ダーリンコラム |
<半端に終わるのが人生さ> おお、カッコつけたタイトルつけちまったなぁ。 すね者のポーズをとってるわけじゃないんだよ。 ま、とにかく書きはじめてみよう。 いまの時代に、かんたんに正義を語れる人なんて、 信用しにくいものだ。 ああすればいい、とか、こうしたらいいとか、 いくら言われても、胸に響いてこないというか、 腑に落ちないというか、 空々しく聞こえてくるのも、不思議なことじゃない。 だって、空々しいんだもん、ほんとに。 しかし、だからと言って、 絶望の上塗りをし続けるような人がいても、 その人に付いていこうと思えるもんじゃない。 あれが悪い、これがイケナイと言ってたからって、 その人に対案があるということは少ない。 あんたの利口なのはわかった、と言いたくなる。 じゃ、どうするんだよ、と言われたら、 どっちもいやだなぁと思っている人は、 どうすればいいんだろう。 平櫛田中という彫刻家は、百歳を超えてからも 現役として木を彫り続けたという。 そんな年齢になってから、たくさんの木彫用の材料を 入手していたのだという。 希望が彼を突き動かしていたのだ、とも言える。 俺は死なないぞ、という表現だともとれる。 しかし、ぼくはそうは思わない。 「なんでも半端で死んでいく」のが人間だと思うのだ。 木を彫って彫刻をつくるのだから、木を手に入れる。 あとどれくらい彫れるかなんて考える必要はない。 あとどれくらい生きたいから、 それに見合うだけの材料を買って気持ちを高める、 というような宣言でもない。 彫る、ということを考えていればいいのだ。 どっちみち、途中でゲームセットになるのだから。 どっちにしたって、なんにしたって、 半端になってしまうに決まっているんだもん。 希望だとか、絶望だとかなんてものは、 なんかの状態に名前をつけただけのものだろう? 口でなんと言っていようと、 彫っている人は、彫っている。 彫ってない人は、彫ってない。 しかも、「これでいいのだ、満足満足」なんていう 完全な充足感のなかで生を終えられるはずなんか、 あるはずがないのだ。 言い方を変えれば、それは、毎日満足とも言える。 どうせ、半端。必ず半端、絶対に半端。 だけど、すてきな半端ってのがある。 真実やら、希望やら、正義やら普遍やらを、 早く手に入れたいとあせるとろくなことはない。 たいていは、へんなモンをつかまされちゃう。 「へんなモンだって、ないよりはマシでしょう?」 と言われるかも知れないけれど、そんなこたないやね。 ないほうがましだ。 たいていの迷惑は、へんなモンを、 人に押しつけようとするところに発生する。 へんなモンは、ほとんど「半端じゃない」ふりをしたがる。 どうせ、と言ってもやけっぱちで言うのではない。 どうせ、半端に終わるのが人生で、 それはシーザーだろうが、ナポレオンだろうが、 家康だろうが、みんな同じなのだ。 ブッダだって、イエスだって、 別の種類の人々からは敵視されたりもしている。 真実のなんたるかも、正義も、わからないままで、 ぼくはぜんぜんかまわない。 そのくせ、しょっちゅう落ち着きをなくして、 希望について語ってみたくなるんだよなぁ。 半端に半端な人間だもんで。 ってことで、日曜日の夜中に書いた、 半端なテキストを、送信してみます。 |
2001-10-01-MON
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