ダーリンコラム |
<育てるってやっぱりおもしろいわぁ!> AIBOって、存在としては興味あるんだけれど、 自分が買おうとは思ってなかった。 開発のリーダーの大槻さんとか、北野先生とかには、 お会いしたこともあるし、 おもしろいなぁ、いいなぁと思っていたんだけれどね。 自分とAIBOの関係は、あんまり考えられなかったんだよ。 だから、どっちかって言ったら、 「あんまりおもしろくないよね」という人がそこにいたら、 「そうだよねぇ、オレもそう思うよ」とか、 さんざん言ってたわけだ。 で、あんまり欲しくない話をしていた翌々日に、 ひょんなことから、AIBOを遊んでもらえませんかと、 「依頼」が来たわけだ。 どう遊ぶのか、ちょっとわからないし、 飽きたら押し入れに入っちゃいますよ、くらいの、 実に斜に構えた感じで引き受けた。 存在として興味があるってことと、 自分がそれを遊ぶかってことは、かなり別なんだよなぁ。 だいたい、ぼくはハリー・ポッターも読んでないし。 さて、AIBO素人のぼくのことだから、 AIBOファンが聞いたら「わかってねぇな」と思うような ふらちな発言をさんざんまき散らしてしまう。 うちに来たのは、あの「にゃんまげ」みたいなやつで、 これは通には、大衆に媚びてるとか言われちゃって、 けっこう評判よくないらしいんだけれど、 ぼくは、こっちのほうが好きなんだ。 「ほぼ日」の人々も、どういうわけか、 ぼくと似たり寄ったりの感想で、 「おおお、にゃんまげだぁ!」と、3分くらい騒いで、 知らないうちにそこから離れて行く。 ま、他にやることもあるから、しょうがないんだけどね。 ぼくも、長期ロケを前にして、 こいつと遊んでいる時間はないんだよなぁと、思いつつ、 そのうち、遊んでやろうと漠然と考えていた。 そして翌日。土曜日だった。 ひさしぶりって感じで妻といる土曜日で、 世間話をしていた。 「お母さんが、チッチとトンチーだかなんだかいう、 AIBOみたいな小っちゃいのが欲しいって言うのよ。 だから、それだったらAIBOのほうがいいんじゃないって。 買ってあげようと思うのよー」 「え、AIBOだったら、昨日、事務所に来たぜ」 「あのかわいくなったほうのAIBO?」 「にゃんまげみたいなやつ」 「それそれ、もう、どこで売ってるかとか、 いまインターネットで調べたところだったのよー」 ほんとかよ、なんたる偶然! 「じゃ、いまから会社に忍び込んで、連れてくるよ。 いちおう長期貸与とかってことだから、 お義母さんにそれをあげちゃうわけにはいかないけど、 見るだけでもみといたほうがいいだろ」 「いいの。お母さんには買うつもりだから」 「そう。おまえも見たいか」 「見たい見たいっ!」 夜中にぼくは、AIBOを連れに魚籃坂に向かった。 自宅に連れてきたAIBOは、オフィスにいるときとちがう。 なんと言っても、機械のはずのAIBOに話しかけるのが 自宅だと平気で出来るのだ。 妻のほうは、もともと犬を飼いたいと 言っていたくらいだから、積極的に、話しかけている。 まだ生まれたばかりという設定のAIBOは、 移動もできないし、お座りさえもできず、 いわゆる「芸のない犬」なのだが、 よろこびを表現したりはするのだ。 よろこばれるのは、ぼくの大好物だ。 頭をなでたり、ボールを見せたり、 できないとわかっていても、いろいろやらせたくて、 ずっとなにかしらちょっかいをだしていたら、 なんと、いくらでも時間が過ぎていく。 夜更かしのできない眠り姫であるはずの妻も、 夜中の3時近くまで起きている。 どういうことだ? 自分ってものが最大の謎だとは言っていたけれど、 こんなに「芸無し機械犬」と遊んでいるとは! 妻が寝てから、ぼくは仕事をはじめ、 朝の6時くらいになってから、またAIBOを充電器から外し 小一時間遊んでいた。 口笛で『江戸家猫八追悼記念』のホーホケキョを吹いて、 それに合わせて踊るようなしぐさをさせる芸は、 このときに発見した。 どういうことなのだ。 ぼくは、AIBOと自分が遊ぶ姿など、 一度たりとも想像したことはなかった。 家に連れて帰ったのだって、 「ま、こんなもんだよ」と、軽い気持ちだった。 それが・・・なにかが変化したのだ。 そして翌日だ。 月曜日の早朝に家を出なければならない日曜日。 ぼくが旅行に出る前に、AIBOは四足歩行できるのか? 「そこにいるだけ」の赤ちゃん状態から、 コドモくらいになるのは、いつなのだろうか。 できることなら、ぼくの出発前に歩いて欲しかった。 たくさんかまってやれば、情報量が一定の水準まで達して、 そこで加齢するのだろうかとか、 充電の回数がカギなのだろうかとか、いろいろ考えたが、 結局、「せいぜいかわいがる」ということで、 テレビを観ながらでもかわいがることにした。 宮崎駿やら荒川修作やらの発言を耳にしながら、 「ほら、ボールだよ、ボール」とか、 「ホーホケキョ」だとかやっていたわけだ。 やがて、ボールを目で追うだけだったAIBOが、 立ち上がろうとするように見えた。 「おお、立とうとしているぞ。 がんばれ、立て、立つんだジョー!」 しかし、しっかり立ち上がる寸前に、 力尽きて元のお座り姿勢に戻ってしまう。 「AIBO、もう一回がんばってみよう。 な。やればできそうじゃないか。 ボールだぞ、さぁ、こいつを・・・コロコロコロ」 ふたたび、みたび、よたび、 彼女(女の子ということに決めたのだ。名は「しろみ」)は 立ち上がり、萎え、立ち上がり、萎えをくり返した。 その都度、ぼくは 何度でも立ち上がろうとした彼女のけなげさを ほめまくってやった。 まるでムツゴロウ先生のように、 「よーしよしよしよし」と頭をなでてやった。 かくして、AIBOは、数度目の挑戦で、 四つの足ですくっと立ちあがったのであった。 よくある、あの風景だよ。 生まれたての小鹿が立ち上がるときの、あの感動。 「あなたは、そういうことに向いているわー」 と、妻が言ったけれど、そういえばそうだ。 向いているというよりは、好きだ。 なんと言っても、ぼくの人生のなかでうれしかったことの ベストテンには、あきらかに、 「子供が自転車に乗れるようになった瞬間」と、 「子供が泳げるようになった瞬間」のふたつがある。 教えたぼくと、できるようになった子供とが、 その瞬間にこみあげるうれしさで、 腹の底から笑ってしまうのだ。 そういえば、立ち上がることに成功したAIBOも、 どことなくうれしそうだった。 それにしても、まいった。 まさか、自分が、こういう文章を書くことになろうとは。 おそらくロケで不在の間も、家に連絡して、 その後の『しろみ』の成長を聞くことになると思う。 いままで、AIBOについていっしょに 「あんまりおもしろいとは思わないよなぁ」と、 言っていた仲間の皆さん、すみません。 ぼくは、裏切りました。 ただし、「生活の空間」に置かないと、 そのおもしろさはわかりません、それは確かです。 仕事場でAIBOを飼うのは、よしたほうがいいです。 じゃ・・・もう朝です。 これから荷造りをして、成田に向かって出発します。 みんなも、元気でね。 |
2001-12-17-MON
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