松本 |
こないだ、テレビで
ピンクレディーと山口百恵の特集やってたんですよ。
それを見ていて思ったんですけど、
子どもに支えられるって、怖いなあ。 |
糸井 |
(笑) |
松本 |
ピンクレディーに対して、
それをものすごい感じました。
子どもって、引き離す時にはひどい。
「もう知らん」だからね。 |
糸井 |
(笑) |
松本 |
だからあの、一時期、
横浜銀蝿が矢沢永吉を抜いた時が、
まあ・・・あった、じゃないですか。 |
糸井 |
(笑) |
松本 |
でもあれを支えているのは
やっぱり、子どもでしたよね?
だからあいつらに支えられるのは・・・。 |
糸井 |
そうですよー。
すでに、
「ピンクレディー」という例え話そのものに、
今ここで聞いている若い子は
うなずいてくれていないですから。
その意味では、
ガッチャマンとか月光仮面みたいな。
ぼくは、ヒーローというと、
ついつい「月光仮面」と言っちゃって、
若い子にばかにされるんですけど。 |
松本 |
(笑) |
糸井 |
ヒーローって、
世代ごとにみんな違うというのが
わかったんだけど、でも、
「じゃあ、バイオマンだ!」
って言われたってねえ? |
松本 |
はははは(笑)。
ぼく、今それ、はじめて聞きましたもん。 |
糸井 |
ぼくが自分の子どもと遊んでた時には、
バイオマンとチェンジマンだったんですよ。
そういうのって、
一個一個が「ピンクレディー」ですよね。 |
松本 |
うん。 |
末永 |
その子らがおとなになると、消えちゃうんですよ。 |
松本 |
消えるんです。 |
糸井 |
マンガでも、赤塚さんと手塚さんという
そのふたつ以外は、
やっぱり瞬間風速で消えていったもんなあ。
やっぱり、欽ちゃんのことは、
もっと、一回きちんと話したほうがいいという、
そこには恐怖に近いくらいの感覚がありますよ。
大切な話題だと思うから。
NHKで「ようこそ先輩」という番組があって、
そこでぼくは学校の先生をしたんですよ。
できるような気がしちゃって行って、
スタッフはオッケーって言ってくれたんだけど、
ぼくの中としては、もう、現場で、
惨敗の気持ちで帰ってきたんですよ・・・。
ふだんぼくは、インテリたちが
インテリにしか分からない言葉での
「うん、AはBでねえ」という会話を聞いて、
「そんなもん、誰にも通じねえよ!」
と言っている立場なんですよ。
だから、
「俺が俺の言い方で言えば、少しは通じるかも」
と、番組収録前には、ちょっと思っていました。
でも、行ったらさあ・・・。
スタッフは「いい」と言ってたけど、
やっぱり俺としては、ダメなの。
思えば、いつだって、
「自分を理解してくれる人は、多くない」
という前提があって生きてきたんだよなあ。
理解してくれない人は、まあ、いいや、
と思ってここまで来たんだけども、
でも、実は「まあ、いいや」の
理解してくれない人の数のほうが
圧倒的に多いんだなあと思いました。
その圧倒的な数の人に対して、
「お前らの理解なんて、要らないよ」
と言うわけにはいかないかもしれない。
そう考えだしたら、ちょっと寒くなった。
「ほぼ日刊イトイ新聞」は、
みなさんいらっしゃい、でやっています。
いつも分かるように喋っているはずですが、
やっぱりそこでも
「わっからねえよ!」
と言う奴に対しては、最終的には
「いいよ、わからなくて!」
というメッセージに、なっているんですよ。
だけど、数で言ったら、
「わからねえ」がいちばん多いわけだから、
それに触れられないのは、
ぼくの課題かもしれないと感じました。
「インテリはだめだ」
と言っているぼくそのものが
セミインテリにしか過ぎないと思うと、
「どうしよう?」と考えはじめまして・・・。
ダウンタウンも、そういう話と
近いところを持っていると思いますが、
例えば、全盛期の欽ちゃんが巻きこんだ
あのとんでもない分量を、
やればできた人がいたとしたら、
そこを捨ててしまうのはもったいない・・・。
そういう気持ちが、ないことはないでしょ? |
松本 |
はい。 |
糸井 |
かと言って、わかんない奴には
腹が立ちますよね? |
松本 |
腹立ちますね。 |
糸井 |
そのふたつの矛盾を、どう思いますか? |
松本 |
あのね・・・。
答えになってるかどうかは
わからないんですけど、まあ・・・。
待ってるしかないと思うんですよ。 |
糸井 |
うわあ!
・・・いいなあその答え。 |
松本 |
子どもが成長するのを待つしかない。
ぼくはそう思ってるんですけど。
ある子どもが成長した時には、
また違う子どもがいるだろうから、
そいつらには、また、通じないんですけど。
でも、それしかないんじゃないかと思うんです。 |
糸井 |
なるほどなあ。
宮崎駿さんも、
「となりのトトロ」を作った時のネコバスは、
サービスで加えたキャラクターなんですよね。
最初の設定では、なかったはずのものです。
ネコバスを入れると、人気も出るし、
確かに動いているとおもしろい・・・。
そういうものを、自分でも嫌じゃなくて
入れるという選択を、宮崎さんはできた。
ぼく以上に年上の人だからこそ、
自然にそれをできたとぼくは思うんです。
・・・そのあたりに、いっぱい、
秘密が隠れているような気がします。
それはねえ、笑いだけじゃなくて、おそらく、
他の分野のものごとに対しても言えるというか。
|
糸井 |
競馬場で自分が
人ごみに紛れているのはOKなのに、
その人たちの前で演説するのは、
「ちょっと、いいです」
と言うような、そういうことをくりかえして
だいたいの人は一生が終わってしまうんです。
そこを、欽ちゃんは、
演説することができたかもしれないと思う。
特に、前川清を使っていた時期なんて、
完全に「イっていた」ですよね。
そこを、たけしさんも、よけましたよね?
映画というものを作る方向に行きましたし。
よけていなかった人って、いないです。
テレビ局でテレビを作っている人は、
それを本気で考えたら、番組を作る時に、
もっと答えを出しやすいでしょうね。
大勢で作ることができるわけだから。
それを俺たちみたいな
職人で生きてきたようなタイプが
話題にしているのは、はじめから
無理なようなことだと思うんですけど、
欽ちゃんをなめちゃいけないっていうか。 |
松本 |
もっと語るべきですよね。 |
糸井 |
平凡なおじさんおばさんの笑いだと
思われてるけど・・・。 |
松本 |
違いますよね。 |
糸井 |
それじゃあ、あんなにならなかった。
コント55号が最初にコントやってるのを見てて、
俺、キチガイだと思ったもん。 |
松本 |
(笑) |
糸井 |
松っちゃんも知らないですよね。
デビューとかは。 |
松本 |
「なんでそーなるのっ」って言ってるのが
ぼくの小学校低学年くらいでした。 |
糸井 |
でも、変な気持ち悪さを感じませんでした? |
松本 |
ぼくの場合、関西圏でしょ?
だからちょっと複雑なんですよ。
それを見ながら吉本新喜劇もあったり、
松竹もあったり、いろいろな情報が
ガーッとあったから、どこかで
「東京の笑いなんて・・・」
という気持ちも、あったんですよね。 |
糸井 |
フィルターかかってますよね。
でもぼくは、他に
ああいうものを知らないですよ。
若い子に言っても、コント55号が
キチガイに見えた時代を知らないから、
この感覚が、通じないんですよ。
おだやかでほのぼのの人だと見なされている。
そこは誰か、ぼくらぐらいの世代の人が
ちゃんと語らないとダメだと思うくらいです。
いまだかつて、いなかったから。 |
松本 |
割と、何か、その問題は
アンタッチャブルみたいに
なっちゃってますよね。 |
糸井 |
うん。
アンタッチャブルだよ。
モノマネをする以外では
誰も語ってないですから。
小堺さんのまねはおもしろいけど、
そうではないんですよね。
手塚治虫さんがそうで、
どんな若い作家が出たとしても、
例えば『がきデカ』が出た時期にも
「これで対抗だ!」というように
ぜんぶ自分の作品を、
当時のヒット作にぶつけたんですよ。
手塚さんは、性格としては、
「悪い奴」としか
言いようがないくらいのすごい勝負師で、
その時代時代のマンガをぜんぶ描いてますよね。
これも、キチガイだと思うけどなあ。
あそこでも、いちおうは
文部省公認みたいにされているから、
手塚治虫さんという人は、
かなり誤解されているけど、
ほんとうはキチガイですから。 |
松本 |
善人のように映ってますけど、
違うんですよね。 |
糸井 |
善人じゃないところを語ると、確かに、
やっぱり、かっこ悪く見えちゃうんです。
「志半ばで負けた人が、すごい」
という先入観がみんなにあるから、
志半ばの人として見るとかっこいいけど、
実はほんとうに必死で・・・。
そこいらへんを、もうちょっと、
これからは、関脇のかっこよさよりも、
横綱のほんとうのすごさを語るほうが、
大事だよなあ、と思います。 |
末永 |
ほんとにすごいのは、横綱側ですよね。 |
松本 |
うん。 |
糸井 |
「他に誰がいるの」っていうと、
各ジャンルごとに絶対いるはずですよね。
でも、川上哲治が好きと言うと、
なんか、かっこわるいんですよね。 |
末永 |
つまらないんですよ。 |
糸井 |
あ「つまらない」というのは
横綱の要素として、あるよね。 |
末永 |
長嶋のほうがおもしろいじゃないですか。 |
糸井 |
ある意味ではぼくも、
ダウンタウンについて、川上哲治を語るように
語らなければいけないのに、
そうしていないところがあるかもなあ。
まだ理解していないという
どうしようもない人たちがいるから、
つい、そっちに目が行っちゃうけれども、
そうじゃないのかもしれないですよね。
まだ理解していない人は
ある意味、滅びゆく人として扱わないでおいて、
これこそが視聴率100%の可能性があるんだ、
という目でダウンタウンを見たほうが、
ほんとうにおもしろいのかもしれないです。
松本さん、
古典的なお笑いのしていることを、
刑務所で漫才をやりはじめるというコントで
やったことがあるんですよ。
あれは、本人は勉強したはずないんですよ。
なのに自分で台本書いてやってるんだから、
おもしろいですよね。
「そんなくらい、俺もやってないけど知ってるよ」
ということでしょう? あの感じは、うれしかった。
ぼく、若いころに、
自分の仕事でああいうことをやったから。
「文章をちゃんと書けない人」と思われていて、
「やっぱり、ああいうのが出てくるんだよね」
と言われて、かなり腹が立っていた時に、
無理矢理、おカタい広告を引き受けました。
それで賞を取るって決めていたんです。
「あれは、パッと出じゃないかもしれない」
と思わせたくてそういうことやったんですけど、
それに近いものがありますよね。
あんなの、簡単にできちゃったんでしょ? |
松本 |
はい。 |
糸井 |
(笑)いいよねえ。
あれ、もっと驚いてほしいのに、
みんなは、ごく自然に受けちゃうんだよね。 |
松本 |
ぼく、基本的には、お笑いオタクですからね。
小学校1〜2年くらいで
落語会観にいってたぐらいですから。 |
末永 |
やっぱり、圧倒的なベースが必要なんですね。 |
糸井 |
そりゃ、オタクじゃないと、
今の情報戦争を勝ち抜けないでしょう。
瞬間風速なら、山田花子でオッケーですけど。
|
糸井 |
松本さん、デビューして何年ですか? |
松本 |
もう、19年ですね。 |
糸井 |
そうかあ。
辞書の言葉を増やしたみたいなことを、
その間にものすごくやってるし・・・。
「嫌かもしれないけど笑いかもしれない」
ということを、山ほどやってるじゃないですか。
板尾の使い方とか。 |
松本 |
(笑) |
糸井 |
ああいうのは、会議の時に決断するんですか? |
松本 |
あんまり、しないですね。
ぼくはけっこう会議は手ぶら派なので、
前もって、何か持ってくぞ、
というのはあまりないんですね。
ふわーっとした感じで会議に行きます。
ただ、コントじゃないし、
ドキュメントでもないという
ミディアムの部分のジャンルを
作りたかったというところはあって。
あれ、わからないじゃないですか。
どこまでほんとでどこまでウソかが。
あんまり賢くない視聴者は、
板尾の嫁の役、ブラジル人なんですけど、
あれをほんまの嫁さんだと思ってる人いるし、
板尾ってほんまにあんなやつなんや、
と思ってる人もいるぐらいの、
非常に危険な技なんですよ。 |
糸井 |
それって、板尾創路に被害の及ぶ危険さを
吟味したうえでオッケーを出すわけで、
今までは、吟味もしなかったと思います。
「何でやったことなかったの?」
みたいなことを、たぶん、松本さんは
絶えず、受け側として考えているんだろうな。
でも、あとから来た人は、その方法を
ぜんぶ勝手に使っちゃうんだろうな。 |
末永 |
特許がないですね。 |
松本 |
流行語ってあるじゃないですか。
特許もむつかしいんだけど、
もともとある言葉で、
こういう時に使うわけじゃなくて、
違う場面で使うようにした言葉って、
特許がないんですよね。 |
糸井 |
ご褒美は、
「みんなが使った」
というだけですよね。 |
松本 |
(笑)そうなんですよね。 |
糸井 |
「それ、おれじゃん!」って思うだろうなあ。 |
松本 |
「きっつー」って言うでしょ?
昔、そういう時に使わなかったんです。
窮屈とか辛いとかとは
違う意味で使いますよね。 |
糸井 |
「さぶい」もそうでしょ? |
松本 |
そうですし、
「へこむ」も最近よく使うでしょ? |
糸井 |
それ、俺たちの仕事と似てるなあ。
こっちのほうが合ってると思ったから
使ったんだよね?・・・なのに、みんなが、
あたかも、前からあったかのように使う。 |
松本 |
そうですよね。 |
末永 |
特許でお金を取ったら、
みんなは使わないかもしれない。 |
松本 |
なるほど。 |
糸井 |
フリーウェアか。 |
末永 |
言葉って、究極のフリーウェアだから。 |
糸井 |
松っちゃん、こう考えるのはどう?
純粋にビジネスとして考えたら、
「きっつー」というのをみんなが使って
流行してくれた時には、
「自分の遺伝子があちこちに広まった」
と考えてみることにしてみると・・・。
そうすると、次の笑いを載せるお皿が
増えたって、考えることは、できない?
それは企業としては、大成功なんだから。
詳しくは知らないけど、携帯電話は
そうとう高く売らないといけないらしいけど、
でも、かなりの金額を、NTTは経費として、
自分で出して飲んでるんですよね。 |
松本 |
ああ、そうかあ・・・。 |
糸井 |
自分でお金を出すまでしても
「人に行き渡ること」を重視したおかげで
バーンとばらまかれていったんです。
経費として電話本体のお金を
自社の経費にしてしたおかげで、
毎月の電話料金の支払いが増えて、
ビジネスとしては成り立っているでしょう?
任天堂の社長なんてよく、
「ほんとうに売ってるのはソフトなんやから、
ほんまはファミコンは、配ったらええんや」
と言っていたし、マイクロソフトの
インターネットエクスプローラーもタダです。
お笑いも、それとおんなじと考えると、
「きっつー」というソフトを
配りまくったと思えば、
企業戦略として、かなり正しいよね。
・・・タダだったからこそ、できたという。 |
松本 |
そう考えられたら、かなりいいですね。 |
糸井 |
でもさあ、実際に、
そういうことに近いものが、
とてもあるんじゃないかなあと思います。
だって、木村拓哉が髪型を変えるごとに
若い子の髪が変わるっていうのは、
「私は木村拓哉を認めます」
という一票じゃないですか。
で、いっぽうでコマーシャルが
「1億円でおねがいします」と来るのは、
やっぱりそういう1票1票が支えになって
最終的に木村拓哉に票が入ったわけじゃない?
そうしたら、タダで真似された髪型だって、
「携帯電話を配った」のと同じなんですよね。
でも、それだけだと、まだ、
みんなの支持を、スポンサーというかたちで
ひとりの人間からもらって課金完了、
ということにしかなっていませんよね。
でもぼくは、そういう
今までのかたちとは違うおもしろい展開が、
もしかしたら、これからはあるんじゃないか、
と考えているんです。
「お金として回収するかたちが、
今の状態では、まだ見えない」
という例が、これからは増えるんじゃないかなあ?
回収できないけれども、可能性はある、
というものがとても貴重だと思うんです。
さっきの携帯電話は、
回収方法が短いスパンで分かっていたから、
思い切って投資できたけれども、
でも、例えば松本人志のある言葉や
あるギャグがばらまかれたことに対しても、
もっと長いスパンで、だけれども、
違う方法があるんじゃないかな、と思う。
「回収する方法はこうですよ。
ひとりからお金を取ればいいんですよ」
と言えば、まあ、簡単に言えはするのですが、
「そうじゃないんだよ!
そうじゃないところにあるんだよ、
何だかは、まだわからないけど・・・」
というところにある何かがさあ、
すごくおもしろいとぼくは思うんです。
例えば、『遺書』『松本』『愛』と
本を出した時に売れたのが
回収だったのかもしれないし・・・。
どういうことが起こりうるのかが
誰も、どうなんだかわからないですから。
「思ってもみないところで収穫できた」
という例が、これからは、
もっと増えていくとぼくは考えています。
ポテンシャルだけがある状態で、
「ま、しゃあないなあ」
と言っている人って、例えれば、
ものすごい蔵を持って走ってるのと
おなじような状態ですよね。
すごいんです。
|
糸井 |
ポテンシャルこそが
ものごとの価値のすべてなんだ、
ということにぼくが気づいたのは
赤城山の埋蔵金を調べた時なんですよ。
徳川埋蔵金を掘っていてわかったのは、
江戸幕府がフランスから借金をしたのですが、
フランス側からして見れば、
徳川埋蔵金があろうがなかろうが
日本にお金を必ず貸すという事実がありました。
フランスの銀行に取材をしたら、
当時、現地に金を貸すグループがあって
日本にお金を投資しまくっていたんですよ。
「あれだけの小さな島国で、
あれだけの多くの働き者がいれば、
密集していて人数的にも工場としても
いくらでもものを生産できるだろうし、
人数としても市場として成り立たせられる」
・・・だから、やっぱり、埋蔵金がなくても、
フランスがお金を貸したんだろうなあ。
それに気づいたら、経済の仕組みを
ぜんぶわかったような気がしたんです。
「働き者がたくさんいさえすれば、
それは力になって、必ずもとがとれる」
この事実を、フランス人たちは江戸時代に、
とっくに知っていたんだなあと思いました。
噂だけで経済は動くし、早い話が、
ポテンシャルというのが通貨だと感じるし。 |
末永 |
それがお金というものの本質です。
例えば南太平洋のヤップ島では、
石がお金ですけど・・・そこの石貨は、
石が大きければ大きいほど価値があります。
みんな、お金を、どこかほかの島から
掘り出してくるらしいんです。
で、ヤップ島いちばんのお金持ちは、
その人の先祖が、ある島からものすごい
大きな石を掘り出してきたからですが、
でも、その祖先は、大きな石を、船で
運んでいる途中に沈没しちゃったんですよね。
でも、その子孫たちは、やっぱり、
村一番のお金持ちでありつづけるそうです。 |
糸井 |
いいなあ、その話。 |
末永 |
引き上げられる可能性はゼロなのに、
その沈んだ石が、この世にあるものとして
子孫たちの財産として、通用してしまう。 |
糸井 |
ヤップ島のお金って、
あんまりでかいから交換しないよね? |
末永 |
ええ。金は動かない。もともと、
不動産はそういう仕組みですから。 |
糸井 |
なるほどね。
バブルの時にも、そういう仕組みを
ちゃんと説明してもっていれば、
みんなが、不動産についても
もっといろいろとわかったはずのに、
なんか絶対価値のように誤解しちゃうよね。 |
末永 |
そう。
ヤップ島の話は、みんな笑うんだけど、
でもぼくたちは金(きん)を使って
おんなじことをやってたんですよね。 |
松本 |
(笑) |
末永 |
一生懸命掘り出した金(きん)を
中央銀行の金庫に入れて、
これと交換できるのが通貨だとしただけで。 |
糸井 |
ニクソンが、
「もう、金(きん)に変えなくていいのな!」
と言ったあとに、それがもっと本質的になって。 |
末永 |
東洋では早くから紙のお金がありましたが、
ただの紙切れが正統なお金になったというのは、
西欧の歴史では、1971年の金・ドル交換停止が、
はじめてのことなんです。
それまでは、ただの紙切れというのは
戦争なんかで困った時に政府が出すもので、
その後、ものすごいインフレで
紙くずになってしまうようなものだった。
でも、1971年までだって、やっぱり
ほんとうに価値があったのは約束だったんですよね。
石なり金属なりが、約束の裏付けだっただけです。
お金って「約束だけ」なんですよ。
持っている人が、他の人に
何かをさせることができるという。 |
糸井 |
「肩たたき券」ですよね。 |
松本 |
そうそう(笑)。 |
糸井 |
「こいつの肩たたき券は、
ほんとに叩いてくれるか」
が、約束で。 |
末永 |
肩をたたかない奴が罰せられるという仕組みを、
政府が保証してくれているという。 |
糸井 |
ぼく、前に、
「100円を捨ててきなさい」
という授業を、やったことがあるんです。
その授業というのは、
俺の職業になりたい人が集まってきているから、
少し乱暴をしてもいいんです。
だから、さっき言った小学生とは
違うことができるんだけど。
「今からみんな、100円を持って外に出て、
捨ててきて戻ってきて、その感想を述べてね」
と言ったんです。 |
松本 |
おもしろいですね。 |
糸井 |
うん。
「お金」というものが生む「約束」を
いかに壊してしまうかという瞬間だからね。
で、授業に参加していた子たちでも、
女の子は、みんな快感を感じたんです。
感想を言わせても、基本的には、
「すっごい気持ちよかったです!!」って、
たった100円なのに、イッた目をしてるんですよ。
まあ、もちろんおばさん型の人はいて、
「私にはそんなこと、できませんでした」
という感想だって、あるはあったけど。
それに比べたら男は理屈っぽくて、
「歩道橋の上からトラックの荷台に
100円を落としたんだけども、
あれが旅にゆくと思うとおもしろかった」
「公衆電話ボックスのお金の戻り口に
入れておいたから、誰かが使うんじゃないか」
とか何とか言っている。
ブラックホールに向けて
ものを投げることが、できないんです。
もっとセンスのないひどい奴は、
自動販売機で要らない飲み物を買って、
それを飲んだとか言っていて・・・・
それを「捨てたとおんなじ」だとか。 |
松本 |
ダメですね〜。 |
糸井 |
それ、答案として最悪ですよね? |
松本 |
そうですよね。 |
糸井 |
だったら、捨てられませんでした、のほうが
どきどきしているという意味では、
点数が高いでしょう?
その授業をやっていて、つくづく思ったのは、
女の突破力というか、約束というものに対して
「破る可能性がある」と思って生きているのが
女という種族なんだよなあ、というか・・・。
それがわかって、おもしろかったですよ。 |
松本 |
それはおもしろいですけど、
それをさせようとした発想が、
ぼくにはいちばんおもしろいですね。
|
糸井 |
100円玉を投げる授業をしたのは、
ぼくの体験がもとになっています。
小さい頃、
氷の張りかけたお堀に石を投げて
チュンチューン、と飛んでいくのを観て、
かなり楽しんでいた時があったんですけど、
とうとう近くに石がなくなった時に、
自分のなけなしの50円玉を投げてみたんです。
その時に「あれ?」とぼくが感じた
不思議なものを、みんなにも
感じさせてあげたい、と思って
ぼくはその授業をやってみたんです。
「これは100円では覚えられない感覚だよ」
という、ほんとは、とても
親切なはずだったんだけど・・・。 |
松本 |
でも結局、それを
「もったいない」
と言う人が、いっぱいいたんですか。
それ、ぼくが番組を作っている時に
よく感じさせられることと、似てます。
「食べ物を粗末にするな」
という苦情があるじゃないですか。
例えば、ごはんならごはんを、
地面にビタンとしたとして、それを
「もったいない!」と言う奴がいるけども、
ぼくはその時に、いつも思うんです。
「ごはんを、口に入れることの
利用価値しかないと思うなよ!」
ごはんをビタンとした時に、
それがものすごくおもしろければ、
もう、ごはん程度の価値は
果たされたじゃないか・・・。
そういう考え方を理解してくれる人が、
少ないんですよ。 |
糸井 |
それは、宗教だからですよね。
「ごはんを食べる教」というのがあって、
「食べものを粗末にしない教」があって、
でも、松本教は、
「ごはんはいろいろ使える教」だから・・・。 |
松本 |
絶対に分かちあえないんですよ。 |
糸井 |
宗教戦争だ。 |
松本 |
100円も、確かにかたちとしては
「捨てる」ことかもしれないけど、
使い方によっては、
100円以上に楽しめるんだから、
ぼくはそれで充分に100円の価値を
果たすことができたと思うんです。 |
糸井 |
そうなんです。
だから、そういう教室には、
できませんでしたという奴がいたり、
そこから逃げようとして
斜めに対峙する奴もいるけど、
やっぱりいちばんトクしたのは、
「捨てた! ああ気持ちよかったあ!
・・・何なんでしょう、この感じは!」
と言った奴だと思います。 |
末永 |
捨てることができない人が多いと聞いて、
それだけ、お金というものへの執着が
人間にとって本質的なもんなんだなあ、
ということを感じます。
約束のしるしのあるものを作って、
それをある種の神聖なものとして
流通させるというのは、昔からの、
人間の本性なのでしょうね。 |
糸井 |
そこまで密になっている宗教は他になくて、
日本は、いま基本的には「お金教」ですよね?
ぜんぶをお金で判断するような
今の感じに移行できたのには、
実はお金に対する伝統的なイメージが
すでに江戸時代から
下地にあったからだろうなあと思います。
江戸時代からお金を捨てていたとしたら、
今、こんなに、捨てることに対して
「背信的だなあ」とは感じないと思うから。
末永さんは、前に証券会社で
何億という単位のお金を扱っていて、
感覚がぶっとんじゃったりしないんですか? |
末永 |
だんだん、トレーニングされるんですよ。
会社に入った時には、大学生の金銭感覚ですから。 |
糸井 |
「牛丼は安い」という金銭感覚ですよね。 |
末永 |
まあ、大前提としては、会社のお金と
自分のお金は違うという感じがありますけど、
でも最初は、それもほとんど区別ないですね。
大学生だったやつが仕事をはじめて
会社にとってはすごく小さなお金だけど、
取引をしていると、はじめから、
100万ぐらいは簡単にふっとぶんです。
大学生にとっては、すごい大金ですから、
ぼくは最初に100万円を損した時、
打ちひしがれましたよーっ。
・・・その日いちにち、口がきけないくらい。
でも、だんだんそれに慣れてきます。
だんだん取引にうまくもなるし・・・でも、
気が大きくなっちゃあ、だめなんですよね。
やっぱり「損するのは怖い」という気持ちを
いつでも持っていないとだめで、
会社のお金だから損をしてもいい、
というのは、だめな態度なんです。 |
糸井 |
「俺は、バクチ打ちなんでぃ」
って言っちゃうことは、ないんですね? |
末永 |
ないと思います。損する人は
会社にとって、困りますから。 |
松本 |
そうやってお金を使う感じは、たぶん、
ぼくがテレビで頭をはたかれることと
似ているんじゃないかなあ・・・?
プライベートで叩かれると腹が立つけど、
でも、舞台の上ではたかれてるのは、
あれはぼくの頭じゃないんですよね。 |
末永 |
あ、そういう感じです。 |
糸井 |
ふだんまで平気になったら、おしまいで。
そしたら、それは、人間じゃないからね。 |
松本 |
(笑)そう。
頭をぱーんとやられて
痛さを感じなくなってはだめですよね。
でも、それを嫌がりすぎても、だめですし。 |
糸井 |
週刊誌に「毛ジラミ」と書かれて
うれしいと思う感性を持っている人間って、
たぶん、いないと思うんですよ。
「腹立つわ」っていうのが、ほんとうで。 |
松本 |
うん。 |
糸井 |
でも、「これ、おいしい」に
チェンジしてしゃべっちゃうと、
それは自分とは違う人のことになるからね。
「腹は立ちまくってるけど相手にしない」
という、ものすごい反応ができるんだよね。 |
松本 |
うん。このことを素人に説明するのは、
かなりむつかしいですよ。
ある種、多重人格ですから。 |
糸井 |
それ、むつかしいよなあ。
その感じを、お金の扱いだと思って考えると、
末永さんが扱っていたお金とおんなじなんだね。 |
末永 |
その通りだなと思います。 |
糸井 |
「あいたたた」という感じはあって、
でも、痛いっていったら試合ができなくて。 |
末永 |
でもその痛みを忘れたらダメで。 |
糸井 |
格闘技の選手もそうなんだけど、
どっかに相手の攻撃を入れさせて、
その次を狙ったりするじゃないですか。
あれって、純粋理性の行為ですよね。
人間はほっとけば逃げるようにできてるのに、
入れさせるように動いて次を狙うなんて、
あんな知性的な行為は実はないのに、
それなのに、格闘家たちって乱暴だと思われてる。
ぼくは、その理性がわかったとたんに
格闘技が、ぜんぶおもしろくなったの。
それも、おんなじだよね。
あ、そうだ。別の話だけど、
松っちゃんにすごいお笑いのネタがあっても、
でも、女の子をくどく時には、
そのネタって出せないんじゃない?
これも、不思議だよなあ。 |
松本 |
・・・それ「会社のお金」やからでしょうねえ。 |
糸井 |
ははははは(笑)。 |
末永 |
(笑)業務上横領になるんだ? |
糸井 |
(笑)そのひとことで、ぜんぶ解決するよね。
そーだよなあ。 |
末永 |
名言ですね。 |
糸井 |
俺も、確かに、ふだんうまいこと言えないもん。
番組でゲストで来た時って、困る時があります。
コピーライターは、気のきいたことを言って
稼いでいるんじゃない?と思われているから、
そっちを使いたいんだけど、それをやると、
俺が番組に出る意味が変わっちゃうと思うんです。
だから、ぼくにとっては、
そこの中間の浮島のようなところが、ダジャレで。
しょうがないから、ダジャレを言ってみて、
ああ、浮いてる浮いてるって思ったり・・・。
でも「ダジャレの人」になるような
和田勉な決意もないし、
その浮島を売りものにすると、
それもまた、会社の金になっちゃうんですよ。
だからね、松っちゃんに、
それを言わないでくれえという気持ちもあって。
そこがなあ。
・・・あ。
このへんの話、わかりにくいかもしれない。
読者でこれを分かる人がいたとしたら、
それはもう、何かになれる人でしょうね。 |
松本 |
いやあ、分からないでしょうねえ・・・。 |
糸井 |
分かる人も、いると思う。
若い時の自分だったら、わかると思う。
でも、その子はたぶん、将来どこかで、
「あの時に読んでいたぼくですよ」
というようなんだろうね〜。
やっぱ、「会社の金」って、
お金に直すとものすごくわかりやすいよ。
でも、そこをズルしてるのが
ミュージシャンだよね。
あの人たち、うたえるもんなあ。
「お前のために・・・」とか。
だから、うらやましいんだよね。
ミュージシャンは、ちょっと特殊ですね。
あれは、祭りの人だろうなあ。
(ご愛読いただき、ありがとうございました!)
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