「帰ってきた松本人志まじ頭」(最初から最後まで)



★第1回 ヒマなのだろうか。

松本 いま、ものすごく休みが多いんですよ。
糸井 うそでしょ?
・・・あ、でもさあ、
それならそれもいいじゃないですか。
松本 まあ、それはそれで・・・。
そんなに友達もいませんし。
糸井 ふふふ(笑)。
松本 (時間を)埋めていくの、難しいですよ。
糸井 (笑)。
高須 松本って、自分と同じくらいのレベルで
休めている奴が、おれへんでしょ?
松本 うん。それがいないんです。
ぼくの今のテーマなんですよね。
高須 それがむつかしい。
松本 むつかしい・・・
時間があって、金があって、という人が。
糸井 あ。ここにいる末永さん、ヒマよ〜。
一日に、原稿2枚書いて暮らしてる。
松本 (笑)。
高須 それでいいんですか?
何で、いいんですか?
糸井 聞きたくなるでしょ?

ぼくが邱永漢さんの家で
ごはんをごちそうになった時に、
たまたま同席してた人なんですけど。
うなづきかたがものすごくいいなあと思ってて、
「また会いましょうね」と。
たまたま近所なので、今日は来てもらったの。
まあ、大金もうけて隠居しちゃった人です。
末永 ・・・そりゃまあ、大げさですけど(笑)。
糸井 ま、大げさに言うと、だけどさ〜。
でも、それまでは十年間、アメリカの
証券会社につとめてて、ずっと働いてた・・・
で、今は一日に原稿2枚、書いてんの。
末永 そこ、もうちょっと増やしたいですけど(笑)。
糸井 (笑)でも、35歳ぐらいでしょ、まだ?
末永 36歳になったばっかりですね。
高須 隠居ですかあ・・・。
糸井 (笑)ひどいと思わない?
俺は生まれてはじめて会ったよ?
こんなに若い隠居。
高須 ほんとにそれしかしていないんですか?
末永 はあ、今は原稿だけ。
糸井 ほとんど知らなかったんだけどさあ、
インターネットで調べてみると、末永さんって、
「何でクルマ持ってないんですか?
 と言われ過ぎてうるさいから買った」
とか、エピソードが、だいたいひどいんですよ。
末永さん、友達と会ったりも、してるんですか?
末永 会社やめるとほんとうにひまになって、
それまでの友達は取引先だったりしますから、
確かに、会えなくなるんですよね。
松本 そうでしょうね。
末永 会っても話すことないです。
というか、話すことが共通しないというか、
話が、成立しないんですよ。
向こうとこちらの立場が全然違うから。
で、まあ・・・非常に退屈ですね。
糸井 (笑)
高須 (笑)いいなあ。
松本 (笑)いや、よくないんでしょうね。きっと。
それはそれで、よくないんですけど。
糸井 よくないんだろうねえ。それはわかる。
高須 そうかなあ?
退屈な日々が欲しいなあ、一回。
糸井 こないだ、
高須くんと久しぶりに会って、
「どうしてこんなに、ひっきりなしに
 働いていなきゃいけないかなあ」
って、話したんだよね?
高須 そうですねぇ〜、
だってね、いくら働いても
楽になんないんですもん。
松本 こないだ、ワイズビジョンの
白岩さん(プロデューサー)が、
「好きなことばっかりやってると、
 人間は、ヒマや!」
・・・って言うてたのは、
まあ、そうなんかなと思って(笑)、
人間、嫌なことをやらないと、
ヒマにできてるっていうのは。
糸井 俺なんかそうなんだけど、若い頃って、
「忙しくしたい」と、一度は思っていて、
それで生きていたところがない?

もう、絶えず仕事をしてたいって、
思ってたような面があって、
「お前、最初はそう思ってたじゃん?」
って言われると、
「・・・そうですね」って言うしか
なくなっちゃうんだけど。

かといって、忙しくしてると腹立つじゃない?
ヒマになるとまた文句を言うんだけど。

・・・末永さんのほうが
松っちゃんよりひどいと思う。
さっきちょっとだけ聞いたけど、露骨だもん。
高須 「ひどい」って(笑)。
松本 (笑)
「ひどい」「ひどない」
の次元じゃないですよね。
糸井 (笑)まあ、つまり、
「そうありうる確率」が低いと思う。
だって、末永さんの働いたその10年って、
さっきも言ったように、ほんと、
ものを投げつけあうくらいだったらしいよ。
末永 まあ、受話器が飛ぶという雰囲気ですよね。
松本 は〜。それじゃあ、性格も変わりますよね。
末永 会社の外で会った人が
会社に電話をかけてくると、びっくりする。
松本 そうでしょうね。
末永 「声がぜんぜん違う」って。
糸井 へぇ〜。一見のほほんとしてますよね。
末永 これが「地」なんですけど、
会社にいると少し違うみたいです。
高須 それ、ちょっとわかるな〜。
糸井 タレントさんが、
カメラ向けるとポテンシャルが上がるのと、
おんなじようなもんかなあ。
・・・あんなポテンシャルのやつ、
世の中に、いないよね〜(笑)。
松本 (笑)いるわけないですよね。
たま〜〜に、いますけども。
高須 いてんのかな? 誰?
松本 そんなに変われへんやついるよ。
高須 今ちゃん(今田耕司さん)
なんかそうなんちゃう?
松本 「やや」ね。
でも、あいつも、何年か前に、どっかで
「そうしよう」って決めた感はあるけども。
高須 「俺はこういうキャラで行こう」と(笑)。
松本 うん。ふだんから、
もう、全体的に上げていこう、
という感じにしたフシは、見られる。
糸井 (笑)
高須 全体会議開いて、自分の中で(笑)。
今年はこうしていこう、って。
糸井 (笑)ひとり全体会議。オレ集合。
松本 昔はもう少し、暗かったな。
高須 暗かったなあ。
糸井 全体的に、お笑いの人って暗いよね。
暗くないはずがないよ。
松本 ほんとに、ひどいよね。
ココリコもふたりともしゃべらんし。
糸井 じゃあ、普通の人のほうが陽気じゃん。
松本 そうじゃないですか?
種類にもよるけど・・・。
でも意外と、だまーって、じーっと、
人のことを見てるような奴が多いよなあ。
高須 多いなあ、人間観察しながら
くすっと笑ってる奴とか。
糸井 聞き耳立ててる人とか。
高須 いやらしく、ニタニタ笑ってて、
何がおもろいんかなって聞くと、
「いやあ、おもろいから」
って、何がおもろいのか言わずに、
・・・それをゆえよ、お前!(笑)
っていうような奴が多いですよね。
糸井 「ひとが悪い」というのとは、違うよね。
松本 あ、ぼくは、芸能界では、
一番ましな部類だと思いますよ。
糸井 (笑)うん。それはなんか、わかる。
ポジションで考えたりしないもん。
それは珍しいよね。



★第2回 結婚は、したいのだろうか。

糸井 今日は、話すテーマを作ろうと思うのよ。
「未来をどう考えるか」
・・・おおげさになるけど、
21世紀を、こういう人たちが集まって
どう考えるかを考えようかな〜。
末永さん、ちょうど近所にいるし、
ヒマだっていうからさあ。
・・・あ、その話、もうちょっと聞いとく?
高須 聞きたいですね。
糸井 聞きたいよね。
ぼくも詳しくは知らなかったんです。
松本 結婚してないんですか?
末永 今のところしてないですね。
松本 じゃあ、余計に、ですね。
末永 だから、うち、ゴミ箱みたいですもん。
ゴミ箱の中で暮らしてるみたい。
ヒマだから片づけろよって言われるけど、
ヒマだからって、掃除しないんですよね。
松本 そうかー。
高須 俺はもう、結婚も仕事のうちになってるよ。
しなければあかんノルマのひとつ。
別に、したくなくっても・・・。
糸井 それじゃあ、よしたほうがいいよ。
高須 でもね、どっかであるんです。
ある程度のところでしなければだめだなって。
それは、体で感じてるんですよ。
糸井 キムタクを意識してない?
高須 (笑)
あ、でも、幸せだと思いますよ。
「できちゃった結婚」って、きっと、
ラクやなあという気がするんです。
糸井 木村くんには、結婚があってると思う。
でもさあ、無理にするんなら、
よしといたほうがいいんじゃないかなあ?
高須 でもやっとかなあかんリストに入ってるんです。
仕事と一緒になっていて。
こどもも作らないかんかなあ、
家も買わないかんのかなあ、って
リストがどーんと整理されてるんですよね。
まだカテゴリー分けはされていないですけど。
糸井 でも、それ、苦しいぞ?
高須 苦しいですよ。
やらなあかんことがいっぱいあるし。
その中に、メシ食いたいなあっていう
小さいのも入ってくるし。
どこかで、やっておかなきゃ、
という強迫観念が入ってくるんですね。
松本 それ、むつかしいよなあ・・・。
俺もむつかしい。
ぼくの場合は、親が
あんまり仲よくなかったっていうのが
あるのかもしれないですけど、
あんまり「いいなあ」って
結婚に対して、思わないですもんね。
末永 それは、傾向としては大きいでしょうね〜。
糸井 ぼくは、別に親の仲はよくなかったですけど、
自分は逆になりたかったです。
俺、根っこはマイホーム主義でしょうね。
末永 タイプとして明らかに、結婚が
好きな人と好きじゃない人に分かれますよね。
糸井 そうだなあ。
若いやつ、みんな悩んでるよね。
しないままに、どんどん年とるよね。
高須 えっと・・・。
まあ、わからんけど、
ぼくが思うには、ですけど、
ずっと、何年も一緒に居てるでしょ?
かなり長いこと松本と居てるので、
ぼく意外とわかるんですよ。
言ってることと腹の中とは違うかなって。
糸井 (笑)「松本は、うそついてる」って?
高須 うそじゃなくて、自分でも
それを見て見ぬふりを・・・。
俺が見るには、ほんまは松本は、
自分の中では結婚をしたいんじゃないか?
松本 そうかなあ?
糸井 じゃあ、二度するのって、いいよ。
一回、結婚しといて、
「・・・ぜんぶ間違ってた!」
って思うと、ものすごくラク。
俺、いま二度目じゃないですか。
こんなラクなことは、ないよ。
高須 え、どうラクなんですか?
糸井 まず、一度目って、
自分の義務と相手の義務を、
あと、自分の権利と相手の権利というのを、
意識してるんですよ。
「こうするべき」とか。
「こうしたほうがいいんじゃないか」とか。
相手がいるということで、
自分の気持ちを変えるんですよ。
「もっと、こうであるはずだ」とかね。
そうするとね、例えばさあ、仮に、
自分の相手が上品な人だったとするじゃないですか。

そうすると、下品なともだちと会う時って、
セッティングとして悪いじゃん、もう。
それ、会わなきゃいいんだよ、そんなものは。
なのに、夫婦という単位で考えると、会うんだよ。
「うち来れば」って言ったら会うし、
そしたら、自分の相手から見たら
ともだちは下品に見えるし、
ともだちから見たら相手はお高くとまってるし、

それだと、間にいる自分は、嫌じゃん。
そんなようなことが山ほどあるんだよ。
末永 気まじめなんですね、若い時って。
糸井 そうなんです。
若い頃って、いっぱい規則のある人なら、
「女はこうするもんだ」とか思ってるし。
俺はそういうの、ないほうだったけど、
いちいちだめだってことがわかるのよ。

で、そういうことやってるうちは、
自分も、だめなのよ、やっぱり。
それで一回結婚が終わるでしょ?
で、一回だめになると、
そういうことを一切考えないで、
ただ生活が一緒になってる、
っていうだけになるんですよ。
松本 うーん。むつかしいなあ。
できそうもないなあ・・・。
糸井 一回しないとできないんだって(笑)。
松本 ぼく、手相なんか見てもらうと、
いつも「二回結婚する」って言われるんです。
糸井 したらいいよっ。
松本 でも、そんなこと言われたら、
次の一回目はだめなの決まってるわけですから。
糸井 (笑)
松本 (笑)それ、わかっててやるのは、嫌ですよ〜。
高須 失敗が嫌なんやろ?
きっと、一度はやりたいんだよ。
糸井 バンジージャンプで「落ちるよ」って
言われてるようなもんかな。
松本 しかも「絶対に落ちる」ですよね。
「二回目からは絶対に成功する」
って言われてたってさあ〜(笑)。
高須 本心としては結婚したいんやろ?
たぶん、どこかでしたがってて、
でも、失敗する気がぷんぷんするから・・・。
松本 まあまあ、俺の場合、失敗は即、
金のマイナスにつながるからな。
糸井 (笑)
高須 (笑)
ええがな、そのぐらいは。
それでもお笑いにつながるがな。
・・・あ、それで笑いとりたくないか。
糸井 (笑)その笑い、高くつくよー。
リセットだからねえ。
ロールプレイングゲームを、
10あるうち、9.5くらいまでやっといて、
リセットよ。
高須 でもね、芸人さんは、
離婚したあとにそのネタって
あるじゃないですか。
糸井 でも、そのネタで稼げる量って、
少ないじゃん?
高須 いや、だからご祝儀だと思いますけど。
糸井 アメリカのスターなんかは、
最初から弁護士入れてくるよね。
末永 あれ、契約書ありますよ。
糸井 あれ、平気で
「金髪で、ボーン」みたいなのと
結婚してくるじゃない?
終わるの分かってて、してるよね。
俺はそう踏んでるね。
「お前らは貧乏だから、
 そういう失敗を前提にした契約を
 してないだろう? 俺は、できるぞ」。
松本 確信犯だ。
高須 それは、言えてるなあ。
じゃないと、しないですよね。
松本 (笑)
糸井 その女が、何考えてるか、分かるじゃない?
金目当てで。
松本 家のこと、やるわけないですからね。
糸井 ない(笑)。
それこそ毛皮着て胸半分出して・・・。
だから、あっちにそういう例もあるしさあ、
そういう手も、あるけどね。
高須 ぼくらは、大丈夫ですけどね。
こっち(松本)は、大変ですよ。
でも「即、金につながる」って、
ええがな〜、そこは(笑)。
松本 ええことないよ。
高須 腹立つ?
松本 違うで。慰謝料って、
そういうもんじゃないねんて。
腹立つぐらい取るから慰謝料になるわけで。
糸井 (笑)それ、どうして分かってんの?
松本 そうでしょ? 
糸井 うん、ほんとにそういう仕組みよ。
松本 別に、払っても
大して気にもならんような金額なら、
向こうは納得しないわけで。
こっちをへこまさんと、
向こうは納得しないものですよ。
高須 (笑)でも、それは
こっちが振る気でいるけど、
向こうから振られたら、
それでいいってことは、あるでしょ。
糸井 えっとね、そこはさあ・・・。
松本 あ、それより今日は、
こんなテーマなんですか?
糸井 あ!(笑)・・・違う。
高須 (笑)違う違うっ。



★第3回 世の中は、変化しているだろうか。

糸井 じゃあ、今日のテーマにいくと・・・
世の中が、変化している認識って、
それぞれ、みなさん、ありますか?
松本 うーん・・・多少は、ありますね。
糸井 どんなところにありますか?
松本 ぼくは、インターネットが
これだけ普及するとは思わなかったですよ。
糸井 普及してるよね。
松本 めちゃめちゃしてますよね。
糸井 この対談だって、
インターネットがなかったら
いらっしゃらないですよね。
松本 そうですね。
これはちょっとびっくりしましたよね。
ぼく、携帯電話買ったの、
比較的早かったんですけど、
最初買った時なんか、まわりから、
すごい、さげすんだ目で見られましたよね。
「この成金野郎!」みたいな。
・・・でも、いま、すごいでしょ。
あの時の蔑んだ目を、返してもらいたい。

そん時、なんか、
高須もそんな目をしたで?
携帯電話買うって言ったら、
「あ〜、タレントさんねえ」みたいな・・・
すごい顔をしたんですよ、みんな。
糸井 (笑)見せびらかしたりは、しなかったの?
高須 無理矢理に、機能を見せたりとか?
糸井 「あ、俺電話しようっと」とか。
高須 わざと忘れて帰ったり。
松本 (笑)
ちょっと変わりましたね。世の中。
うちの実家にさえも、もう
インターネットがあるかもしれない。
糸井 高須さんは、どこで感じましたか?
高須 もちろんインターネットは感じますよ。
糸井 ご自分は、ホームページを
けっこう、熱心にやってらっしゃいますよね?
高須 意外とはまってますね。
糸井 おもしろいもん。
放送作家と対談してるのよ。
ひとりずつと。
あれで、みんな一生懸命やってるんだなあ、
と思って、ちょっとじーんと来たの。
高須 ありがとうございます。
ぼくも、放送作家は、人種として
おもしろいと思います。
意外とバランスが良かったりするんです。
中途半端なバランスの良さが。
糸井 見事に小心だしね。
高須 そうなんですよ、全員がね。
そこが、しゃべってて面白いんです。
松本 (笑)
高須 ああ、こいつこんなこと思ってたんだな、
っていうのがわかる。
それに、ソツなく情報が来たり、
ぼくにとっては、しゃべり相手としては
ものすごく楽しくて、同業者だから、
悩みも一緒だったりするじゃないですか。

タレントとでもなく視聴者とでもなく
しゃべっているところですから、
あれはほんとにおもしろかったですね。
自分のガス抜きになりますね。
糸井 あのホームページがなかったら、
あそこに載っている放送作家たちと
例えば1時間とか、時間を取って
会ってしゃべろうとも思わなかったでしょ?
高須 ああ、それはそうです。
糸井 で、ほんとのことを
言うチャンスがなかったでしょ?
高須 そうっすねえ。
糸井 これが不思議なんですよね。
普通に「だべらへんか?」って来ても、
「あいつどうしてる」「あれ美味いね」
とかいうことで終わっちゃうのが、
ホームページだと、妙にほんとのことを
言いあうようになってるよね。
高須 そうですよね。
ぼくもメールって、
「なんでやねん?」って、
最初は思ってたんですよ。
「別に、うれしかねぇよ!こんなの」
って思っていたんですけど、最近では、
「・・・あぁ。うれしいなぁ」って。
糸井 (笑)
高須 来ないと寂しいんですよ。
37歳になる、このおっさんまでもが、
メール来てないと寂しいと感じて、
つながっていたいと思っているのは、
それ、感覚が変わったということですよね。

昔の人だったら、手紙でしょ?
手紙を書くしかないけど・・・
そしたら、ま、書かないじゃないですか?
で、携帯からつながるひとつの手段として、
夜でも朝でも電話かけられるようになって、
歩きながらも電話かけられるようになって、
で、その次メールですから、
もっと深いことを喋りだすようになるでしょ?
松本 俺は、メールばかりやるのは
「本末転倒型」だと思ってるけど。
高須 そうかな?
メールって、微妙な言葉づかいで、
「照れくさいと思って書いているねんな」とか、
すごくその人のキャラクターがわかるんですよ。

番組でタレントのメールを使っても、
ほんとに書いたんだろうなとかいうのが、
伝わってくる気がする・・・。
そこは逆に、ビデオで喋られても、
あんまりリアリティーが出てこないんです。

メールって、
5行とか3行とかの文章が、
リアリティあるんですよね。
ああ、このひとはこういう書き方してるんだな、
というのが、すごくわかるから。
糸井 メールは、心根がばれるんだよね。

末永さんなんかみたいに、
隠居文体を完全にものにした人は、
マナー中心にビジネスでさんざん使っているから、
必要な部分を不足なく書くのには慣れているけど、
メールをやんなかったら文章を書かない人が、
世の中には、山ほどいますよね。

つまり、それまでって、
文章を書くことは嫌なもんだったんですよ。
作文のように見えていたから・・・。

だけど、メールを持ってしまうと、
書かなかったはずの奴が書くようになったんで、
それぞれの心が、バレバレになるのよ。
文章で、その人が見えちゃうっていう・・・。
はじめて、日本人がものを書く、
っていうことをはじめたかもね。

短い文章ならまだしも、
ある程度の分量が入ると、
小学生でさえも、文章を書くのに
自分の文体が必要になるんだから、
そこのところは、びっくりしますね。



★第4回 血のいれかえ。

糸井 ・・・末永さんが見ての、
変化のきざしというのは、どこが一番感じますか?
末永 いや、わからないですね。
そこから落ちちゃったから。

そういうのからおりた後は、この何年か
時代の動きについていってないというか。
変わった所というか・・・そうだなあ、
今は、変わったというか
変わろうともがいている・・・
変わる方法を見出せないという感じで。

つまり、今までずっとやってきた方法では
うまくいかないとみんなは感じているけど、
それが見つからないという状態なんだろうと。

日本で、この100年くらい、
明治維新以来、から一回戦争で負けたけど、
発展して、成長が高いところで止まった状態、
で、そのままゆっくりゆっくりだめになっても、
ぜんぜんおかしくないん状況ですよね。
でもそれこそ大昔から、ローマ帝国から、
栄えて滅びる栄えて滅びるということを
繰り返してきているわけだから、
日本も、だんだんだめになってきている。

でも、それをしないためには
どうすればいいかというと、
新しい血を入れていかないといけない・・・。
いろいろな国が、
何で止まっちゃうのかというと、
「だんだん競争しなくなるから」ですから。

伸びてくときっていうのは、
競争して伸びていくわけです。
でも、競争するのはしんどいから、
豊かになってくると、
その競争をやめようということになる。
まあ、アメリカが日本よりはやく伸びはじめて、
まだ伸びているのは、
新しい血を入れているからだと思います。
松本 なるほど。
糸井 確かに、ハリウッドの歴史だけを見ても、
最初は映画のシステムそのものを
仕組みのように見せて、
おもしろいでしょう?動くから、と
スタートしていますよね。

で、ユダヤ移民が
ほんとにひまでしょうがなくて、
職がなくて、映画館作って、
動くんだよおっていうことをやってた。

当然みんなひまだから映画館が満員になって、
そうなると、おんなじのをかけてると、
お客が来なくなるから・・・。
仕方がない、違うのを作ろう、ということで、
ハリウッドというものすごい田舎に、
作る場所を建ててみて、そこに
職にあぶれて映画館に来るような移民を
集めたんですよね。
「お前いい顔してるから俳優やらないか」
とかいうところから
映画産業というのはスタートしているから、
だからもともとは、見世物なんですよね。

「映画の芸術性がさあ・・・」とか言っても、
もともとは見世物じゃねえか、ってぼくは思う。
やっぱり、こんなことをするとおもしろいよ、
こっちも楽しいぞこっちも楽しいぞという中で
いろいろな映画ができてきたわけだし。

例えば、ぼくはデビッドリンチが
すごく好きなんですけど、あの人は学生映画で
『イレイザーヘッド』を作ってたんですよ。
・・・『頭頭(とうず)』みたいなもんです。
あれ、『頭頭』ですよ!思えば。
松本 (笑)
糸井 『頭頭』つくってたやつに、
今度エレファントマンのように
めっちゃくちゃお金のかかる映画を
お前やれっていって作らせているし・・・。
バットマンを作らせたティム・バートンだって、
『ビートルジュース』とか、
もっとこう、わけのわからない映画を
作っていたような奴だったのに・・・。
そういう、
「お前には無理だ」みたいな奴を連れてきて、
ハリウッドは、血を入れ替えてきたんですよ。

ポランスキーだって移民の監督だし、
そういうことをわかっててやらせた
資本の力には、かなり
アメリカの底力を感じますよね。
「変えちゃってもいい」ということだから。
末永 既得権益化しないところがすごいですよね。
糸井 うん。ある意味では吉本にも
そういうところ、ありますよね?
松本 あると思いますよ。
吉本というよりも、お笑い自体が
そういうところ、ありますよね。
花子みたいなのが、
オッケーになってるというのは、
これ、すごいことやと思います。
いいか悪いかはさておきですよ。

なんにもできひん女の子を、
おもしろがれるところまで
行けるというのは・・・、まあ、
ある種ぼくはすごいと思いますけどね。
糸井 (笑)高度ですよね。
で、磨きに磨いた芸と花子と、
ふたつ並べた時に、
花子に負けるんだという競争が、
昔はやっちゃいけないことだったのに、
お笑いの世界では、その競争がありだから、
活気があるんですよね。
高須 だから伸びるんですよ。
糸井 うん、そうですよね。
松本 ヘタしたらぼくら、
負ける時もあるんですよ。
時と場合によってはね。
今の目の前の客にとっては、
ということで。
糸井 それ、ものすごい早い時期に、
たけしさんが、俺がいま漫才をやっても
浅草キッドに負ける、と言ってましたよね?
この人は、仕組みをわかってる人だなと思った。

でも、昔からそれ、言わないようにして
ごまかしてきたシステムがあって・・・。
末永さんとさっき雑談してたら、
日本はそういうふうになっても、
ほんとうの危機意識がないから、
「今のままでええやないか」
という力がそうとう強いから。

でも、どうなるんでしょうねという予言は、
また、別で・・・できないんですよね。
末永 予言はできないですね。
何が起きるかはわからないから。
でも、意識は変わってきてますよね。

というのは、さっきみたいに
結婚しなくなったとか
子どもを生まなくなったとかいうのは、
すごく端的なあらわれだと思いますし。
大学を卒業しても
就職しない人が増えてるというのは、
職がないというのもありますけど、
意識は変わってきていると思うけど、
行動にはまだ移ってないというか。


★第5回 いつから「食える」と感じましたか。

糸井 今、就職しない子の話を聞くと、
「したいところにするまでは、いいんだ」
って言うんですよね。
末永 それは、甘えなんです。
そういうことを言ってられるのは。
糸井 つまり、
「私はしたいことがあるので、
 そうじゃないところだったら、
 大きな会社でも嫌だ」って言っていて、
ぼくはそれを聞いた時には、
「そりゃあ甘えだ」と思うよりも、
すげえなあ、って感じたんですよ。
それって、昔だったら、
とりあえずは、就職しといて、とか、
給料が先に立つじゃない?

でも、給料も別に、
30万でも10万でも、生活のレベルって
大きくは変わらないので、それだったら
フリーターでいいやって考えている・・・。
「一生は短いんだから、一番やりたいことをやる」
と思っている人が、こんなにたくさんいる時代って、
俺の年だと、かっこいいと思っちゃうよね?
松本 「余裕かあ?」って思いますよ(笑)。
高須 ははは(笑)。
糸井 (笑)俺らが、口では言ってたけど、
ガマンしてやってた、その無駄な時間を、
彼らは「無駄でしょう?」って言ってるような。
松本 ・・・そこは複雑やなあ。
ぼくはどっか、それをまっとうした、
みたいなところがありますからね。
それがいちがいに悪いことやとは思えへんし、
「甘い」と言われるのもわかりますね。
糸井 ぼくも両方やってやってた世代だから、
両方おもしろいのはわかるんですよ。
親父が、こつこつずうっとひとつの道で
かせいでて、子どもを大学にやった、
という思いも、あるだろうなあ・・・
そこは、心の持ち方になっちゃいますよね。
末永 豊かになったということは明らかですよね。
飢えるということが想像できないわけで・・・。
ちょっと前までは、飢えるということに対して
本気で心配していましたから。
高須 そうですよね。
末永 でも、今は、飢えちゃうという心配が、
まったくないんでしょうね。
高須 だって、ぼく、
親からそう言われていましたからね。
「そんな、いい時代じゃないんだから。
 どうなるか、わからないんだから」
ということを常に言われてると、
それはやっぱり、少しは安定を願うし、
そっちの道も考えとかな・・・でも、
やりたいこともあるし、っていうので。

そういうようなことは、もう、
体にしみついていますよね。
「やばいぞ、やばいぞ」っていう感じは、
世代的に、まだあります。
糸井 高須くんが「俺、食えるんだ」って
感じたのは、いつぐらいですか?
高須 うーん・・・。
松本 今もちょっと不安感じてるみたいだけど。
高須 うん、まだ感じてます。
全然、不安ですよ。
まだ何となく見えたのが、
でもまあまあ、28とか29の頃です。
「あ、仕事ができる」って。
それはね、自分の位置が
全体の中で見えてこないと不安だった・・・。
自分がどこにいるのかが、
最初はずっと、分からなかったから。
糸井 若い頃って、マトリックスが、ないよね。
高須 何となく、全体像が見えた時に、
「あ、俺この位置なんだ、それなら大丈夫」とか。
その全体が把握できないと、不安なんですよ。
糸井 でも、その「全体」って、入れ替えあるよ?
高須 そうなんです。
でもまあ、今の時点、って考えると、
一応答えが出るんですよ。
今自分がどこの位置、って考えると、
放送作家ってわからないじゃないですか。
松本 いまいち、
最終形が見えへんからな、放送作家って。
高須 例えば芸人なら、ゴールデン何本持ってる、
長者番付に乗った・・・いろいろあるじゃないですか。
そういう、認知があるじゃないですか。
でも、放送作家って、実はそんなにないんですよね。

秋元さんになるのか、高田文夫さんになるのか、
巨泉さんになるのか何になるのかは、わからないけど、
ちゃんとしたかたちで出なくなっていくなり、
裏にまわって会社を持つなり、全然、
それはまっぷたつに別れるわけですから。
テレビやっている状況では、ないですよね?
糸井 そうですかー。
松っちゃんは、いつ食えたんですか。
松本 ぼくは、二十・・・六、七くらいですかねえ。
大阪で、ちょっとだけ人気が出た時に、
「ああ、食えるのかなあ」と、
ちょっとだけ思ったんですけど。
今振り返ってみると、
そん時にそんなん思ったらあかんぞ、
と思うんですけど、その時は思いました。
でも、実際は、いつでしょうね・・・
30超えたぐらいから、ああ、大丈夫かなと。
糸井 30歳超えたあたりには、
もう、番組いっぱい持っていたでしょ。
松本 でも・・・。
高須 そうや、それ、不安感じすぎやで。
糸井 観てると、ふたりとも、おんなじだって(笑)。
高須 (笑)そうかなあ〜。

給料、月々で明細に100万入った時に、
「あれ?俺、月々100万入るように
 なったんや・・・俺は大丈夫」
って、普通、一度は、
簡単な尺度としてそう思うじゃない?

松本も、大阪で清水圭といてて、
「圭、俺、やっと給料100万取れるようになったわ」
というのを、言ったんやて?それで圭が、
「おお、100万いったんか。もう大丈夫やなあ」
って思ったんやて・・・。
松本 (笑)
糸井 それ、リアリティあるなあ。
高須 あの時って、お金あんまりなかったやんか。
そんなに入るなんて思えへんやんか。
もちろん、それも、実は保証のない金ですよ。

それでも、何の保証もない100万が
たまたま入っただけでも、
おいおい、すごいぞ、と思いましたもん。
だから松本がそう言ったというのも、
ぼくは当時、すごいうなづけました。
松本 ただ、ぼくの形態はすごくむつかしくて、
うーん、こう言うと、語弊あるかなあ・・・。
テレ東の旅番組をやるわけには
いかないじゃないですか。
糸井 (笑)
松本 自分が嫌だから、じゃなくて
・・・許さないでしょう。
それはできないんですよ。
やりたい、やりたない、に関わらず。
だとすると、どっかで、今をキープするか、
上にいくか、じゃなければ・・・。
糸井 あるか、ないか、なんですよね。
松本 だから、
徐々にフェードアウトするような権利を、
ぼくは、得ていないと思うんです。
だからどこかでスパッと辞めるしかないと思ってて。
糸井 それは、俺でさえ思った。
ゆるやかに下げていくというのは、
やっぱり、自分としてしちゃいけないんだなあ、
と思うから、するならタダの仕事をするし。
気まぐれで何でもするよっていうのはあるけど、
どちらにしても「俺が決める」と思ってました。

俺は芸能の人じゃないけど、例えば
映画のタイトルで順番がどうこうって、
よく言うじゃないですか。そういう時に、
「その場所だったら、出演しない」
と言えるところに自分でいないと、
どんどん下がっていく・・・。

下がっているのを知った人から
「じゃ、うちもその位置でお願いします」
と次からどんどん言われることの嫌さって、
想像しただけで、ぞっとしますよね。

でも、例えばの話、それも、旅まわりで
おばあちゃんこんにちは、って話しかけることを、
蔑んでいるわけじゃないわけで。
ただ単に、それをしないからこそ
守ってきたものが、あるというだけだよね。

ひとつしたことで「うちも」って言われたら、
「ついに来たかあ!」って思わざるをえない。
・・・その恐怖は、俺、少し年とってから来た。
「あ、なるな」って思って、だったら、
ぜんぶ辞めてやろうと思ったんだよね。

要するに、一銭にもならなくても、
俺が選んでやっていることはぜんぶ一流って。
そう決めれば、いいんだもん。
松本 こないだ、俺は今田に言ったんだけど、
たぶん、最終的に芸能界で稼ぐ金額は、
俺は、今田に負けると思う。
高須 なるほどな・・・。
糸井 なるほどね。総合的にね。
松本 金でいうと、たぶんそうなると思う。
糸井 うん。しょうがないんだよね。
松本 それは、しょうがないです。
だから、俺から見たら、ある種、
高須のほうが順風満帆だなあと。
高須 そうかなあ。全然違うけどなあ。

(つづきます)

★第6回 考え抜いたことと、考えなかったことと、
    結論はたぶん、おんなじになるような。


高須 テレビの世界っていうのは限られているわけで、
その枠の中の何本を握っているかで、
自分の立ち位置が、わかるんです。
自分がここを取れて視聴率取れて、
で、こっちでは好きなことをやれてる、と、
なんとなくわかってきます。

タレントにもそういうのがあるじゃないですか。
テレビというのがいちばん大きな尺度で、
テレビでダウンタウンは何本やってる、
ゴールデンでこれだけレギュラー持ってる、
ギャラをこのくらいもらってる、
このぐらいの認知度がある、って、
それはひとつの尺度に、するじゃない?
・・・で、そこで、糸井さんの尺度って
どこに置いてるのかなあ?って思った。

糸井さん、バンバン行くじゃないですか。
尺度がないかもしれないところに行くのに、
不安はないのではないか?と思うんですけど。
糸井 ないよ。

それはだから、
ふたりが話しているのを聞いたら、
ぼくはもうちょっと馬鹿だったんです。
もう、二十歳過ぎて給料もらった時に、
「あ、俺は食える」と思ったもん。
そこは、おめでたいというか
図々しいというか・・・。就職して2年間、
ぼくは、親から仕送りをもらっていましたから。

つまり、4年間大学に行くはずなので、
中退しちゃったけど仕送りだけはください、
って言ったんですよ。
「これは、修行だから」とうまいこと言って。
親父も「そうだな」って言ってくれた。

で、仕送りと給料のすごい安いのとを
足して暮らしていましたから。
それは、実際に、食えていた。
他のことを考えなければだけども。

そこで「何だ、食えるや」というのを
すごい早い時期に思ったので、
何かをやめたり飛びこんだりというのが
ぼくは平気でできましたよね。
それを、繰り返してきましたし。

前の結婚をちゃんとやれていれば、
ある意味、ぼくは順風満帆でしたから。
高須 (笑)そっちの話にまた戻った。
糸井 それでぜんぶを失った時に、
「こりゃあもう、楽しく生きるしかないな」
と、もう大博打でも何でも、
好きなことをやるしかないなと、
覚悟ができたんですよ。
やっぱり「足し算」で考えたら、
失うものが、怖いですよお〜?

大嵐で家なくなっちゃった人とか、
神戸で大震災に遭った人を見ていると、
「この都市、だめになるな」って思ったじゃん。
・・・でも、何とかなってるじゃない?
ああいうのを見ると、みんなが考えている
ストックというか、蔵の大きさというのが、
あんまりたいしたことないなって、
体でわかったなあ。
高須 そうですね。
松本の財産が何億あるかはわからないけど、
その貯金がなければ今の松本はないかと言えば、
別に関係ないですからね。
糸井 そうそう。
高須 ストックは、何に使うかと言えば、
使えなかったらぜんぶ一緒ですもん。
松本 使えなければ、ないのも同然ですよね。
糸井 そうそう。ポジションもそうで、
つまり、「松本だから」ということで
5年後に仕事を持ってくる人はいないんですよね。
「松本だから」の状態を5年続けていれば、
「松本だから」になるんだけど、そうじゃないと、
ある時に「松本だった人」って、なっちゃう・・・。
そうすると、ストックは、頼りにできないんだよ。
高須 ここのところでこうやっていくとか、
つなぎあわせと言うか、バトンと言うか、
変化を考えることって、最近、あると思う。
松本にしても、そんなこと昔は考えてなかったのに、
自分の終わり方を考えているような・・・。
糸井 松っちゃん、ずっと考えているように見えるけど。
高須 いや、でもまあまあ、最初のうちは、
まずは、上がること、頂点に立つことがすべてで、
エンディングまでは考えてなかったと思うんです。
でも、あるところで終わりを意識して、
どっかから、スライドさせていきますよね。
・・・あくまでも、微妙に、ですけど。
「そんな無様な仕事はできへん」とか。

昔なら、余力があれば、
どんな仕事でもしてよかった。
「テレ東もやれよ、おもしろい」って言えた。
でも、今は自分のキャラを
どうスライドさせて先に進んでいくかが、
ぼくらにとっては、すごいむつかしいんです。

そこんところで、糸井さんは、
ぽんぽん行くじゃないですか。
「これやってみたい」って、ぽーんと。
糸井 俺、考えてないもんなあ。
高須 と言いながらも、考えてるでしょ? また〜。
糸井 うーん・・・たぶん、
考え抜いたことと、考えなかったことと、
結論おんなじになるというか。
末永 はい。
糸井 そうですよね?
末永 そんなに変わらないかもしれませんね。
考えたことによっての結論、というのは。
糸井 つまり、リスクと、コストと、成功報酬、
この3つの軸があるとするじゃない?
でも、どれもリスクあるし、
どれもコストかかるし・・・・。

でも、よく考えてみると、
考えている時って何をケチってるかというと、
「考えるコスト」をケチってるんですよ。
早くラクになりたいと思って、考える。

野球でも、「勝利の方程式」とか
こうなると勝てる、というところに
行きたくて考えたりしてしまうと、
やっぱりうまくいかないと思うんだよなあ。
壊れるかもしれないという前提があるはずの
方程式に乗るような試合をしたくなると、
つまり、五回ぐらいまでしか
野球をやっていないことになっちゃう。

ほんとは、九回の裏に
逆転されたりするのが野球なのに、
「考えるの、辞めさせてくれ〜」って言いながら
ラクになりたくて勝利の方程式を考えてしまったら、
そこで迷惑なのは、選手なんです。
だったら、何にも考えないでも、
答えは、おなじだと思う。

「勝利の方程式」を作るために
10年考えました、といっても無理なんです。
・・・これ、説明になっていないかなあ。
高須 いや、わかります。
糸井 ぼくは、だったらいっそ、
というところに行っちゃいたくなった。
自分がおもしろいとほんとに思えるかどうかとか、
「あの人とはやりたい」という気持ちとか・・・
ガキがともだちと遊ぶ時とおんなじになってて。

「イトイさん、これは無理ですかねえ」
って言われた時にも、
その言われ方を好きになったりしてさあ、
「無理じゃないんじゃないかあ?」
って言ってみたくなったり。
そうすると、予算ゼロでも
何ができるのかを考えたくなって。



★第7回 勝利の方程式は、ないけども。

高須 勝利の方程式がないということは、
すごくよくわかります。
その都度考えて考えて・・・ですもん。
悩んだら悩んだぶんだけ良い、というのが、
ぼくなんかには、体に染み付いていますから。
糸井 マゾになるんだよね。
高須 「もっとストイックに考えなあかん、
 もっと、もっと」・・・って。
末永 「これをやれ」と言われたぶんに関しては、
時間と手間暇をかければかけるほど、
やっぱり、よくなるんですよ。
でも、やった結果が良くなったかどうかは、
わからないんです。
糸井 そっか。
末永 だから、何をやればいいのかは、
わからないですよね。
糸井 つまり、何をやれというのが
設計図だとすると、設計図を
考えるところからしたいわけじゃない?
松本 うん。
糸井 だから、俺、設計図を渡されるのが、
好きじゃないんです。設計図を渡されて、
「お前このビル建てろ」と言われたら、
それは違う奴がやればいいんだよって思う。
だからそういうのがつまんなく感じます。

でも、ホームレスが、
「ダンボールしかないんだけど、
 これでひとつ、立派なやつを」
とか言われたら、できるかもしれない、って。

そうすると、それは普通の世の中では、
負け戦の話だと思われるかもしれないけど、
でも、これからの話って、
そのダンボールで、素晴らしい家が
できるようなことだとぼくは思います。

そうしたら、写真に撮られたり、
放送されたり、インタビューされたり、
全体の価値が大きくなる可能性があるので、
そこが、今までの時代との
一番の違いだと思うんですよね。

材料費の差はものすごいあっても、
人々に与えた影響を考えてみたら、
もし、世界中の人がそのダンボールハウスを
知っていると言われたとしたら、
すでに市場を作っていると思うんです。
それがインターネットというものに
ぼくが可能性を感じた原点ですよね。

例えばの話、この対談も、
松本人志がわざわざトーク番組で
ここまで裸になっているのを喋ったら、
視聴率・・・普通は、ないですよね。
「松本なのに、ない」というものになっちゃう。
でも、ネットでやった時には、はじめから
ゼロであるということを前提にしているから、
これはオッケーなものなんですよね。
高須 うん。今、テレビって、
素人ばっかり出てくるじゃないですか。
もう、何となく、自分の中では
勝利の方程式のようなもののひとつだと
思っているところがあって・・・。
「目線が、下がる」ことなんですよ。

松本人志が扉をボーンと開けて出てくるのと、
素人がぼそっと出てくるのとでは、
松本人志はおもしろいことを言うに
決まっているという「すりこみ」がある。

だからぜったいに
おもしろいことを言わなあかんし。

まあ、テレビの歴史が浅い時には、
それでも良かったことはあります。
何やってもはじめてだったから、新鮮だった。

でも、これだけ長い間、
生まれた時からテレビに慣れてしまうと、
テレビがあるという絵に飽きているので、
「おもしろいことを言う人」の芸人ならば
おもしろく出てきておもしろいことを言い、
ぜんぶがおもしろいに決まってる・・・

そうやって予想して見ているんなら、
「・・・あれ?」と感じる時も、
たまには、あると思うんです。
想像している敷居が高すぎるから。
糸井 「つまんなくなった」とか、
言っちゃうんだよね、平気で。
高須 で、素人だと、おもしろいことを
言うとは期待していないんですよ。頭から。

でも、
「どうしようもないことを言うんだろうなあ」
と思っていた時におもしろいことを言うと、
「おもしろいじゃん、この番組」って。
・・・でも、それは
見方の位置が違うだけですよね。
目線が下がってるだけだから。

今は企画も、目線を下げる企画ばかりです。
「おもしろいことをやるよ!」
という企画が、ないんですよ。
糸井 埋め立て地みたいですよね。
高須 そうですよ。
さっきのダンボールの家もそうですけど、
「何にもないよ、ほらほら」っていうところに
ぽつんと置くから、すごいというように
見せてるじゃないですか。

でもぼくは、こういう状態は、
また変わるような気がしています。

だからぼく、
「ガキ」のトークが好きなんです。
「プロのトークを見ろ」みたいな雰囲気が。
だから糸井さんが前に言っていたように、
まだ、ライブというのに対しては、
人が足を運んできてくれる。

わざわざ来てくれるというのは、
やっぱり、プロが見たいからなんです。
インターネットが進めば進むほど
次にはプロが見たくなるんですよね。
糸井 ぼくがダンボールの家が好きだっていうのは、
高須さんのイメージと少し違っています。
ダンボールの家を素人が一度だけ作るのならば、
今のテレビ番組の作り方になりますけども・・・
でも、俺が入って作ったダンボールの家は、
本気でやったら、そこに泊り込むぐらいですよ。

施主のホームレスのおじさんが
「もう、そんなもんでいいよ」と言ったって、
「嫌だ」と言い張りますよね。
で、1週間泊り込んで、これならできた、
というときには、もう、ダンボールの家では
済まないものになっちゃうんですよ。
その考えを、国会議事堂に応用できないかな、
というようなものが、生まれるのよ。
・・・これはけっこう生意気な言い方だけど。

そこで作られたものは
ダンボールにしか過ぎないんだけど、
そこで「住むって何?」だとかへの、
ものすごいヒントが、
ダンボールで作ったからこそ
急に生まれてくるというか。
ずっといい家だけを作ってきた人には、
そこは見えないようなもので・・・。

そういうことを俺ができるのかなあ?
と考えると、もう、老い先も短いわけだし、
いくつできるのかなあ、っていうのに、
興味あるよねえ。

ジョイントして何かを生みたいんなら、
「俺がわざわざ行くんだから」って、
かなり生意気にならなきゃいけないと思います。
「ありがたいです、やらしてもらいます、
 これで、住みやすくなりましたよね?」
と言うんじゃなくて、もう親父が止めても
「嫌だ」って言ってやるからできるわけで。

結果論としては、あとになって、
ホームレスの親父のほうが、
「あれ、やっといてよかったよ」
っていう気持ちになればいいと思う。

五年後にその親父が
ダンボールの大家にでもなってれば
おもしろいじゃないですか。
そういうようなことが、
きっと他の分野でも、できると思うんです。



★第8回 価値のあるものは、何だろうか。

糸井 俺、いま、
「世界でいちばんかわいい犬」
というサイトをおもしろいと思う。
そんなの誰が決めたんだよ、
という感じもあるけど、
「世界でいちばん」と検索すると
そこのページが出てくるもんなあ。
末永 (笑)本人が名乗ってるだけですよね?
糸井 そう。
で、そういうのって、企画書を書いて、
「世界でいちばんかわいい犬」という
サイトを作ったら、人が来ますよ、
なんて書いたとしたら、
企画書としてはまずボツですよ。
「いっぱいありましたよね?動物もの」
とか言われて。

でも、行ってみるとわかるんだけど、
なんかねえ・・・
「そういえば、そう」なんだよ。
そういえば、世界でいちばんかわいい。

単なる捨て犬だったみたいだけど。
耳がコアラみたいになってて、
こんなにちっちゃい。
ジョンベネちゃんみたいに
いろんな衣装を着せたりして、
ふざけたことやってるんですよ。
松本 (笑)
糸井 とうとう、評判になっちゃって、
テレビにも映ることになって、
日本の俺ですら知ってるわけですよ。
それ、ダンボールハウスじゃないですか。
「捨て犬」という意味でも、ね。

例えば、仮に何かの催し物で、
世界でいちばんかわいい犬を
アメリカから呼びましょう、という時には、
そこで稼げるものの量は、とてもすごいよね。

そうやって、単なる点でしかなかったものが、
急に何かになる、というか・・・。
もともとは何でもないものだったけれども、
それを松本人志と組ませたらどうなる?
とかを考えると、おもしろいと思います。

しかも、テレビ局のイニシアチブじゃなくて、
例えば松本人志という人が、
世界でいちばんかわいい犬と俺との関係で
何ができるんだろうかと考えたら、
とんでもない楽しいことじゃない?

・・・というようなことが、
これから山ほど出てくると思ったら、
今までの企画書って無駄だったとさえ感じる。

考えに考え抜いた企画書と、
世界でいちばんかわいい犬と
どっちが、インターネット上の
視聴率を取れると言ったら
「世界でいちばんかわいい犬」で。
末永 さっきおっしゃった目線というか、
このサイトの場合はコストがゼロに近いから
いろんなことができるんですよね。
テレビって、枠のひとつがすごい高いから、
冒険ができにくいですよね?

だからどうしても、
とんでもないことが怖くてできない。
糸井 うん。
捨ててもいいや、という賭け方があるから
大穴が当たるわけであって、
「もとを取りたいし大穴を当てたいと」
という賭けかたは・・・。
末永 両立しないですよね。
糸井 それはきっと、株の世界でも
まったく同じようなことがありますよね?
末永 そうですね。
糸井 で、捨てちゃいけない場合は
それ用の買い方をするんですよね。
末永 株は捨てられないお金で
買っちゃいけないんですよ。
株は、ゼロになってもいいという
お金で買うべきなんです。
借金で株をやってはいけないんです。
糸井 なるほど。邱永漢さんも言ってたよね。
でも、最高の情報を知っていたとします。
裏情報から何から・・・。
そういう時に借金をして買うことも、だめ?
末永 それが「最高の情報であった」と、
結果的には言えるかもしれないけど、
でも、受けた状態で結果がそうなのかは、
そんなのはわからないんです。
それ、さっきとおなじで、
その時には結果はわからないんですよ。
糸井 いいなあ、そういう話。
聞いててスカッとしますね。
末永 一般論としては、ここだけの話だよ、
というのは、ほとんどガセです。
糸井 釣りとおんなじだー。
末永 それ、なぜかと言うと、
仮に知っている人がいるとして、
ほんとに知ってる人は。言わない。
言って得することは何もないですから。
そこは黙って買うだけです。
高須 「言って得することは何もない」
って(笑)、確かになあ。そうだよね。
糸井 トレンドを大きく変えてく時には、
言いまくってみんなの票を
こっちに集めるということは、あるでしょ?
末永 いや、それがその、
本当に秘密の情報があって、
これが例えば24時間以内に
必ず上がる株だというような最高の情報なら、
そういう操作を考える必要ないですよね?

仕手筋とかは、そういう
価値のないものを煽って、
名を上げていこうということはあり得るけど、
本当に価値のあることが分かっているものには、
そんなことする必要がない
ですから。
糸井 それ、ぼくのともだちで、
何てわかる人なんだと思わせる人がいて、
その人は、
「美空ひばりは、いろいろなところに
 出る必要は、ないんですよ。
 美空ひばりでありさえすればいいんです」
と言っていたんです。
その通りだと思ったなあ。
「ほかの歌手は、頭下げて歌うたって、
 嫌かもしれないけど笑顔をふりまいて
 帰ってこなければいけないんだけど」
って、それ聞いて俺、すごい勇気が出た。
美空ひばりは、寄付させても
その場に行かなくていいっていうんだもん。
だから松っちゃんも、行かなくていいんです。
いっぱい寄付させといて、
「でも、俺は行かへんけどね」
と言っててオッケーなんですよ、きっと。

その株の情報も、絶対自信があれば、
根回しする必要なく上がるんですよね。
末永 そうですね。絶対に自信があれば、ですね。

ほんとの秘密情報というのは、
もしあったら、インサイダー情報だし・・・。
だから、うまくできないので、
どちらにしても、その方法はないですね。
糸井 取引できないと。
理論的には、一切ないんだ。
末永 あるとすれば、その中に、
賢い人と賢くない人がいるだけで。
糸井 野球観てる時に解説者が、
「ここはバントですかねえ」
とかいろいろ言うじゃない?
あれだって、確率的には当たったのが
多いのを言うだけだから、よく外すもんなあ。



第9回 話している動機を知りたい。



糸井 「自分だったらどうするだろうなあ?」
とかいうことは、つまらないものなら、
こちらに思わせてくれないはずですよね。

でも、松本さんの場合、
「自分だったらどうするだろうなあ?」
というこちら側の想像力を、
いつもつかんでくれますもん。
高須 そこは、うまいです。
糸井 ああいう時に、世の中には
天才っていうタイプの人は、
いるんだなあと思うね。
高須 ぼく、だから、
松本は絵描きだと思うんですよ。
人の頭の中に、絵を描かす。
トントントンっていって、
最後に哲学が入って「どう?」という。
で、ガッと笑えるようになっている。

そういう絵描きだと思うんです。
喋り方がぜんぶそうで、
一個一個ばらさないように
振って振って、で、さいごにドーンと出す。
糸井 松っちゃんが
それをやっているのを観ていると、
考えを追っかけていく楽しさがあると思います。
「自分だったらどうするだろうなあ」
と無意識に追いかけているから、
そこが一致してもうれしいし、
裏切られても楽しいし、ぼくたちは、
完全に作り手として楽しんでいますよね。

あ、今度松本さん、脳波を測りませんか?
ぼくこのあいだ測ってもらって。

計算とかいろんなことをしている間の
脳波を測る、というものなんだけど、
そしたら、日経新聞を読んでいる時にさえも、
ぼくは、右脳・・・感情側が動いてたんです。

「ブッシュかゴアか」とか書いてある時に
右脳が動いているというのが
どういうことかというと、
たぶんぼくは、その文章を
書いている人の気持ちが知りたいだって。

えっと・・・
例えば「ブッシュ、不覚!」って
書いてあったとするじゃないですか。
だとすると、それは「不覚だ」と
思った奴がいたからそう書いたわけで。
純粋な事実なんか、
世の中には何もないじゃないですか。
松本 うん。
糸井 そうすると、彼がそれを書いた時に、
「この野郎」と思っているのか、それとも
「何とかこの人に良くしてやってください」
なのかが、やっぱり、含まれていて。

あらゆる文章の中に感情が入っているはずで、
そういうのを観るのが俺は好きなんだ、
ということが、よーくわかりました。

だから、日経新聞の一面でも
そうしてるってことは、きっと、
あらゆる場面でそうなんだと思います。

例えば、詐欺師っぽい奴に会うと、
言葉のやり取りが何ともないとしても、
なんか・・・不快じゃないですか。
松本 (笑)はい。
糸井 実は、
彼が何を考えてしゃべっているかを、
ぼくが絶えず考えているからこそ
その時はすごく疲れるし不快だし・・・。
ぼくはそう思っていたということを、
脳波を測っていて、わかったんですよ。

例えば、講演とかしたあとで、
質問してくる奴に、ぼくは
悪口を言う時があるんだけど、
それは、あなたの考えは素晴らしい、
っていう演説なんですか? 
それともぼくに答えを聞きたい質問なんですか?
と、言いますよね。
松本 (笑)やらしいこと言いますね〜。
・・・でも、そうですよね。
それは、よく感じる。
番組の投稿欄と一緒ですよね。
高須 (笑)
松本 お前はそれをほんとに言いたいのか?
それともこれを新聞に載せてほしいから
そう言ってるのか?と思うことは、
ほんまにありますよね。
糸井 そう。
ぼくは瞬間的に天狗になる人間なので、
それを、直接言ったりするんですよ。
松本 (笑)喧嘩になりますよ。
糸井 なります。
なりますけど、早くその場を
喧嘩にして別れたいという気持ちがあるから、
いいや、と思ってやっちゃうんですよ。
松本 でもそれ、わかるなあ。
糸井 わかるでしょ?
要するに、テーマは何かと言うと、
語られていることじゃなくて、
動機のほうにあるわけですよね。

末永さんのような人に会って
おもしろいと思うのは、
ものすごい金儲けをやりつづけていて、
テーマが「金儲け」だったのか、
それとも「お金を使ったゲーム」だったのか、
そのへんがもう、わけのわからない、
人には想像のつかないものになってきてる。
そういう話が聞きたいわけですよ。

具体的に儲かる方法を聞いたって、
あんまりおもしろくないですよね。
それは誰かがやればいいだけのことだから。

それよりも、人がいろんなことを思っていたり、
こういうことを言いたいのにこう言ったとか、
そういうことを、ぼくが、いちいち、
「おもしろいなあ」と思って見てるほうが、
楽しいじゃないですか。

末永さんと最初に会った時も、
この人のうなづき方っていいなあ、
と思っていて、だから知りあいになりました。

うなづいたり笑ったりしているタイミングが
自分とおんなじ人とは、仲良くなれるんですよ。
いくら立派なことを言っていても、
「違う。あれとは、いいや」
って、しょっちゅう思うじゃないですか。
たぶん、松本さんもおなじじゃないかなあ。
松本 それは、わかりますね。
糸井 それ、脳波調べたら、俺は
いつもそういう考えをしているし、
それしかできないんだろうと分かった。

論理でどうだとかいうよりも、
わからない人は捨てればいいわけだし・・・
つまり、動機がすべてだっていうことが、
わかったんですよ。

第10回 ぼくの場合は、絵を描いて、ピンで貼って。

糸井 自分の脳波をはかるのって、
ちょっとおもしろそうでしょ?
もしやる気があったら、
言ってくれればいつでもできますよ。

松本さんが「絵で思う」っていうのは、
たぶん右脳をものすごく使っていて、
言葉にならないイメージが先に湧きあがって
俺には分かってるんだけど説明できない、
というようになっているのかなあ。

今の小説家のほとんどが、
左脳が動いてるんだって。
論理で、こうしてこうしてこうして、
っていうふうに書いてるらしいんです。

でもおそらく、詩をつくるのは、
そういう感じではないんですよ。
絵としてさえもなってないイメージを、
何とか作りたいなんて思っているのは、
どう考えてもロジックじゃないでしょ。
「どうしたらいいのかは
 わからないけど、わしゃ分かっとんねん」
というのが、あるんですよ。
松本 うん。何となく分かります。

ぼくの場合は、
話していることが、例えば
絵を描いて、壁に貼っているような
ものだとしたら、ぱらっ、ぱらっ、と、
その紙が落ちるようなものなんです。

そこで、
これではいかんなあということで、
ピンを刺していくんですよ。

そのピンが多すぎても、
明確にばっちり貼れすぎてしまうので、
どのくらいの間隔で貼るか・・・
それ絵の大きさにもよるんだけど。
糸井 それ、ものすごくよくわかるわ。
ぼく、コピーを考えている時でも、
一年をつなぐキャンペーンをやる場合は
「あ、できた」と思ったとしても、
終わりにしないで、まずは
頭の中の壁に貼っておくんですよ。

そのポスターが街に貼ってあるとしたら
人はどう思うかなあ、というような、
そこからが、長い時には半年かかるんです。

コピーを考える時間よりも、
試し算をしながら生活する期間のほうが
実は長い場合もけっこうあるんです。
「できた」と思って、
自分にはイメージがわかったとしても、
それは、みんなにとっての
イメージではないかもしれないから、
自分の中の壁に絵を貼るところに、
大勢と仲良くするために貼っておくの。

「俺は、できた」で終わりにしたいんだけど、
ぼくの場合は、ずっと、
「人が何て言うかなあ」
が重要なところで商売をしてたから、
そういう時間が必要だったんですよね。

放送作家たちは、論理なの? 
それとも、松本さん的な・・・?
高須 いや、逆でしょうね。
まったく逆だと思います。
そこは二つに分かれるとは思うんです。

コントだと、いまだに
なんとなくアナログですから、
「それおもしろい、じゃ、やってみよう」
そうやって作ってできるものだと思うんです。
粘土を作って、いつのまにかできてるような
オブジェのようなのがコントだと思うんです。

でも、今のテレビで視聴率考えて
どうのこうのすると、その作りかたは
たぶん成立しなかったりするかもしれない。

「もっと、まるいもの・・・。
 全体的にはこれくらいの幅で」とか。
「まるくて見やすくする」とか。
「今いいのは赤い色だから、それ入れて。
 でもそれだけでは俺らがつまらないから、
 ここから、何を足そうか・・・」
そういうところで、
「じゃあ、あれやろう、これやろう」
と、はめものみたいになってきますね。
だから「持ってくる」っていう感じで。
糸井 レゴみたいな。
高須 そうですね。
パズルはめるみたいになってますよ。
企画考えるのも、
けっこうそっちの話になってますね。
糸井 その時に、レゴのひとつが
松本人志だったりすると、
レゴのくせして違うかたちになって
反乱したりするじゃないですか。
それは、計算に入れるんですか?
高須 入れますよ。
「遊びの範囲」とか、
天井はこのへんにしようとか、
そういうことは意識していますね。
でも、ぜんぜん違うことしますので。

こちらの思い描いているハコの中から
出ていってしまう時も、ありますから。

でも、今の放送作家は、基本としては、
粘土を作るような作りかたを、
バラエティではしていないですよね。
糸井 だから逆に仕事になるとも言えるんだね。
みんな松本人志じゃ困るわけですから。
・・・でも、松本さん、
企画も、ずいぶんしてますよね?
松本 あ・・・割とぼく、今、企画は
そんなに前ほど一生懸命やっていないですね。
「ガキ」のオープニングなんかも、
前ほどは、時間かけてやってないです。
それは意識してそうしてるところもありますね。
ちょっと、ふわっとして、やってみようかなあ、
という、今はそういう期間で。
来年になるとどうなるかは分からないけど。

割とこの一年、企画、早いよな?
高須 早い早い。
松本 会議も早く終わらせます。
あんまりそっちばっかりやっても
しょうがないかなあと思っていて。
糸井 サイズが変わっていく時期なんだろうね。
サナギとかが・・・。
松本 うん。


(明日につづきます)

★第11回 テレビに自由は、あるのだろうか。

高須 本来、テレビは、粘土作りのような
作りかたをしなければいけないと思うんです。
誰かのイメージで、
「こんなんやねん、わからんけど」
と言いながら、みんなが粘土をこねて、
「じゃあ作ろう」と、何も計算をせずに
イメージのまま作っていると、いつのまにか、
ピタッとサイズがあっていたりもする。
ほんとにこれが奇跡的なんですよ。

そんなように作られた1時間なり
30分間じゃないと、ほんとはダメやと思います。
無心に作っていたら、自然に
60分の枠にはまっていたというか。

そんなに意識してはいなかったけども、
編集も、この時間ではまるなあ、
できるべくしてできたんや、みたいな
そんな意識で作らないとダメなんですけど、
もうそれは、できないんですよね。

もちろん規制もあるし、
視聴者の好き嫌いっていうところで、
これはダメ、ダメって、
要素が省かれてしまうんですよ。

ダウンタウンDXというトーク番組ですらも、
子どもに見せられない番組になってるんですよ。
「ガキの使い」もそう・・・。

子どもに見せちゃいけないという団体がいて、
そういう団体は、今までは
あんまり言ってこなかったんですけども。

昔は、局に文句を言っていたくらいでしたが、
今は直にスポンサーに苦情が来るんです。
スポンサーに行かれると、
局のほうも、文句言えないんですよね。
局は「わかりました、その企画やめます」
と言うしかなくなる。
糸井 それは、小さい企画ごとに
つぶされていくわけですか?
高須 はい。そしたら、
できる範囲が決まってしまうんです。
・・・まあ、その制約はそれで、
おもしろいところもあるんですが。
糸井 うん。ルールとして遊べばね。
高須 上にコンクリートがあったぶんだけ、
変なかたちで雑草が生えたというか。

それによって、ひょっとすると
違うものができるんですけど、
ただ、ゴールデンに関しては、
雑草すら出さへんぐらいに整備してしまうから、
昔のように、馬鹿みたいな番組は、
作らなくなりましたよね。
糸井 やらなくなったね。
松本 うん・・・。
糸井 そのしみじみ感は、怖いくらいだ。
高須 いま、腹かかえて大笑いすることないですもん。
テレビを見て大笑いすることないし。
糸井 「ごっつええ感じ」みたいなのは、できない?
松本 けっこう無茶してましたからね。
高須 ぼくはたぶん、できないと思いますよ。
松本 無理かなあ。
糸井 できないんだろうね。
今の話を、きいてると。
高須 できないと思います。局が怖がって。
松本 「ガキ」で、山崎のどっきりが、
封印されてるんですけど、
山崎が沖縄でトイレに入ってる時に、
黒人が来て強姦されるやつですけど、
あれは、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。
・・・でも、いま絶対に無理ですよね。
糸井 無理。
松本 ケツにソーセージ入れてましたからね(笑)。
高須 (笑)
糸井 (笑)もう、テレビっていう
範囲から、逸脱してますよね。
松本 あれは、いつでも無理だったんですよ。
糸井 (笑)
高須 (笑)空気感では
まだよかったんですよ。
深夜帯がめちゃくちゃな時代だったから、
深夜なら、自由奔放だったんですよ。
ちょっとまだ「ガキ」も
深夜っぽい意識を持てていた時期だった。

今やその11時台がゴールデンですから、
11時台までもが、
「おいおい、そんなことやってどないすんねん」
っていう自主規制が、すごいですもん。
昔は11時台なんか何やっても別によかったのに、
今はゴールデンの面子が11時台にいますから。
糸井 今は逆に、8時台で
やれっていわれたら、イヤでしょ?
高須 嫌ですね。やりたくないですね。
松本 7時台なんて、
ほんとにわからないです。
糸井 無理だっていうしかないよね。
松本 7時台はもう、ゴールデンじゃないです。
高須 ゴールデンは10時台くらいからかなあ。
糸井 9時台が今、銀座かなあ・・・。
松本 でも、おかしいですよね、
「11時台だからいい」とかいうのが。
だったら「11時台でもやるな」って
言って欲しいと思うんですよね。
末永 今、多チャンネル時代ですから、
自由なはずですし。
糸井 その、自由なぶんだけ、
コストがひとつずつ分散するから
ほんとに知恵を使う人が山ほどいないと、
やっていけないんだよね。
高須くんがこんなに売れっ子であるようじゃ、
チャンネルが増えた時に思いやられるというか。

・・・えっと、そう言ったのは、つまり、今、
「高須さんとおなじくらいのいい仕事のできる
 作家がいっぱいいるから、
 今の仕事量の半分で大丈夫ですよ」
と言われているなら、まだ番組が増えても
おもしろいものをたくさんつくれそうだけど、
いまのままじゃあ、おもしろい作家が
めちゃくちゃ少ないことは、明らかで。

しかも、高須さんはすでにもう
たくさんの番組を抱えている。
そうしたら、番組が増えたら
作家が足りなくなっちゃうもん。
高須 ええ。



第12回 服装がヤバくなるのは、なんでだろうか。

高須 ぼく、日本で優秀な放送作家って
十数人くらいしかいないと感じます。
たぶん、15人くらいかなあ。

ちゃんとバランスも取れて、
それでいて、実現可能な
奇抜なアイデアを出せる放送作家って。

どこかで、不安材料を
持っていたりするんですよね、作家同志でも。
やってて、楽な作家って、本当にその
15人くらいですよね。

ああ、わかってるなあ、
しゃべらんでもええなあ・・・って。
何か問題が起こった時とか、
視聴率が思うように上がらなかったりした時、
おんなじところで、何か原因がわからないけど
止まっている、と感じたり、
逆に「何かあるな」っておんなじ場所で
ヒット企画の鉱脈を感じられる人は。

企画のおもしろみを感じ取れる作家というか
方向音痴じゃない人は、何人もいないです。
糸井 15人ですか・・・。
高須 そのくらいだと思いますね。
糸井 リアリティあるなあ、変にねえ。
松本 15人・・・。
糸井 単位が、「5」だもんね。
高須 そんな感じすんねんなあ・・・。
それが入れ替わったり、
はじかれたりする時もあり、
自分が方向音痴になってくると、
だめになっていく。
糸井 今さあ、古い放送作家だとかさあ、
古い「おもしろい」というような人で、
それこそベレー帽をかぶって
ループタイをしてるような奴が、
いるじゃないですか。
ああいう人たちも、ある時期は、
こういうことを、言ってたのかな?
松本 うーん・・・。
高須 言ってたんじゃないですか?
糸井 そこらへんをすごく知りたくて。
「いやあ、キミねぇ」
と言ってる人たちのことを。

テレビ局にでもどこにでもいるけど、
自分はそうならないようにしよう思うだけで、
ほんとうに、気苦労が絶えないよね。

自然になるんだとしたら、
俺、気づいてないうちに、ループタイを
しているかもしれないじゃないですか。
松本 (笑)
糸井 知らず知らずのうちに、
親父たちのジーパンに
折り目が入りはじめたりさあ。
高須 (笑)
糸井 「知らず知らず」というところで、
どんどん変化していっただろうけれども、
「それ、『そっちに行く』と
 決めた時があったんじゃないか?」
と思ったりもするんですよ。

「襟なしより、ポロシャツを選ぶようになった」
だとか、そのへんを注意深く考えていれば
わかるんじゃないかなあと思って、
そこで「危険だなあ」と思うところには
なるべく行かないようにしていたら、
俺、若年寄になっちゃった。

それも変だと思うんだけど、
年相応とか、「相応」というところに
自然に行くというのは、実は結構、
「家庭持ち」という要素があると思います。
「奥さんが買ってきちゃった」とかいうのが。
高須 なるほど。
松本 おばあちゃんが
着物を着てたりするじゃないですか。
そのおばあちゃんは、
若い時から着物を着ていたのかなあ?
糸井 それも、怪しいよね?

そういう時代のおばあちゃんもいた。
ぼくは、昭和23年生まれなんですけど、
幼稚園くらいまで、寝巻って、
ほんとの寝巻で、パジャマじゃなかった。
で、着物で、袖をたたんで寝てた。
ネルとかで作ってあって。
それが、ある時にパジャマになったんです。

ぼくはそういう時代から生きてるから、
着物で育ったおばあちゃんがいるというのには
リアリティがあるんですけど、でも、
ぼくぐらいの年でもおじいちゃんがいるけど、
その人は、着物では育ってないですから。
松本 それはぼく、
子どもの頃から気になってたんですよ。

ばあちゃんは、
年取ったから着物を着てるのか、
ばあちゃんだから着物なのか・・・。
糸井 年取ると、着物が背中から生えてくる?
松本 で、しょうがないから
着物を着てるのか・・・。
高須 俺こないだ服屋行った時に、
「高須さん、昔、古着を着てましたよね。
 今、似あわないでしょう?」
と、嫌なこと言われたんですよ。
「はあ」とか応えたら・・・。
松本 そういや、やめたな、自分。
高須 それで、いつも行ってる服屋の兄ちゃん、
「何でやめたか、わかりますよ。
 老けると、古着は映えなくなる。
 若いからこそ古着は映えるわけで、
 それは、人間としてわかってる」って。
年とると、だんだん古着は
おしゃれになってこない。
「高須さん、気づかないうちに
 そうしてるんですよ〜」
って言われて、そうなのかなあと思った。
末永 センスがあると、
そこがずれていかないのかな?
糸井 それはね、気持ちですよ。
ミックジャガーを見なさい。
ミックジャガーはいくらでも服を買えるのに、
ぼろぼろのTシャツ着てステージに上がんのよ。
・・・でも、楽屋では似あわないと思います。
松本 そっかー。
高須 そこらへんを歩いてたらだめで、
ステージでなら、映えるんでしょうね。



★第13回 ぼくたちは、着るものをどう変えるだろうか。

糸井 年がイッていておしゃれをしていても、
「まるで老けたオカマのように見える日」
「何でもなくおしゃれしてると見える日」
には、明らかに違いがありますよね。
でもたぶん、その差は、心の状態の差なんです。
着ている側の魂なんですよ。

着るものに自分の売り物を決めて
そこを押し通そうとすれば、それはそれで
すごく効率がいいんだろうけれども、
そこに居続けようとすると
絶対にハズしますよね。
だから売り物は作らずにいくほうが
やっぱり、長く楽しめると思います。
松本 そっか。だから高須は古着をやめたんだ。
高須 いや、ぼくは本人では気づいていなくて、
知らずにやめていた時に、服屋の兄ちゃんに、
理由を説明してそうだなあと思ったんです。

また古着がよくなる時期も、あるんだって。
古着を着ていておしゃれに映る年齢が、 
50歳を過ぎたらまた来るって言われたから、
ビンテージのジーンズとか
とってあるんですよ・・・。
そこらへんは、ダッフルコートとおんなじですよ。
糸井 おお、ダッフルコートねー!
高須 ダッフルコートは、
中途半端に着てると浪人生みたいに見える。
だけど、40歳くらいになると、
ダッフルコートがかっこよくなるでしょ?

要は、時代を間違えると、
とんでもないことになってんねんけど、
その時代を越すとかっこよくなるという。
それは、古着を着ないのは、
自分でわかってるんだ、って(笑)。
今着るとサイアクだって・・・。
松本 (笑)防衛本能が働いたんだ。
高須 (笑)やばい、って。
「やばくなってまうから、
 ちょっときれいにしようという
 心がはたらいているんです」と言われて、
なるほどなあと思った。
松本 アンテナは受信してるんだ。
高須 そう、やばいやばい、っていうのを。
糸井 うん、あるんだろうね。

ただ、やっぱり、ぼくたちは、
こういう話をしているという時点で、
残念ながら、ファッションには
縁のない育ち方をしたっていうことですよね。

例えば、イギリス風の育ち方をして、
お父さんもお母さんもおしゃれで、
という子どもだったら、
ごく普通に古着も着ないで
親父のような格好をしてても、
若い時には若く見えて・・・ってなるだろうし。
末永 日本には、そういうの、ないでしょう?
糸井 ないかー。あ、末永さんなんて、
坊ちゃん坊ちゃんしてるけど、どうですか?
末永 あんまり、考えたことがないですね。
古着を着ようとかいうのって、
ある種のアピールですよね。
そういうのは、なかったですね。
ファッションで自分を主張したいとは。
糸井 皇族のひとたちの服装って、
やっぱりたいしたもんだなあと思うんですよ。
ああいう人たちを見てるとさあ。
あの人たちって、やっぱり
俺たちには絶対にないものを持っているよね。

似合うだの似合わないだの
ダサいだのといろいろ言っている奴は
そういうところで
自分を出さないといけない人で、
皇族の人なら「失礼のないように」と
ただ思っていればいいわけですから。

割とみっともないのは、
急にファッションリーダーになるやつで、
だから、松っちゃんが坊主になった時に、
俺、やった!と感じたの。
「これで、何にも似合えへんやろ!」
って言いたかったのかと思って。
松本 そうですね。
糸井 スタイリストの借り着を着てるのに、
「じぶん、それどこで買ったの?」とか
お笑いのタレントが言うのを聞いていると、
でも、あなたは、
それを言う資格ないかもしれないよ、
と思っていたから。

いい悪いは別にして、
昨日はじめたようなやつらが
他人にああだこうだ言うっていうのが、
何か貧乏くさいですよね。

でもさあ、年とってから
カジュアルと言えばチノパンというところで
落ち着かないとすると、苦労するよね。
高須 (笑)苦労しますよ。
糸井 明らかに単なる「無理な人」というのが、
見本としていっぱいいるじゃないですか。
俺も、いつでもそこになる可能性があるし。
高須 坊主ってずるいですよね。
いいとことったなと思ったな。
考えたやろ?それについていろいろと。
なりたいという気持ちもあったやろうけど。
松本 うーん・・・。
そうだな。
雑誌でもいろいろ聞かれたし、
いろんな理由をいっぱい言ったから、
まあ、ぜんぶが何%かはほんとうだし、
100%はぜんぶほんとではないんだけど、
何でやろうなあ・・・?
でも、よかったと思う。
糸井 坊主って、さっき言った、ダンボールで
家を建ててみせるというのに近いよね。
松本 うん。
糸井 俺に坊主を載せたら、坊主が変わるぜ、
というくらいの気迫を感じるよね。
松本 『HEY! HEY! HEY!』をやっていて、
すごく感じたことがあったんですよ。
それもどっかで言ったと思うんですけど、
まず、ダウンタウンが出てきて、
「キャー」って言われるんですよ。
その次にミュージシャンが出た時にも、
やっぱり「キャー」で・・・。

「おんなじキャーか?」
それすごい嫌やったんです。

別にミュージシャンが悪いことはないんですけど、
でもまあ、坊主にしたら変わるのかなあと思って。
結果、まあ、思ったほどは
変わらなかったんですけど。
糸井 俺も坊主に近いくらいのことをしたことがあって。
「みんな、過剰にかっこいいんじゃない?」
と思っていたから。青山あたりで、
全員がかっこいい5人くらいの飲み会を
よく見かけたりするじゃない?

でも、それはちょっと、
フカシが強すぎないか・・・?と思った。
松本 (笑)
高須 フカシが強いって(笑)。
糸井 それで、例えばの話、静岡とかに出張に行って、
「東京から来たんですか?」とか聞かれて
「うん、そう」とか言ってるのは、ちょっと、
そこでトクしすぎてるんじゃないか?と思って、
その流れがちょっと嫌だったの、俺。
で、何か無理してるなあ、
みたいなのじゃないところで探したら、
選択肢に坊主は、あるもんなあ。
松本 うん。むつかしいですよ。
今着ているのも、毎年、
冬になると買う、ものなんですけど。。
左官屋ハイネックみたいなので、
ポケットがついてて、
1000円ぐらいのやつなんだけど。
これは、何か俺っぽいなと思ったんです。

でも、あんまり行き過ぎて、
「そればっかり」になったら、
今度はまた、やばいでしょ?
糸井 そうなの。裏表なんだよね。
高須 そっちいってるやつと思われる。
松本 ね?
「こいつ無理してんなあ、
 なんかフカしとんなあ〜っ」
になってきたりするから、
そっちだけに意識がいくと、かっこ悪いし。

第14回 ジェラシーに、どうやって反応するのだろうか。

(※高須さんはお仕事があるので、ここで退席されました)
糸井 アメリカにも、成功した人に対する
早くつぶれろという流れの人々もいますか?
末永 たぶん、アメリカ人は
日本人に比べると嫉妬が少ない人たちですし、
嫉妬よりも憧れの強い人たちですから、
それをストレートに出して
「よーし俺もやるぞ」と考えますよね。
糸井 そこが知りたいんですよ。
それは、なんでそうなるんでしょうか?
松本 ぼくは、それ、最終的には
アメリカが戦争で勝ったからだと思います。
日本はやっぱり負け国なので、
強いものに対する反感が強い、
というような気がしてならないんですよ。
糸井 もしぼくが神様の目から見ていたら、
成功したひとがいたほうが
市場も大きくなるし景気もよくなるし、
だからどんどん成功しなさいと思うよね。

でも、地面から見た時に、
なんか、やきもち焼きになる。

日本では、成功すればするほど
「思ったことをそのまま言ってはいけない」
という状態になりますよね。
つまり、ほんとに成功しちゃった人が
「俺はこう思っている」と言ってしまうと、
一方ではベストセラーになるけど、
もう一方では・・・。
松本 すごい叩かれますよ。
糸井 本の時は、どうでしたか?
たくさん売れたといっても、
全国の人口から言ったら
何百万部とかは、少ないよね。
そうすると、反感を持った人も多いんですか?
松本 それは、かなり叩かれましたよ。
ぼくのやることなすことについて、散々。
新聞から何から。ひどいもんでしたね。
今でもそうですけど。
糸井 (笑)ものすごく正直に書いたじゃないですか。
あれ、どういう効果があるとか
そういうことを全然考えずに書いたんだよね。
松本 全然考えなかったですよ。
「週刊朝日」でしょう?
そんなもん、週刊朝日を読んでいる人間が
ぼくのこと知ってるとは思ってなかったし、
それが本になるつもりもなかったので、
週に1回、とりあえず書いていただけです。

今考えると、正直に書きすぎたぐらいに
すごく正直に書いていますよ。
糸井 総理大臣になったとたんに
ニコニコしなければいけないようなのは、
ほんとは変だと思うんですよ。

自分の意見が通って総理になったんだから、
もっと全体を変えていけるようなことを
やらなければ、それこそがほんとうに
総理の価値ないように思えるのに、急に
「みんなのもの」とかを
意識しはじめるじゃないですか。
あれを、誰も突破できた人がいないですよね。
松本 むつかしいですね・・・。
糸井 いまだかつていないですよね。
正直にそのまま言えた人って。
末永 ビルゲイツだって
「俺は金持ちだ」とは言いませんよ。
敢えて言えば、カリギュラとかですか。
糸井 ネロとかも。
・・・あ、でも失敗政権ですよね。
末永 だから楽しそうに見えるんですよ。
えらい王様なんて、窮屈そうじゃないですか。
糸井 前に教育テレビに塩野七生さんが出てて、
昔、独裁政権だったというけれど、
ローマ帝国で王様をやるというのは
民主主義みたいなようにみんなで相談するよりも
ずっとむつかしくて、要するに
これだけ大勢の人をひとりの力で
不満なくおさめるというのは、どれほど大変かと。
そういう王様って、もう、いないですよね?

投票なんかしても、
結局は代議制になって、
声のでかい奴が勝つんだったら、
独裁的な奴が、
「いつ俺は殺されるんだろう?」
と思いながら政治をやっていたほうが
よっぽどうまくいくという。
松本 なるほどなあ。
末永 多数決というのは、
そんなに信用のできるものではないと
ぼくは、思いますよ。
でも、大事なのは、自由を確保することで
多数決は、その自由を守るためには
まあ、割といいシステムなんです。
独裁者も、えらい独裁者ならいいけど、
そうでない独裁者は圧政を敷きますから。

多数決は、圧政を敷かせないためには、
割と優秀な制度だと思いますね。
糸井 例えばの話、前に松本さんと会った時に
話したんですけど・・・
ぼくはいろいろな人たちみんなに、
のびのびしてもらいたいんですよ。

でもその時に、
「圧政を敷こう」と考えること自体が
不自由そうだなあって、思うよね。
末永 頭の中が平和じゃない人って
やっぱり、いるんじゃないですか?
松本 ぼく、ドラマでもちらっと言ったんですけど、
結局、ちょっとずつ不幸なのが
みんなの幸せなんですよねえ・・・。
それしか、たぶん、ないと思う。
糸井 うん。
何かをコントロールする力が
つけばつくほど、自分の自由は
売り渡さざるをえなくなりますよね。
末永 でも、陰険な人って、いますよね?
糸井 いますよ〜。
末永 「やっぱは、不幸じゃないとだめだ」
とぼくが思ってしまうくらいに
陰険な人って、いますよね。
糸井 結局、ぼくはとても地味なんですけど、
強姦を、ものすごく憎むんですよ。
せっかくみんなが楽しくやってんのに。
松本 (笑)
糸井 そういう人がいると、
みんなを硬くするじゃない?
で、どれくらい嫌かはわかるだろ?と。
そういうのが、一個あるだけで、
もっとみんなを自由にできなくする。
「いいわよお?」と思っている人が
「え、こわい」と思ったりするなら・・・
松本 他の男は、被害者になりますよね。
糸井 そう。だから、
「お前のやってることはどれだけ犯罪か、
 ・・・もう、あらゆる意味でだ!!!」
って言いたい。
松本 (笑)
糸井 だから、レイプが嫌なんですよ。
でも、そんなことを考えずに
すっ飛んでいっちゃう人たちが
おられるじゃないですか・・・。
やっぱ「欠け」みたいなものが
すごい出てしまっているんでしょうね。

★第15回 頂点に行ったあと、人はどうなるのだろうか。

糸井 ある程度、名前が
世の中に出てしまっている人と話すのは、
そうでない人と話すよりも、
ラクな時が、ありますよね。
その理由のひとつは、
お金持ったり有名になると、
妙なコンプレックスが減るからだと思います。

コンプレックスを持ちつづけた状態ではなくて、
「そういうことを考えていた時代」だよねえ、
というところで、話をすることができるでしょ?

無名な人が悪いとは全然思わないけど、
有名になると、少し余裕が出るから、
ラクになるんですよね。

そこで逆に言うと、
力を持ったのに、まだ悪いことをする人って、
やっぱりいるじゃないですか。
その業の深さは、なんだろうなあ。
何かが怖いのかなあ、とか、思います。
末永 ビルゲイツなんて、
絶対に一生使い切れないお金を
持っているんですよね。
でも、彼も今でも
非常に忙しい思いをして働いていますよね。
なんでかなあ?と素朴に思います。
糸井 それも不思議だよねえ。
でも、ふつう、「そうじゃない人」って、
ぼくは、末永さんにしか会ったことないよ。
末永 ぼくはそんなにたいしたことないですけど。
糸井 いや、年齢が。
30代だったら、割と、
「これをもとにして、どうしてああして」
と、マッチョに考える年齢じゃないですか。
松本 ぼくは小学校くらいの時に、兄貴がね、
欽ちゃん全盛の頃ですよ。
兄貴がぽろっと言ったんですよ。
「欽ちゃんって、もう何もしなくても
 一生食べていけんねんて」
「・・・え!
 じゃあ何で、欽ちゃんは仕事してるの?」
そう聞きたくなりますよね。
兄貴は「・・・わからん」って。
そこで「うーん」って、
兄弟でしばらく悩んだんですけど、
ある種ぼく、今は
自分がそれになってるんですよね。
そこは、わかんないんですよ・・・。
糸井 やっぱり、足りなさを感じているのかなあ。
ぼくも「食うため」とかいろいろ言うけど、
ほんとに「食うため」がいちばんだったら、
違うことをしていると思います。

あるいは、例えば、どこか勤めてて
食えるようにしていたほうが、ラクですよね。
こうやって無理なことばかりしたがるのは、
何か、せつないですよね・・・。
末永 達成感を求めているということなのですか?
糸井 それもね、一応そう言うと、
自分では説明したような気になるんですけど、
でもやっぱり、達成感でもないんですよ。
松本 ちょっと何か違いますよね。
それも何%かはありますけど、何か・・・。
糸井 うーん、何だろうなあ・・・。
そういうことを考えると、
俺がよく思い出すのは、
野球では川上哲治のことなんですよ。

みんな「嫌なやつだ」ぐらいに思っていて、
あんまりあの人については語らないけど、
日本一になって、その都度一回ずつ
最高の気分でシーズン終わってるはずなのよ。
なのに、それを9年連続でやった監督なわけで、
頂点に行った後って、どうやって
動機を作ってやっていったのかなあ・・・。

そういう意味で、お笑いで言うと、
欽ちゃんは、どうなんだろう?
松本 ・・・うーん、微妙ですねえ。
でもまあ微妙っていうことは、
正解やったのかもしれませんけど。
末永 そんなにはずれてはないっていう?
松本 うん。
糸井 あの歳になっても、
手塚治虫さんとかと同じように、
若い人に負けたくないような気持ちが、
たぶん、まだあるんですよね。
なければ、うまく年を取ったはずですよね。

明らかにお客さんの受けを狙って
ぜんぶすべったことがあって・・・。
すべりにすべってることを、
本人が感じないはずないわけです。
ぼくは、それをテレビで見てるの、
きつかったんですよね。
だからほんとに引退してくれていたら、
最高だったんでしょうね、ある意味で。

でも、筋肉が落ちてきてるのに
腕相撲には出たいみたいな気持ちを感じた。
お笑いって、一見、
筋肉の問題ではないように思えそうから、
けっこう本気で「闘える」と
思えてしまうのだろうなあ・・・。
でも、それにしては欽ちゃんの世界には、
さっき言ったような「移民」とか
「新しい血」が入っていなかったですね。

あの欽ちゃんが、本当に野放図に
外人を入れているというか、
外の世界の人をずっとつきあいつづけていれば、
筋肉は落ちなかったんじゃないかと思う・・・。
そういうのって、あるよね?
松本 うん。
糸井 ある流れのところで安定していたら、
外の人と交わりつづけるのは、無理ですよね。
末永 権威になっちゃう。
競争と権威って、対立概念なんです。
同じ平等な立場で競争して決めるのか、
偉い人がいてその人が決めるのか。
それは、ふたつのうちひとつしか選べない。
糸井 競争の対立概念は権威かー・・・。
そうだよね。

でも、思えば、欽ちゃんぐらいまで
行ったひとって、お笑いでは
その後は、あんまりいないんですよ。

日本そのものが豊かじゃなかったから
すごい高視聴率だったこともあるけど、
やっぱり、欽ちゃんって、すごかったよ。
ピンクレディよりは欽ちゃんの方がイったし。
萩本さんていうのは、ものすごかった・・・。

若い子たちはたいしたことない、くらいに
思うかもしれないけど、絶頂期の欽ちゃんは、
ほんとにすごかったですよね?
松本 うん。すごかったです。
糸井 ドリフは違うでしょ。
欽ちゃんですよね・・・
新しかったし。

★第16回 多数の人の理解を、得られるのだろうか。

松本 こないだ、テレビで
ピンクレディーと山口百恵の特集やってたんですよ。
それを見ていて思ったんですけど、
子どもに支えられるって、怖いなあ。
糸井 (笑)
松本 ピンクレディーに対して、
それをものすごい感じました。
子どもって、引き離す時にはひどい。
「もう知らん」だからね。
糸井 (笑)
松本 だからあの、一時期、
横浜銀蝿が矢沢永吉を抜いた時が、
まあ・・・あった、じゃないですか。
糸井 (笑)
松本 でもあれを支えているのは
やっぱり、子どもでしたよね?
だからあいつらに支えられるのは・・・。
糸井 そうですよー。

すでに、
「ピンクレディー」という例え話そのものに、
今ここで聞いている若い子は
うなずいてくれていないですから。

その意味では、
ガッチャマンとか月光仮面みたいな。
ぼくは、ヒーローというと、
ついつい「月光仮面」と言っちゃって、
若い子にばかにされるんですけど。
松本 (笑)
糸井 ヒーローって、
世代ごとにみんな違うというのが
わかったんだけど、でも、
「じゃあ、バイオマンだ!」
って言われたってねえ?
松本 はははは(笑)。
ぼく、今それ、はじめて聞きましたもん。
糸井 ぼくが自分の子どもと遊んでた時には、
バイオマンとチェンジマンだったんですよ。
そういうのって、
一個一個が「ピンクレディー」ですよね。
松本 うん。
末永 その子らがおとなになると、消えちゃうんですよ。
松本 消えるんです。
糸井 マンガでも、赤塚さんと手塚さんという
そのふたつ以外は、
やっぱり瞬間風速で消えていったもんなあ。

やっぱり、欽ちゃんのことは、
もっと、一回きちんと話したほうがいいという、
そこには恐怖に近いくらいの感覚がありますよ。
大切な話題だと思うから。

NHKで「ようこそ先輩」という番組があって、
そこでぼくは学校の先生をしたんですよ。
できるような気がしちゃって行って、
スタッフはオッケーって言ってくれたんだけど、
ぼくの中としては、もう、現場で、
惨敗の気持ちで帰ってきたんですよ・・・。

ふだんぼくは、インテリたちが
インテリにしか分からない言葉での
「うん、AはBでねえ」という会話を聞いて、
「そんなもん、誰にも通じねえよ!」
と言っている立場なんですよ。

だから、
「俺が俺の言い方で言えば、少しは通じるかも」
と、番組収録前には、ちょっと思っていました。
でも、行ったらさあ・・・。
スタッフは「いい」と言ってたけど、
やっぱり俺としては、ダメなの。

思えば、いつだって、
「自分を理解してくれる人は、多くない」
という前提があって生きてきたんだよなあ。
理解してくれない人は、まあ、いいや、
と思ってここまで来たんだけども、
でも、実は「まあ、いいや」の
理解してくれない人の数のほうが
圧倒的に多いんだなあと思いました。

その圧倒的な数の人に対して、
「お前らの理解なんて、要らないよ」
と言うわけにはいかないかもしれない。
そう考えだしたら、ちょっと寒くなった。

「ほぼ日刊イトイ新聞」は、
みなさんいらっしゃい、でやっています。
いつも分かるように喋っているはずですが、
やっぱりそこでも
「わっからねえよ!」
と言う奴に対しては、最終的には
「いいよ、わからなくて!」
というメッセージに、なっているんですよ。

だけど、数で言ったら、
「わからねえ」がいちばん多いわけだから、
それに触れられないのは、
ぼくの課題かもしれないと感じました。

「インテリはだめだ」
と言っているぼくそのものが
セミインテリにしか過ぎないと思うと、
「どうしよう?」と考えはじめまして・・・。

ダウンタウンも、そういう話と
近いところを持っていると思いますが、
例えば、全盛期の欽ちゃんが巻きこんだ
あのとんでもない分量を、
やればできた人がいたとしたら、
そこを捨ててしまうのはもったいない・・・。
そういう気持ちが、ないことはないでしょ?
松本 はい。
糸井 かと言って、わかんない奴には
腹が立ちますよね?
松本 腹立ちますね。
糸井 そのふたつの矛盾を、どう思いますか?
松本 あのね・・・。
答えになってるかどうかは
わからないんですけど、まあ・・・。
待ってるしかないと思うんですよ。
糸井 うわあ!
・・・いいなあその答え。
松本 子どもが成長するのを待つしかない。
ぼくはそう思ってるんですけど。
ある子どもが成長した時には、
また違う子どもがいるだろうから、
そいつらには、また、通じないんですけど。
でも、それしかないんじゃないかと思うんです。
糸井 なるほどなあ。

宮崎駿さんも、
「となりのトトロ」を作った時のネコバスは、
サービスで加えたキャラクターなんですよね。
最初の設定では、なかったはずのものです。

ネコバスを入れると、人気も出るし、
確かに動いているとおもしろい・・・。
そういうものを、自分でも嫌じゃなくて
入れるという選択を、宮崎さんはできた。
ぼく以上に年上の人だからこそ、
自然にそれをできたとぼくは思うんです。
・・・そのあたりに、いっぱい、
秘密が隠れているような気がします。

それはねえ、笑いだけじゃなくて、おそらく、
他の分野のものごとに対しても言えるというか。



★第17回 頂点にいるキチガイのすごさは、何だろう。

糸井 競馬場で自分が
人ごみに紛れているのはOKなのに、
その人たちの前で演説するのは、
「ちょっと、いいです」
と言うような、そういうことをくりかえして
だいたいの人は一生が終わってしまうんです。

そこを、欽ちゃんは、
演説することができたかもしれないと思う。
特に、前川清を使っていた時期なんて、
完全に「イっていた」ですよね。
そこを、たけしさんも、よけましたよね?
映画というものを作る方向に行きましたし。
よけていなかった人って、いないです。

テレビ局でテレビを作っている人は、
それを本気で考えたら、番組を作る時に、
もっと答えを出しやすいでしょうね。
大勢で作ることができるわけだから。

それを俺たちみたいな
職人で生きてきたようなタイプが
話題にしているのは、はじめから
無理なようなことだと思うんですけど、
欽ちゃんをなめちゃいけないっていうか。
松本 もっと語るべきですよね。
糸井 平凡なおじさんおばさんの笑いだと
思われてるけど・・・。
松本 違いますよね。
糸井 それじゃあ、あんなにならなかった。
コント55号が最初にコントやってるのを見てて、
俺、キチガイだと思ったもん。
松本 (笑)
糸井 松っちゃんも知らないですよね。
デビューとかは。
松本 「なんでそーなるのっ」って言ってるのが
ぼくの小学校低学年くらいでした。
糸井 でも、変な気持ち悪さを感じませんでした?
松本 ぼくの場合、関西圏でしょ?
だからちょっと複雑なんですよ。
それを見ながら吉本新喜劇もあったり、
松竹もあったり、いろいろな情報が
ガーッとあったから、どこかで
「東京の笑いなんて・・・」
という気持ちも、あったんですよね。
糸井 フィルターかかってますよね。
でもぼくは、他に
ああいうものを知らないですよ。

若い子に言っても、コント55号が
キチガイに見えた時代を知らないから、
この感覚が、通じないんですよ。
おだやかでほのぼのの人だと見なされている。

そこは誰か、ぼくらぐらいの世代の人が
ちゃんと語らないとダメだと思うくらいです。
いまだかつて、いなかったから。
松本 割と、何か、その問題は
アンタッチャブルみたいに
なっちゃってますよね。
糸井 うん。
アンタッチャブルだよ。
モノマネをする以外では
誰も語ってないですから。
小堺さんのまねはおもしろいけど、
そうではないんですよね。

手塚治虫さんがそうで、
どんな若い作家が出たとしても、
例えば『がきデカ』が出た時期にも
「これで対抗だ!」というように
ぜんぶ自分の作品を、
当時のヒット作にぶつけたんですよ。

手塚さんは、性格としては、
「悪い奴」としか
言いようがないくらいのすごい勝負師で、
その時代時代のマンガをぜんぶ描いてますよね。
これも、キチガイだと思うけどなあ。

あそこでも、いちおうは
文部省公認みたいにされているから、
手塚治虫さんという人は、
かなり誤解されているけど、
ほんとうはキチガイですから。
松本 善人のように映ってますけど、
違うんですよね。
糸井 善人じゃないところを語ると、確かに、
やっぱり、かっこ悪く見えちゃうんです。

「志半ばで負けた人が、すごい」
という先入観がみんなにあるから、
志半ばの人として見るとかっこいいけど、
実はほんとうに必死で・・・。

そこいらへんを、もうちょっと、
これからは、関脇のかっこよさよりも、
横綱のほんとうのすごさを語るほうが、
大事だよなあ、と思います。
末永 ほんとにすごいのは、横綱側ですよね。
松本 うん。
糸井 「他に誰がいるの」っていうと、
各ジャンルごとに絶対いるはずですよね。
でも、川上哲治が好きと言うと、
なんか、かっこわるいんですよね。
末永 つまらないんですよ。
糸井 あ「つまらない」というのは
横綱の要素として、あるよね。
末永 長嶋のほうがおもしろいじゃないですか。
糸井 ある意味ではぼくも、
ダウンタウンについて、川上哲治を語るように
語らなければいけないのに、
そうしていないところがあるかもなあ。

まだ理解していないという
どうしようもない人たちがいるから、
つい、そっちに目が行っちゃうけれども、
そうじゃないのかもしれないですよね。

まだ理解していない人は
ある意味、滅びゆく人として扱わないでおいて、
これこそが視聴率100%の可能性があるんだ、
という目でダウンタウンを見たほうが、
ほんとうにおもしろいのかもしれないです。

松本さん、
古典的なお笑いのしていることを、
刑務所で漫才をやりはじめるというコントで
やったことがあるんですよ。
あれは、本人は勉強したはずないんですよ。
なのに自分で台本書いてやってるんだから、
おもしろいですよね。

「そんなくらい、俺もやってないけど知ってるよ」
ということでしょう? あの感じは、うれしかった。

ぼく、若いころに、
自分の仕事でああいうことをやったから。
「文章をちゃんと書けない人」と思われていて、
「やっぱり、ああいうのが出てくるんだよね」
と言われて、かなり腹が立っていた時に、
無理矢理、おカタい広告を引き受けました。
それで賞を取るって決めていたんです。

「あれは、パッと出じゃないかもしれない」
と思わせたくてそういうことやったんですけど、
それに近いものがありますよね。
あんなの、簡単にできちゃったんでしょ?
松本 はい。
糸井 (笑)いいよねえ。
あれ、もっと驚いてほしいのに、
みんなは、ごく自然に受けちゃうんだよね。
松本 ぼく、基本的には、お笑いオタクですからね。
小学校1〜2年くらいで
落語会観にいってたぐらいですから。
末永 やっぱり、圧倒的なベースが必要なんですね。
糸井 そりゃ、オタクじゃないと、
今の情報戦争を勝ち抜けないでしょう。
瞬間風速なら、山田花子でオッケーですけど。



★第18回 言葉は、究極のフリーウェアだから。

糸井 松本さん、デビューして何年ですか?
松本 もう、19年ですね。
糸井 そうかあ。

辞書の言葉を増やしたみたいなことを、
その間にものすごくやってるし・・・。
「嫌かもしれないけど笑いかもしれない」
ということを、山ほどやってるじゃないですか。
板尾の使い方とか。
松本 (笑)
糸井 ああいうのは、会議の時に決断するんですか?
松本 あんまり、しないですね。
ぼくはけっこう会議は手ぶら派なので、
前もって、何か持ってくぞ、
というのはあまりないんですね。
ふわーっとした感じで会議に行きます。

ただ、コントじゃないし、
ドキュメントでもないという
ミディアムの部分のジャンルを
作りたかったというところはあって。

あれ、わからないじゃないですか。
どこまでほんとでどこまでウソかが。

あんまり賢くない視聴者は、
板尾の嫁の役、ブラジル人なんですけど、
あれをほんまの嫁さんだと思ってる人いるし、
板尾ってほんまにあんなやつなんや、
と思ってる人もいるぐらいの、
非常に危険な技なんですよ。
糸井 それって、板尾創路に被害の及ぶ危険さを
吟味したうえでオッケーを出すわけで、
今までは、吟味もしなかったと思います。

「何でやったことなかったの?」
みたいなことを、たぶん、松本さんは
絶えず、受け側として考えているんだろうな。
でも、あとから来た人は、その方法を
ぜんぶ勝手に使っちゃうんだろうな。
末永 特許がないですね。
松本 流行語ってあるじゃないですか。
特許もむつかしいんだけど、
もともとある言葉で、
こういう時に使うわけじゃなくて、
違う場面で使うようにした言葉って、
特許がないんですよね。
糸井 ご褒美は、
「みんなが使った」
というだけですよね。
松本 (笑)そうなんですよね。
糸井 「それ、おれじゃん!」って思うだろうなあ。
松本 「きっつー」って言うでしょ?
昔、そういう時に使わなかったんです。
窮屈とか辛いとかとは
違う意味で使いますよね。
糸井 「さぶい」もそうでしょ?
松本 そうですし、
「へこむ」も最近よく使うでしょ?
糸井 それ、俺たちの仕事と似てるなあ。
こっちのほうが合ってると思ったから
使ったんだよね?・・・なのに、みんなが、
あたかも、前からあったかのように使う。
松本 そうですよね。
末永 特許でお金を取ったら、
みんなは使わないかもしれない。
松本 なるほど。
糸井 フリーウェアか。
末永 言葉って、究極のフリーウェアだから。
糸井 松っちゃん、こう考えるのはどう?

純粋にビジネスとして考えたら、
「きっつー」というのをみんなが使って
流行してくれた時には、
「自分の遺伝子があちこちに広まった」
と考えてみることにしてみると・・・。
そうすると、次の笑いを載せるお皿が
増えたって、考えることは、できない?
それは企業としては、大成功なんだから。

詳しくは知らないけど、携帯電話は
そうとう高く売らないといけないらしいけど、
でも、かなりの金額を、NTTは経費として、
自分で出して飲んでるんですよね。
松本 ああ、そうかあ・・・。
糸井 自分でお金を出すまでしても
「人に行き渡ること」を重視したおかげで
バーンとばらまかれていったんです。
経費として電話本体のお金を
自社の経費にしてしたおかげで、
毎月の電話料金の支払いが増えて、
ビジネスとしては成り立っているでしょう?

任天堂の社長なんてよく、
「ほんとうに売ってるのはソフトなんやから、
ほんまはファミコンは、配ったらええんや」
と言っていたし、マイクロソフトの
インターネットエクスプローラーもタダです。

お笑いも、それとおんなじと考えると、
「きっつー」というソフトを
配りまくったと思えば、
企業戦略として、かなり正しいよね。
・・・タダだったからこそ、できたという。
松本 そう考えられたら、かなりいいですね。
糸井 でもさあ、実際に、
そういうことに近いものが、
とてもあるんじゃないかなあと思います。
だって、木村拓哉が髪型を変えるごとに
若い子の髪が変わるっていうのは、
「私は木村拓哉を認めます」
という一票じゃないですか。

で、いっぽうでコマーシャルが
「1億円でおねがいします」と来るのは、
やっぱりそういう1票1票が支えになって
最終的に木村拓哉に票が入ったわけじゃない?

そうしたら、タダで真似された髪型だって、
「携帯電話を配った」のと同じなんですよね。

でも、それだけだと、まだ、
みんなの支持を、スポンサーというかたちで
ひとりの人間からもらって課金完了、
ということにしかなっていませんよね。

でもぼくは、そういう
今までのかたちとは違うおもしろい展開が、
もしかしたら、これからはあるんじゃないか、
と考えているんです。

「お金として回収するかたちが、
 今の状態では、まだ見えない」
という例が、これからは増えるんじゃないかなあ?
回収できないけれども、可能性はある、
というものがとても貴重だと思うんです。

さっきの携帯電話は、
回収方法が短いスパンで分かっていたから、
思い切って投資できたけれども、
でも、例えば松本人志のある言葉や
あるギャグがばらまかれたことに対しても、
もっと長いスパンで、だけれども、
違う方法があるんじゃないかな、と思う。

「回収する方法はこうですよ。
 ひとりからお金を取ればいいんですよ」
と言えば、まあ、簡単に言えはするのですが、
「そうじゃないんだよ!
 そうじゃないところにあるんだよ、
 何だかは、まだわからないけど・・・」
というところにある何かがさあ、
すごくおもしろいとぼくは思うんです。

例えば、『遺書』『松本』『愛』と
本を出した時に売れたのが
回収だったのかもしれないし・・・。
どういうことが起こりうるのかが
誰も、どうなんだかわからないですから。
「思ってもみないところで収穫できた」
という例が、これからは、
もっと増えていくとぼくは考えています。

ポテンシャルだけがある状態で、
「ま、しゃあないなあ」
と言っている人って、例えれば、
ものすごい蔵を持って走ってるのと
おなじような状態ですよね。
すごいんです。

★第19回 潜在能力への信頼が、お金の本質。

糸井 ポテンシャルこそが
ものごとの価値のすべてなんだ、
ということにぼくが気づいたのは
赤城山の埋蔵金を調べた時なんですよ。
徳川埋蔵金を掘っていてわかったのは、
江戸幕府がフランスから借金をしたのですが、
フランス側からして見れば、
徳川埋蔵金があろうがなかろうが
日本にお金を必ず貸すという事実がありました。

フランスの銀行に取材をしたら、
当時、現地に金を貸すグループがあって
日本にお金を投資しまくっていたんですよ。
「あれだけの小さな島国で、
 あれだけの多くの働き者がいれば、
 密集していて人数的にも工場としても
 いくらでもものを生産できるだろうし、
 人数としても市場として成り立たせられる」
・・・だから、やっぱり、埋蔵金がなくても、
フランスがお金を貸したんだろうなあ。
それに気づいたら、経済の仕組みを
ぜんぶわかったような気がしたんです。

「働き者がたくさんいさえすれば、
 それは力になって、必ずもとがとれる」

この事実を、フランス人たちは江戸時代に、
とっくに知っていたんだなあと思いました。
噂だけで経済は動くし、早い話が、
ポテンシャルというのが通貨だと感じるし。
末永 それがお金というものの本質です。

例えば南太平洋のヤップ島では、
石がお金ですけど・・・そこの石貨は、
石が大きければ大きいほど価値があります。
みんな、お金を、どこかほかの島から
掘り出してくるらしいんです。

で、ヤップ島いちばんのお金持ちは、
その人の先祖が、ある島からものすごい
大きな石を掘り出してきたからですが、
でも、その祖先は、大きな石を、船で
運んでいる途中に沈没しちゃったんですよね。
でも、その子孫たちは、やっぱり、
村一番のお金持ちでありつづけるそうです。
糸井 いいなあ、その話。
末永 引き上げられる可能性はゼロなのに、
その沈んだ石が、この世にあるものとして
子孫たちの財産として、通用してしまう。
糸井 ヤップ島のお金って、
あんまりでかいから交換しないよね?
末永 ええ。金は動かない。もともと、
不動産はそういう仕組みですから。
糸井 なるほどね。
バブルの時にも、そういう仕組みを
ちゃんと説明してもっていれば、
みんなが、不動産についても
もっといろいろとわかったはずのに、
なんか絶対価値のように誤解しちゃうよね。
末永 そう。
ヤップ島の話は、みんな笑うんだけど、
でもぼくたちは金(きん)を使って
おんなじことをやってたんですよね。
松本 (笑)
末永 一生懸命掘り出した金(きん)を
中央銀行の金庫に入れて、
これと交換できるのが通貨だとしただけで。
糸井 ニクソンが、
「もう、金(きん)に変えなくていいのな!」
と言ったあとに、それがもっと本質的になって。
末永 東洋では早くから紙のお金がありましたが、
ただの紙切れが正統なお金になったというのは、
西欧の歴史では、1971年の金・ドル交換停止が、
はじめてのことなんです。

それまでは、ただの紙切れというのは
戦争なんかで困った時に政府が出すもので、
その後、ものすごいインフレで
紙くずになってしまうようなものだった。

でも、1971年までだって、やっぱり
ほんとうに価値があったのは約束だったんですよね。
石なり金属なりが、約束の裏付けだっただけです。
お金って「約束だけ」なんですよ。
持っている人が、他の人に
何かをさせることができるという。
糸井 「肩たたき券」ですよね。
松本 そうそう(笑)。
糸井 「こいつの肩たたき券は、
 ほんとに叩いてくれるか」
が、約束で。
末永 肩をたたかない奴が罰せられるという仕組みを、
政府が保証してくれているという。
糸井 ぼく、前に、
「100円を捨ててきなさい」
という授業を、やったことがあるんです。
その授業というのは、
俺の職業になりたい人が集まってきているから、
少し乱暴をしてもいいんです。
だから、さっき言った小学生とは
違うことができるんだけど。

「今からみんな、100円を持って外に出て、
 捨ててきて戻ってきて、その感想を述べてね」
と言ったんです。
松本 おもしろいですね。
糸井 うん。
「お金」というものが生む「約束」を
いかに壊してしまうかという瞬間だからね。
で、授業に参加していた子たちでも、
女の子は、みんな快感を感じたんです。

感想を言わせても、基本的には、
「すっごい気持ちよかったです!!」って、
たった100円なのに、イッた目をしてるんですよ。
まあ、もちろんおばさん型の人はいて、
「私にはそんなこと、できませんでした」
という感想だって、あるはあったけど。

それに比べたら男は理屈っぽくて、
「歩道橋の上からトラックの荷台に
 100円を落としたんだけども、
 あれが旅にゆくと思うとおもしろかった」
「公衆電話ボックスのお金の戻り口に
 入れておいたから、誰かが使うんじゃないか」
とか何とか言っている。

ブラックホールに向けて
ものを投げることが、できないんです。

もっとセンスのないひどい奴は、
自動販売機で要らない飲み物を買って、
それを飲んだとか言っていて・・・・
それを「捨てたとおんなじ」だとか。
松本 ダメですね〜。
糸井 それ、答案として最悪ですよね?
松本 そうですよね。
糸井 だったら、捨てられませんでした、のほうが
どきどきしているという意味では、
点数が高いでしょう?

その授業をやっていて、つくづく思ったのは、
女の突破力というか、約束というものに対して
「破る可能性がある」と思って生きているのが
女という種族なんだよなあ、というか・・・。
それがわかって、おもしろかったですよ。
松本 それはおもしろいですけど、
それをさせようとした発想が、
ぼくにはいちばんおもしろいですね。


★第20回 痛みを忘れないけど、攻めるというような。

糸井 100円玉を投げる授業をしたのは、
ぼくの体験がもとになっています。

小さい頃、
氷の張りかけたお堀に石を投げて
チュンチューン、と飛んでいくのを観て、
かなり楽しんでいた時があったんですけど、
とうとう近くに石がなくなった時に、
自分のなけなしの50円玉を投げてみたんです。

その時に「あれ?」とぼくが感じた
不思議なものを、みんなにも
感じさせてあげたい、と思って
ぼくはその授業をやってみたんです。
「これは100円では覚えられない感覚だよ」
という、ほんとは、とても
親切なはずだったんだけど・・・。
松本 でも結局、それを
「もったいない」
と言う人が、いっぱいいたんですか。
それ、ぼくが番組を作っている時に
よく感じさせられることと、似てます。

「食べ物を粗末にするな」
という苦情があるじゃないですか。
例えば、ごはんならごはんを、
地面にビタンとしたとして、それを
「もったいない!」と言う奴がいるけども、
ぼくはその時に、いつも思うんです。

「ごはんを、口に入れることの
 利用価値しかないと思うなよ!」

ごはんをビタンとした時に、
それがものすごくおもしろければ、
もう、ごはん程度の価値は
果たされたじゃないか・・・。
そういう考え方を理解してくれる人が、
少ないんですよ。
糸井 それは、宗教だからですよね。
「ごはんを食べる教」というのがあって、
「食べものを粗末にしない教」があって、
でも、松本教は、
「ごはんはいろいろ使える教」だから・・・。
松本 絶対に分かちあえないんですよ。
糸井 宗教戦争だ。
松本 100円も、確かにかたちとしては
「捨てる」ことかもしれないけど、
使い方によっては、
100円以上に楽しめるんだから、
ぼくはそれで充分に100円の価値を
果たすことができたと思うんです。
糸井 そうなんです。
だから、そういう教室には、
できませんでしたという奴がいたり、
そこから逃げようとして
斜めに対峙する奴もいるけど、
やっぱりいちばんトクしたのは、
「捨てた! ああ気持ちよかったあ!
 ・・・何なんでしょう、この感じは!」
と言った奴だと思います。
末永 捨てることができない人が多いと聞いて、
それだけ、お金というものへの執着が
人間にとって本質的なもんなんだなあ、
ということを感じます。

約束のしるしのあるものを作って、
それをある種の神聖なものとして
流通させるというのは、昔からの、
人間の本性なのでしょうね。
糸井 そこまで密になっている宗教は他になくて、
日本は、いま基本的には「お金教」ですよね?

ぜんぶをお金で判断するような
今の感じに移行できたのには、
実はお金に対する伝統的なイメージが
すでに江戸時代から
下地にあったからだろうなあと思います。

江戸時代からお金を捨てていたとしたら、
今、こんなに、捨てることに対して
「背信的だなあ」とは感じないと思うから。

末永さんは、前に証券会社で
何億という単位のお金を扱っていて、
感覚がぶっとんじゃったりしないんですか?
末永 だんだん、トレーニングされるんですよ。
会社に入った時には、大学生の金銭感覚ですから。
糸井 「牛丼は安い」という金銭感覚ですよね。
末永 まあ、大前提としては、会社のお金と
自分のお金は違うという感じがありますけど、
でも最初は、それもほとんど区別ないですね。

大学生だったやつが仕事をはじめて
会社にとってはすごく小さなお金だけど、
取引をしていると、はじめから、
100万ぐらいは簡単にふっとぶんです。
大学生にとっては、すごい大金ですから、
ぼくは最初に100万円を損した時、
打ちひしがれましたよーっ。
・・・その日いちにち、口がきけないくらい。

でも、だんだんそれに慣れてきます。
だんだん取引にうまくもなるし・・・でも、
気が大きくなっちゃあ、だめなんですよね。
やっぱり「損するのは怖い」という気持ちを
いつでも持っていないとだめで、
会社のお金だから損をしてもいい、
というのは、だめな態度なんです。
糸井 「俺は、バクチ打ちなんでぃ」
って言っちゃうことは、ないんですね?
末永 ないと思います。損する人は
会社にとって、困りますから。
松本 そうやってお金を使う感じは、たぶん、
ぼくがテレビで頭をはたかれることと
似ているんじゃないかなあ・・・?

プライベートで叩かれると腹が立つけど、
でも、舞台の上ではたかれてるのは、
あれはぼくの頭じゃないんですよね。
末永 あ、そういう感じです。
糸井 ふだんまで平気になったら、おしまいで。
そしたら、それは、人間じゃないからね。
松本 (笑)そう。
頭をぱーんとやられて
痛さを感じなくなってはだめですよね。
でも、それを嫌がりすぎても、だめですし。
糸井 週刊誌に「毛ジラミ」と書かれて
うれしいと思う感性を持っている人間って、
たぶん、いないと思うんですよ。
「腹立つわ」っていうのが、ほんとうで。
松本 うん。
糸井 でも、「これ、おいしい」に
チェンジしてしゃべっちゃうと、
それは自分とは違う人のことになるからね。
「腹は立ちまくってるけど相手にしない」
という、ものすごい反応ができるんだよね。
松本 うん。このことを素人に説明するのは、
かなりむつかしいですよ。
ある種、多重人格ですから。
糸井 それ、むつかしいよなあ。
その感じを、お金の扱いだと思って考えると、
末永さんが扱っていたお金とおんなじなんだね。
末永 その通りだなと思います。
糸井 「あいたたた」という感じはあって、
でも、痛いっていったら試合ができなくて。
末永 でもその痛みを忘れたらダメで。
糸井 格闘技の選手もそうなんだけど、
どっかに相手の攻撃を入れさせて、
その次を狙ったりするじゃないですか。
あれって、純粋理性の行為ですよね。

人間はほっとけば逃げるようにできてるのに、
入れさせるように動いて次を狙うなんて、
あんな知性的な行為は実はないのに、
それなのに、格闘家たちって乱暴だと思われてる。

ぼくは、その理性がわかったとたんに
格闘技が、ぜんぶおもしろくなったの。
それも、おんなじだよね。

あ、そうだ。別の話だけど、
松っちゃんにすごいお笑いのネタがあっても、
でも、女の子をくどく時には、
そのネタって出せないんじゃない?
これも、不思議だよなあ。
松本 ・・・それ「会社のお金」やからでしょうねえ。
糸井 ははははは(笑)。
末永 (笑)業務上横領になるんだ?
糸井 (笑)そのひとことで、ぜんぶ解決するよね。
そーだよなあ。
末永 名言ですね。
糸井 俺も、確かに、ふだんうまいこと言えないもん。
番組でゲストで来た時って、困る時があります。

コピーライターは、気のきいたことを言って
稼いでいるんじゃない?と思われているから、
そっちを使いたいんだけど、それをやると、
俺が番組に出る意味が変わっちゃうと思うんです。

だから、ぼくにとっては、
そこの中間の浮島のようなところが、ダジャレで。
しょうがないから、ダジャレを言ってみて、
ああ、浮いてる浮いてるって思ったり・・・。
でも「ダジャレの人」になるような
和田勉な決意もないし、
その浮島を売りものにすると、
それもまた、会社の金になっちゃうんですよ。

だからね、松っちゃんに、
それを言わないでくれえという気持ちもあって。
そこがなあ。

・・・あ。
このへんの話、わかりにくいかもしれない。
読者でこれを分かる人がいたとしたら、
それはもう、何かになれる人でしょうね。
松本 いやあ、分からないでしょうねえ・・・。
糸井 分かる人も、いると思う。
若い時の自分だったら、わかると思う。
でも、その子はたぶん、将来どこかで、
「あの時に読んでいたぼくですよ」
というようなんだろうね〜。
やっぱ、「会社の金」って、
お金に直すとものすごくわかりやすいよ。

でも、そこをズルしてるのが
ミュージシャンだよね。
あの人たち、うたえるもんなあ。
「お前のために・・・」とか。
だから、うらやましいんだよね。
ミュージシャンは、ちょっと特殊ですね。
あれは、祭りの人だろうなあ。


(ご愛読いただき、ありがとうございました!)


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