ダーリンコラム |
<思い出し笑いの人> 街をクルマで走っていると、 ひとりで思い出し笑いして歩いている人を見かける。 ぼくは、いつも思い出し笑いをガマンしている人なので、 そんなふうに思い出し笑いしている人に、 シンパシーを感じてしまう。 なにかあったのか、 いま歩いている状態とは「まったく関係のない心」で、 その人はそこにいるわけだ。 小学生のときなんかだと、 床屋さんで髪を切っているときに、 思いだし笑いをしそうで、ときどき笑わないように 怖いことや悲しいことを思って相殺した。 お葬式やらの、厳粛な式典の時に、笑いたくなるのは、 笑ってはいけないと意識しすぎるからだろうか。 なぜ、そういう気持ちを抑えるかといえば、 「アブナイ人」「ヘンな人」だと思われてしまうからだ。 どうしてアブナイ人ヘンな人だと思われるかといえば、 「社会に適合していないように見える」からだ。 道を歩いている時や、床屋で髪を切っている時には、 笑うような理由がない。 なのに笑うのは、アブナイし、ヘンだというわけだ。 しかし、人間には記憶ってものがあるわけで。 おもしろい、笑いたくなるようなことを、 後で思い出すってことは、ありうる。 ぜんぜんヘンなことではないだろう。 でも、その彼の記憶ことは他の人には想像できない。 だから、社会、つまり他人たちには、 因果関係のない笑いを浮かべる人がヘンに思えるわけだ。 しかし、と、ぼくは思う。 ぼくは「思い出し笑いの味方」だ。 会議などで、みんなが同じような考え方をしていて、 すっかり袋小路に入り込んでしまったときに、 まったくちがう文脈からアイディアやヒントを 引っぱり出してきて、 スカッとした解決への道を見せてくれるのは、 「思い出し笑い」の力だと思う。 別に笑うってわけじゃないけどさ。 つまり、その場の因果関係にとらわれない、 記憶のファイルから「場違いな何か」を 大胆にその場に放り投げてみることから、 突破力がうまれてくるのだ。 あんまり強調するとミーティングをさぼっていると 思われてしまうかもしれないので、 遠慮がちに言うんだけれど、 ぼく自身、会議の時間の5%くらいは、 「あらぬこと」を考えている。 その場を離れている時間があるのだ。 これが、とても大事な突破力を生み出している。 言い訳じゃないってば。 あとは、メインの話じゃないけれど、 ダジャレを言いたがるってのも、 ひょっとしたら「その場」を無理やりにかき混ぜようとする 意志の表れなのかもれない。 さらにメインじゃない、 男子青少年向けの限定な話題だけど 「ネタ」なしでオナニーできるかどうかというのも、 記憶や「その場」にないイメージを いつでも自由に取りだせるかどうかという問題なので、 それができる人はクリエイティブなセンスが あるのではないだろうかと、 ぼくは個人的に考えております。 クリエイティブスタッフの採用面接で、 そのあたりを訊いてみたいような気もするけどね。 ただ、女性の場合に「ネタ」は不要という説も 耳にしたことがあるので、 あんまり理論的につっこまれると困るような仮説です。 じゃ、そういうことで。 うふふふふふ。 |
2001-06-25-MON
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