高須 |
テレビの世界っていうのは限られているわけで、
その枠の中の何本を握っているかで、
自分の立ち位置が、わかるんです。
自分がここを取れて視聴率取れて、
で、こっちでは好きなことをやれてる、と、
なんとなくわかってきます。
タレントにもそういうのがあるじゃないですか。
テレビというのがいちばん大きな尺度で、
テレビでダウンタウンは何本やってる、
ゴールデンでこれだけレギュラー持ってる、
ギャラをこのくらいもらってる、
このぐらいの認知度がある、って、
それはひとつの尺度に、するじゃない?
・・・で、そこで、糸井さんの尺度って
どこに置いてるのかなあ?って思った。
糸井さん、バンバン行くじゃないですか。
尺度がないかもしれないところに行くのに、
不安はないのではないか?と思うんですけど。 |
糸井 |
ないよ。
それはだから、
ふたりが話しているのを聞いたら、
ぼくはもうちょっと馬鹿だったんです。
もう、二十歳過ぎて給料もらった時に、
「あ、俺は食える」と思ったもん。
そこは、おめでたいというか
図々しいというか・・・。就職して2年間、
ぼくは、親から仕送りをもらっていましたから。
つまり、4年間大学に行くはずなので、
中退しちゃったけど仕送りだけはください、
って言ったんですよ。
「これは、修行だから」とうまいこと言って。
親父も「そうだな」って言ってくれた。
で、仕送りと給料のすごい安いのとを
足して暮らしていましたから。
それは、実際に、食えていた。
他のことを考えなければだけども。
そこで「何だ、食えるや」というのを
すごい早い時期に思ったので、
何かをやめたり飛びこんだりというのが
ぼくは平気でできましたよね。
それを、繰り返してきましたし。
前の結婚をちゃんとやれていれば、
ある意味、ぼくは順風満帆でしたから。 |
高須 |
(笑)そっちの話にまた戻った。 |
糸井 |
それでぜんぶを失った時に、
「こりゃあもう、楽しく生きるしかないな」
と、もう大博打でも何でも、
好きなことをやるしかないなと、
覚悟ができたんですよ。
やっぱり「足し算」で考えたら、
失うものが、怖いですよお〜?
大嵐で家なくなっちゃった人とか、
神戸で大震災に遭った人を見ていると、
「この都市、だめになるな」って思ったじゃん。
・・・でも、何とかなってるじゃない?
ああいうのを見ると、みんなが考えている
ストックというか、蔵の大きさというのが、
あんまりたいしたことないなって、
体でわかったなあ。 |
高須 |
そうですね。
松本の財産が何億あるかはわからないけど、
その貯金がなければ今の松本はないかと言えば、
別に関係ないですからね。 |
糸井 |
そうそう。 |
高須 |
ストックは、何に使うかと言えば、
使えなかったらぜんぶ一緒ですもん。 |
松本 |
使えなければ、ないのも同然ですよね。 |
糸井 |
そうそう。ポジションもそうで、
つまり、「松本だから」ということで
5年後に仕事を持ってくる人はいないんですよね。
「松本だから」の状態を5年続けていれば、
「松本だから」になるんだけど、そうじゃないと、
ある時に「松本だった人」って、なっちゃう・・・。
そうすると、ストックは、頼りにできないんだよ。 |
高須 |
ここのところでこうやっていくとか、
つなぎあわせと言うか、バトンと言うか、
変化を考えることって、最近、あると思う。
松本にしても、そんなこと昔は考えてなかったのに、
自分の終わり方を考えているような・・・。 |
糸井 |
松っちゃん、ずっと考えているように見えるけど。 |
高須 |
いや、でもまあまあ、最初のうちは、
まずは、上がること、頂点に立つことがすべてで、
エンディングまでは考えてなかったと思うんです。
でも、あるところで終わりを意識して、
どっかから、スライドさせていきますよね。
・・・あくまでも、微妙に、ですけど。
「そんな無様な仕事はできへん」とか。
昔なら、余力があれば、
どんな仕事でもしてよかった。
「テレ東もやれよ、おもしろい」って言えた。
でも、今は自分のキャラを
どうスライドさせて先に進んでいくかが、
ぼくらにとっては、すごいむつかしいんです。
そこんところで、糸井さんは、
ぽんぽん行くじゃないですか。
「これやってみたい」って、ぽーんと。 |
糸井 |
俺、考えてないもんなあ。 |
高須 |
と言いながらも、考えてるでしょ? また〜。 |
糸井 |
うーん・・・たぶん、
考え抜いたことと、考えなかったことと、
結論おんなじになるというか。 |
末永 |
はい。 |
糸井 |
そうですよね? |
末永 |
そんなに変わらないかもしれませんね。
考えたことによっての結論、というのは。 |
糸井 |
つまり、リスクと、コストと、成功報酬、
この3つの軸があるとするじゃない?
でも、どれもリスクあるし、
どれもコストかかるし・・・・。
でも、よく考えてみると、
考えている時って何をケチってるかというと、
「考えるコスト」をケチってるんですよ。
早くラクになりたいと思って、考える。
野球でも、「勝利の方程式」とか
こうなると勝てる、というところに
行きたくて考えたりしてしまうと、
やっぱりうまくいかないと思うんだよなあ。
壊れるかもしれないという前提があるはずの
方程式に乗るような試合をしたくなると、
つまり、五回ぐらいまでしか
野球をやっていないことになっちゃう。
ほんとは、九回の裏に
逆転されたりするのが野球なのに、
「考えるの、辞めさせてくれ〜」って言いながら
ラクになりたくて勝利の方程式を考えてしまったら、
そこで迷惑なのは、選手なんです。
だったら、何にも考えないでも、
答えは、おなじだと思う。
「勝利の方程式」を作るために
10年考えました、といっても無理なんです。
・・・これ、説明になっていないかなあ。 |
高須 |
いや、わかります。 |
糸井 |
ぼくは、だったらいっそ、
というところに行っちゃいたくなった。
自分がおもしろいとほんとに思えるかどうかとか、
「あの人とはやりたい」という気持ちとか・・・
ガキがともだちと遊ぶ時とおんなじになってて。
「イトイさん、これは無理ですかねえ」
って言われた時にも、
その言われ方を好きになったりしてさあ、
「無理じゃないんじゃないかあ?」
って言ってみたくなったり。
そうすると、予算ゼロでも
何ができるのかを考えたくなって。
|
高須 |
勝利の方程式がないということは、
すごくよくわかります。
その都度考えて考えて・・・ですもん。
悩んだら悩んだぶんだけ良い、というのが、
ぼくなんかには、体に染み付いていますから。 |
糸井 |
マゾになるんだよね。 |
高須 |
「もっとストイックに考えなあかん、
もっと、もっと」・・・って。 |
末永 |
「これをやれ」と言われたぶんに関しては、
時間と手間暇をかければかけるほど、
やっぱり、よくなるんですよ。
でも、やった結果が良くなったかどうかは、
わからないんです。 |
糸井 |
そっか。 |
末永 |
だから、何をやればいいのかは、
わからないですよね。 |
糸井 |
つまり、何をやれというのが
設計図だとすると、設計図を
考えるところからしたいわけじゃない? |
松本 |
うん。 |
糸井 |
だから、俺、設計図を渡されるのが、
好きじゃないんです。設計図を渡されて、
「お前このビル建てろ」と言われたら、
それは違う奴がやればいいんだよって思う。
だからそういうのがつまんなく感じます。
でも、ホームレスが、
「ダンボールしかないんだけど、
これでひとつ、立派なやつを」
とか言われたら、できるかもしれない、って。
そうすると、それは普通の世の中では、
負け戦の話だと思われるかもしれないけど、
でも、これからの話って、
そのダンボールで、素晴らしい家が
できるようなことだとぼくは思います。
そうしたら、写真に撮られたり、
放送されたり、インタビューされたり、
全体の価値が大きくなる可能性があるので、
そこが、今までの時代との
一番の違いだと思うんですよね。
材料費の差はものすごいあっても、
人々に与えた影響を考えてみたら、
もし、世界中の人がそのダンボールハウスを
知っていると言われたとしたら、
すでに市場を作っていると思うんです。
それがインターネットというものに
ぼくが可能性を感じた原点ですよね。
例えばの話、この対談も、
松本人志がわざわざトーク番組で
ここまで裸になっているのを喋ったら、
視聴率・・・普通は、ないですよね。
「松本なのに、ない」というものになっちゃう。
でも、ネットでやった時には、はじめから
ゼロであるということを前提にしているから、
これはオッケーなものなんですよね。 |
高須 |
うん。今、テレビって、
素人ばっかり出てくるじゃないですか。
もう、何となく、自分の中では
勝利の方程式のようなもののひとつだと
思っているところがあって・・・。
「目線が、下がる」ことなんですよ。
松本人志が扉をボーンと開けて出てくるのと、
素人がぼそっと出てくるのとでは、
松本人志はおもしろいことを言うに
決まっているという「すりこみ」がある。
だからぜったいに
おもしろいことを言わなあかんし。
まあ、テレビの歴史が浅い時には、
それでも良かったことはあります。
何やってもはじめてだったから、新鮮だった。
でも、これだけ長い間、
生まれた時からテレビに慣れてしまうと、
テレビがあるという絵に飽きているので、
「おもしろいことを言う人」の芸人ならば
おもしろく出てきておもしろいことを言い、
ぜんぶがおもしろいに決まってる・・・
そうやって予想して見ているんなら、
「・・・あれ?」と感じる時も、
たまには、あると思うんです。
想像している敷居が高すぎるから。 |
糸井 |
「つまんなくなった」とか、
言っちゃうんだよね、平気で。 |
高須 |
で、素人だと、おもしろいことを
言うとは期待していないんですよ。頭から。
でも、
「どうしようもないことを言うんだろうなあ」
と思っていた時におもしろいことを言うと、
「おもしろいじゃん、この番組」って。
・・・でも、それは
見方の位置が違うだけですよね。
目線が下がってるだけだから。
今は企画も、目線を下げる企画ばかりです。
「おもしろいことをやるよ!」
という企画が、ないんですよ。 |
糸井 |
埋め立て地みたいですよね。 |
高須 |
そうですよ。
さっきのダンボールの家もそうですけど、
「何にもないよ、ほらほら」っていうところに
ぽつんと置くから、すごいというように
見せてるじゃないですか。
でもぼくは、こういう状態は、
また変わるような気がしています。
だからぼく、
「ガキ」のトークが好きなんです。
「プロのトークを見ろ」みたいな雰囲気が。
だから糸井さんが前に言っていたように、
まだ、ライブというのに対しては、
人が足を運んできてくれる。
わざわざ来てくれるというのは、
やっぱり、プロが見たいからなんです。
インターネットが進めば進むほど
次にはプロが見たくなるんですよね。 |
糸井 |
ぼくがダンボールの家が好きだっていうのは、
高須さんのイメージと少し違っています。
ダンボールの家を素人が一度だけ作るのならば、
今のテレビ番組の作り方になりますけども・・・
でも、俺が入って作ったダンボールの家は、
本気でやったら、そこに泊り込むぐらいですよ。
施主のホームレスのおじさんが
「もう、そんなもんでいいよ」と言ったって、
「嫌だ」と言い張りますよね。
で、1週間泊り込んで、これならできた、
というときには、もう、ダンボールの家では
済まないものになっちゃうんですよ。
その考えを、国会議事堂に応用できないかな、
というようなものが、生まれるのよ。
・・・これはけっこう生意気な言い方だけど。
そこで作られたものは
ダンボールにしか過ぎないんだけど、
そこで「住むって何?」だとかへの、
ものすごいヒントが、
ダンボールで作ったからこそ
急に生まれてくるというか。
ずっといい家だけを作ってきた人には、
そこは見えないようなもので・・・。
そういうことを俺ができるのかなあ?
と考えると、もう、老い先も短いわけだし、
いくつできるのかなあ、っていうのに、
興味あるよねえ。
ジョイントして何かを生みたいんなら、
「俺がわざわざ行くんだから」って、
かなり生意気にならなきゃいけないと思います。
「ありがたいです、やらしてもらいます、
これで、住みやすくなりましたよね?」
と言うんじゃなくて、もう親父が止めても
「嫌だ」って言ってやるからできるわけで。
結果論としては、あとになって、
ホームレスの親父のほうが、
「あれ、やっといてよかったよ」
っていう気持ちになればいいと思う。
五年後にその親父が
ダンボールの大家にでもなってれば
おもしろいじゃないですか。
そういうようなことが、
きっと他の分野でも、できると思うんです。
|
糸井 |
俺、いま、
「世界でいちばんかわいい犬」
というサイトをおもしろいと思う。
そんなの誰が決めたんだよ、
という感じもあるけど、
「世界でいちばん」と検索すると
そこのページが出てくるもんなあ。 |
末永 |
(笑)本人が名乗ってるだけですよね? |
糸井 |
そう。
で、そういうのって、企画書を書いて、
「世界でいちばんかわいい犬」という
サイトを作ったら、人が来ますよ、
なんて書いたとしたら、
企画書としてはまずボツですよ。
「いっぱいありましたよね?動物もの」
とか言われて。
でも、行ってみるとわかるんだけど、
なんかねえ・・・
「そういえば、そう」なんだよ。
そういえば、世界でいちばんかわいい。
単なる捨て犬だったみたいだけど。
耳がコアラみたいになってて、
こんなにちっちゃい。
ジョンベネちゃんみたいに
いろんな衣装を着せたりして、
ふざけたことやってるんですよ。 |
松本 |
(笑) |
糸井 |
とうとう、評判になっちゃって、
テレビにも映ることになって、
日本の俺ですら知ってるわけですよ。
それ、ダンボールハウスじゃないですか。
「捨て犬」という意味でも、ね。
例えば、仮に何かの催し物で、
世界でいちばんかわいい犬を
アメリカから呼びましょう、という時には、
そこで稼げるものの量は、とてもすごいよね。
そうやって、単なる点でしかなかったものが、
急に何かになる、というか・・・。
もともとは何でもないものだったけれども、
それを松本人志と組ませたらどうなる?
とかを考えると、おもしろいと思います。
しかも、テレビ局のイニシアチブじゃなくて、
例えば松本人志という人が、
世界でいちばんかわいい犬と俺との関係で
何ができるんだろうかと考えたら、
とんでもない楽しいことじゃない?
・・・というようなことが、
これから山ほど出てくると思ったら、
今までの企画書って無駄だったとさえ感じる。
考えに考え抜いた企画書と、
世界でいちばんかわいい犬と
どっちが、インターネット上の
視聴率を取れると言ったら
「世界でいちばんかわいい犬」で。 |
末永 |
さっきおっしゃった目線というか、
このサイトの場合はコストがゼロに近いから
いろんなことができるんですよね。
テレビって、枠のひとつがすごい高いから、
冒険ができにくいですよね?
だからどうしても、
とんでもないことが怖くてできない。 |
糸井 |
うん。
捨ててもいいや、という賭け方があるから
大穴が当たるわけであって、
「もとを取りたいし大穴を当てたいと」
という賭けかたは・・・。 |
末永 |
両立しないですよね。 |
糸井 |
それはきっと、株の世界でも
まったく同じようなことがありますよね? |
末永 |
そうですね。 |
糸井 |
で、捨てちゃいけない場合は
それ用の買い方をするんですよね。 |
末永 |
株は捨てられないお金で
買っちゃいけないんですよ。
株は、ゼロになってもいいという
お金で買うべきなんです。
借金で株をやってはいけないんです。 |
糸井 |
なるほど。邱永漢さんも言ってたよね。
でも、最高の情報を知っていたとします。
裏情報から何から・・・。
そういう時に借金をして買うことも、だめ? |
末永 |
それが「最高の情報であった」と、
結果的には言えるかもしれないけど、
でも、受けた状態で結果がそうなのかは、
そんなのはわからないんです。
それ、さっきとおなじで、
その時には結果はわからないんですよ。 |
糸井 |
いいなあ、そういう話。
聞いててスカッとしますね。 |
末永 |
一般論としては、ここだけの話だよ、
というのは、ほとんどガセです。 |
糸井 |
釣りとおんなじだー。 |
末永 |
それ、なぜかと言うと、
仮に知っている人がいるとして、
ほんとに知ってる人は。言わない。
言って得することは何もないですから。
そこは黙って買うだけです。 |
高須 |
「言って得することは何もない」
って(笑)、確かになあ。そうだよね。 |
糸井 |
トレンドを大きく変えてく時には、
言いまくってみんなの票を
こっちに集めるということは、あるでしょ? |
末永 |
いや、それがその、
本当に秘密の情報があって、
これが例えば24時間以内に
必ず上がる株だというような最高の情報なら、
そういう操作を考える必要ないですよね?
仕手筋とかは、そういう
価値のないものを煽って、
名を上げていこうということはあり得るけど、
本当に価値のあることが分かっているものには、
そんなことする必要がないですから。 |
糸井 |
それ、ぼくのともだちで、
何てわかる人なんだと思わせる人がいて、
その人は、
「美空ひばりは、いろいろなところに
出る必要は、ないんですよ。
美空ひばりでありさえすればいいんです」
と言っていたんです。
その通りだと思ったなあ。
「ほかの歌手は、頭下げて歌うたって、
嫌かもしれないけど笑顔をふりまいて
帰ってこなければいけないんだけど」
って、それ聞いて俺、すごい勇気が出た。
美空ひばりは、寄付させても
その場に行かなくていいっていうんだもん。
だから松っちゃんも、行かなくていいんです。
いっぱい寄付させといて、
「でも、俺は行かへんけどね」
と言っててオッケーなんですよ、きっと。
その株の情報も、絶対自信があれば、
根回しする必要なく上がるんですよね。 |
末永 |
そうですね。絶対に自信があれば、ですね。
ほんとの秘密情報というのは、
もしあったら、インサイダー情報だし・・・。
だから、うまくできないので、
どちらにしても、その方法はないですね。 |
糸井 |
取引できないと。
理論的には、一切ないんだ。 |
末永 |
あるとすれば、その中に、
賢い人と賢くない人がいるだけで。 |
糸井 |
野球観てる時に解説者が、
「ここはバントですかねえ」
とかいろいろ言うじゃない?
あれだって、確率的には当たったのが
多いのを言うだけだから、よく外すもんなあ。
|
糸井 |
「自分だったらどうするだろうなあ?」
とかいうことは、つまらないものなら、
こちらに思わせてくれないはずですよね。
でも、松本さんの場合、
「自分だったらどうするだろうなあ?」
というこちら側の想像力を、
いつもつかんでくれますもん。 |
高須 |
そこは、うまいです。 |
糸井 |
ああいう時に、世の中には
天才っていうタイプの人は、
いるんだなあと思うね。 |
高須 |
ぼく、だから、
松本は絵描きだと思うんですよ。
人の頭の中に、絵を描かす。
トントントンっていって、
最後に哲学が入って「どう?」という。
で、ガッと笑えるようになっている。
そういう絵描きだと思うんです。
喋り方がぜんぶそうで、
一個一個ばらさないように
振って振って、で、さいごにドーンと出す。 |
糸井 |
松っちゃんが
それをやっているのを観ていると、
考えを追っかけていく楽しさがあると思います。
「自分だったらどうするだろうなあ」
と無意識に追いかけているから、
そこが一致してもうれしいし、
裏切られても楽しいし、ぼくたちは、
完全に作り手として楽しんでいますよね。
あ、今度松本さん、脳波を測りませんか?
ぼくこのあいだ測ってもらって。
計算とかいろんなことをしている間の
脳波を測る、というものなんだけど、
そしたら、日経新聞を読んでいる時にさえも、
ぼくは、右脳・・・感情側が動いてたんです。
「ブッシュかゴアか」とか書いてある時に
右脳が動いているというのが
どういうことかというと、
たぶんぼくは、その文章を
書いている人の気持ちが知りたいだって。
えっと・・・
例えば「ブッシュ、不覚!」って
書いてあったとするじゃないですか。
だとすると、それは「不覚だ」と
思った奴がいたからそう書いたわけで。
純粋な事実なんか、
世の中には何もないじゃないですか。 |
松本 |
うん。 |
糸井 |
そうすると、彼がそれを書いた時に、
「この野郎」と思っているのか、それとも
「何とかこの人に良くしてやってください」
なのかが、やっぱり、含まれていて。
あらゆる文章の中に感情が入っているはずで、
そういうのを観るのが俺は好きなんだ、
ということが、よーくわかりました。
だから、日経新聞の一面でも
そうしてるってことは、きっと、
あらゆる場面でそうなんだと思います。
例えば、詐欺師っぽい奴に会うと、
言葉のやり取りが何ともないとしても、
なんか・・・不快じゃないですか。 |
松本 |
(笑)はい。 |
糸井 |
実は、
彼が何を考えてしゃべっているかを、
ぼくが絶えず考えているからこそ
その時はすごく疲れるし不快だし・・・。
ぼくはそう思っていたということを、
脳波を測っていて、わかったんですよ。
例えば、講演とかしたあとで、
質問してくる奴に、ぼくは
悪口を言う時があるんだけど、
それは、あなたの考えは素晴らしい、
っていう演説なんですか?
それともぼくに答えを聞きたい質問なんですか?
と、言いますよね。 |
松本 |
(笑)やらしいこと言いますね〜。
・・・でも、そうですよね。
それは、よく感じる。
番組の投稿欄と一緒ですよね。 |
高須 |
(笑) |
松本 |
お前はそれをほんとに言いたいのか?
それともこれを新聞に載せてほしいから
そう言ってるのか?と思うことは、
ほんまにありますよね。 |
糸井 |
そう。
ぼくは瞬間的に天狗になる人間なので、
それを、直接言ったりするんですよ。 |
松本 |
(笑)喧嘩になりますよ。 |
糸井 |
なります。
なりますけど、早くその場を
喧嘩にして別れたいという気持ちがあるから、
いいや、と思ってやっちゃうんですよ。 |
松本 |
でもそれ、わかるなあ。 |
糸井 |
わかるでしょ?
要するに、テーマは何かと言うと、
語られていることじゃなくて、
動機のほうにあるわけですよね。
末永さんのような人に会って
おもしろいと思うのは、
ものすごい金儲けをやりつづけていて、
テーマが「金儲け」だったのか、
それとも「お金を使ったゲーム」だったのか、
そのへんがもう、わけのわからない、
人には想像のつかないものになってきてる。
そういう話が聞きたいわけですよ。
具体的に儲かる方法を聞いたって、
あんまりおもしろくないですよね。
それは誰かがやればいいだけのことだから。
それよりも、人がいろんなことを思っていたり、
こういうことを言いたいのにこう言ったとか、
そういうことを、ぼくが、いちいち、
「おもしろいなあ」と思って見てるほうが、
楽しいじゃないですか。
末永さんと最初に会った時も、
この人のうなづき方っていいなあ、
と思っていて、だから知りあいになりました。
うなづいたり笑ったりしているタイミングが
自分とおんなじ人とは、仲良くなれるんですよ。
いくら立派なことを言っていても、
「違う。あれとは、いいや」
って、しょっちゅう思うじゃないですか。
たぶん、松本さんもおなじじゃないかなあ。 |
松本 |
それは、わかりますね。 |
糸井 |
それ、脳波調べたら、俺は
いつもそういう考えをしているし、
それしかできないんだろうと分かった。
論理でどうだとかいうよりも、
わからない人は捨てればいいわけだし・・・
つまり、動機がすべてだっていうことが、
わかったんですよ。
|
糸井 |
自分の脳波をはかるのって、
ちょっとおもしろそうでしょ?
もしやる気があったら、
言ってくれればいつでもできますよ。
松本さんが「絵で思う」っていうのは、
たぶん右脳をものすごく使っていて、
言葉にならないイメージが先に湧きあがって
俺には分かってるんだけど説明できない、
というようになっているのかなあ。
今の小説家のほとんどが、
左脳が動いてるんだって。
論理で、こうしてこうしてこうして、
っていうふうに書いてるらしいんです。
でもおそらく、詩をつくるのは、
そういう感じではないんですよ。
絵としてさえもなってないイメージを、
何とか作りたいなんて思っているのは、
どう考えてもロジックじゃないでしょ。
「どうしたらいいのかは
わからないけど、わしゃ分かっとんねん」
というのが、あるんですよ。 |
松本 |
うん。何となく分かります。
ぼくの場合は、
話していることが、例えば
絵を描いて、壁に貼っているような
ものだとしたら、ぱらっ、ぱらっ、と、
その紙が落ちるようなものなんです。
そこで、
これではいかんなあということで、
ピンを刺していくんですよ。
そのピンが多すぎても、
明確にばっちり貼れすぎてしまうので、
どのくらいの間隔で貼るか・・・
それ絵の大きさにもよるんだけど。 |
糸井 |
それ、ものすごくよくわかるわ。
ぼく、コピーを考えている時でも、
一年をつなぐキャンペーンをやる場合は
「あ、できた」と思ったとしても、
終わりにしないで、まずは
頭の中の壁に貼っておくんですよ。
そのポスターが街に貼ってあるとしたら
人はどう思うかなあ、というような、
そこからが、長い時には半年かかるんです。
コピーを考える時間よりも、
試し算をしながら生活する期間のほうが
実は長い場合もけっこうあるんです。
「できた」と思って、
自分にはイメージがわかったとしても、
それは、みんなにとっての
イメージではないかもしれないから、
自分の中の壁に絵を貼るところに、
大勢と仲良くするために貼っておくの。
「俺は、できた」で終わりにしたいんだけど、
ぼくの場合は、ずっと、
「人が何て言うかなあ」
が重要なところで商売をしてたから、
そういう時間が必要だったんですよね。
放送作家たちは、論理なの?
それとも、松本さん的な・・・? |
高須 |
いや、逆でしょうね。
まったく逆だと思います。
そこは二つに分かれるとは思うんです。
コントだと、いまだに
なんとなくアナログですから、
「それおもしろい、じゃ、やってみよう」
そうやって作ってできるものだと思うんです。
粘土を作って、いつのまにかできてるような
オブジェのようなのがコントだと思うんです。
でも、今のテレビで視聴率考えて
どうのこうのすると、その作りかたは
たぶん成立しなかったりするかもしれない。
「もっと、まるいもの・・・。
全体的にはこれくらいの幅で」とか。
「まるくて見やすくする」とか。
「今いいのは赤い色だから、それ入れて。
でもそれだけでは俺らがつまらないから、
ここから、何を足そうか・・・」
そういうところで、
「じゃあ、あれやろう、これやろう」
と、はめものみたいになってきますね。
だから「持ってくる」っていう感じで。 |
糸井 |
レゴみたいな。 |
高須 |
そうですね。
パズルはめるみたいになってますよ。
企画考えるのも、
けっこうそっちの話になってますね。 |
糸井 |
その時に、レゴのひとつが
松本人志だったりすると、
レゴのくせして違うかたちになって
反乱したりするじゃないですか。
それは、計算に入れるんですか? |
高須 |
入れますよ。
「遊びの範囲」とか、
天井はこのへんにしようとか、
そういうことは意識していますね。
でも、ぜんぜん違うことしますので。
こちらの思い描いているハコの中から
出ていってしまう時も、ありますから。
でも、今の放送作家は、基本としては、
粘土を作るような作りかたを、
バラエティではしていないですよね。 |
糸井 |
だから逆に仕事になるとも言えるんだね。
みんな松本人志じゃ困るわけですから。
・・・でも、松本さん、
企画も、ずいぶんしてますよね? |
松本 |
あ・・・割とぼく、今、企画は
そんなに前ほど一生懸命やっていないですね。
「ガキ」のオープニングなんかも、
前ほどは、時間かけてやってないです。
それは意識してそうしてるところもありますね。
ちょっと、ふわっとして、やってみようかなあ、
という、今はそういう期間で。
来年になるとどうなるかは分からないけど。
割とこの一年、企画、早いよな? |
高須 |
早い早い。 |
松本 |
会議も早く終わらせます。
あんまりそっちばっかりやっても
しょうがないかなあと思っていて。 |
糸井 |
サイズが変わっていく時期なんだろうね。
サナギとかが・・・。 |
松本 |
うん。
(明日につづきます) |