているから、
どんな料理も作れるだろうと思うのだ。
これは、これでたいしたものだけれど、
「冷蔵」ってのは、新鮮さが失われていく速度を
遅れさせることしかできなんだよなぁ、残念ながら。
すばらしい板前さんや料理人は、
日々の仕入れに命を賭けているのであって、
食料品問屋のような冷蔵庫を持っているわけじゃない。

ブレイクスルー、とかいくらかけ声をかけても、
冷蔵庫のなかの食材で、問題解決はできない。
庭の柿の葉が、柿の葉寿司になるかもしれないし、
街の女の子たちが「みんなアユになっていた」と
知ることで、アユのできるまでを考えて何か
新しいことが見えてくるかもしれない。
本屋に行ったら、知らないコーナーに、
悩んでいることにぴったりの本があるかもしれない。
「冷蔵庫を探すな」というのは、
いままで問題解決できなかった馬鹿な頭を
たいしたものだと思うな、ということかもしれない。
(自分の耳も痛てぇなぁ)

「ほぼ日」を冷蔵庫がわりにのぞいてくれている皆さん、
ここは、なんとか「流れる冷蔵庫」を目指しているので、
大丈夫ですよ。と、言いたい。
どんよりしてきたり、人口甘味料とか使ったら、
ちゃーんとお客さんが離れていくのです。
ほんとに怖いんだよー、それって。

じゃ、また、来週月曜日に。

2000-10-02-MON

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