ダーリンコラム |
<天下国家を論じる?> なんだかなぁ、と思うこと。 人がやること、人が考えることには、 いろんな種類のことがある。 植物を育てている。 草野球の場所とりのために早起きする。 カラオケで歌う曲を練習する。 赤ん坊のおむつをとりかえる。 アスファルトの道路を修理する。 好きな女の子に電話をする。 熱心に新聞を読む。 詰め将棋を考える。 仏壇にお灯明を点ける。 ダンスの練習をする。 泥棒を捕まえる。 酒を飲んでともだちと語り合う。 女房の肩をもむ。 受験勉強をする。 テーブルにこぼれた酒をすする。 スネ毛を剃って女装をする。 お百度参りをする。 昔モテた思い出を噛みしめてにやにやする。 救急の患者の血を拭く。 プール掃除をする。 珍しい蝶を追いかけて旅をする。 夜中に桃をむく。 手品のタネを仕組んでから寝る。 洗濯物を干す。 長電話でけんかをする。 自転車で遠くまで行く。 産気づいてあわてる。 でたらめに、いろいろ書きはじめても、きりがない。 人に迷惑をかけないかぎり、 どのことをするのが、どのことをするより上だとか、 あるいは下だとかいうことは言えない。 だけど、なんとなく、 「天下国家のことを論じる」ってことが、いちばん上で、 エライことだというような錯覚がある。 「オレに言わせりゃ、自民党ってのは」という話は、 「このカレーは、しょうゆをかくし味にしたのよ」よりも 上だということになっている。 上手に歌を歌って人を楽しませるひとよりも、 熱く政治を語る人のほうが上だと思われていたりする。 そういうもんかなぁ、と、ぼくはいつも思ってた。 そういうもんだとしたら、赤ん坊は、絶対に下だ。 そういうもんだとしたら、犬は永遠に下だ。 そういうもんだとしたら、江戸時代の人はみんな下だ。 そういうもんだとしたら、 こんな「悲しい時代」に笑っているやつは、罪だ。 そういうもんだとしたら、 「絶望的な未来」に生きる子供をつくる人は、バカだ。 ってことに、なるのかね。 人がやること、人が考えることには、 いろんな種類のことがある。 そこに、上だの下だのがあるとは、 ぼくには、どうしても思えない。 音楽を聴きながら昼寝をしているあなたに、 どうぞ、祝福がありますように。 天下国家を論じながら、犬ころを蹴飛ばすあなたに、 どうか、ろくでもないことが起こりますように。 |
2001-08-13-MON
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