HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
芸術〈アート〉は誰も語らない物語を語る。ーベトナム戦争をアートで再構築するディン・Q・レさんの場合
ディン・Q・レ 《おかえりなさい、サイゴンへ》(「ミレニアムにはベトナムへ」シリーズより) 2005年 デジタルプリント 76.2×96.6 cm Courtesy: Elizabeth Leach Gallery, Portland
2 富士山のふもとの原っぱでベトナム戦争を演じる日本人バーテンダーの物語 2015-10-01-THU
──
ヘリコプターが大好きで自作してしまった
ハイさんという農民が題材の
「農民とヘリコプター」をはじめ
ディンさんの作品からは
どこか、
ドキュメンタリーのような感じを受けます。
DQL
でも、私のやっていることは
あくまでアートで、
ドキュメンタリーではないと思っています。

大量のインタビューを取ったりしますし、
手法的には
ドキュメンタリーに近いかもしれませんが。
──
両者の違いは、どこにあると思いますか?
DQL
おそらく、ドキュメンタリーというのは
まず「伝えたいこと」があり、
それを伝えるために
作り手の考える「ストーリー」に沿って
事実を重ねて見せていく。

でも、アートの場合は、
起承転結のような話の流れだとか、
ハッキリした「伝えたいこと」なんかは
別になくてもいいし、
何より「事実」である必要もないんです。
──
創作でもいい‥‥というか、
そもそもアートって創作活動ですものね。
DQL
ドキュメンタリーは問題を提起します。

アート作品からも
「問い」を突きつけられることはありますし
その点は似ているかもしれませんが、
アートには
ドキュメンタリーの構造を借りながら
そこへ「創作」を挿入する「自由」がある。
──
逆に、ドキュメンタリーに
「架空のおとぎ話」を混ぜ込むってことは、
難しいでしょうね。
DQL
私の作品を見てくれた人に
「これって
 事実に基づいたドキュメンタリーなの?
 それとも
 あなたが創作したアートフィルムなの?」
と聞かれたとしても、それは、
私にとっては「どっちでもいいこと」で。
──
本質的な問題ではない、と。
DQL
そう、もしかしたら真実かもしれないし、
もしかしたら作り話かもしれない。

その点はどっちでもよくて、
自分なりの表現ができてさえいるならば
「本当の話かどうか」は
アートの場合、二の次だと思っています。
──
ディンさんの作品に
《人生は演じること》という映像があって、
あれなどまさしく
「本当なのかどうなのか、わからない話」
という感じがしました。
ディン・Q・レ 《人生は演じること》 2015年 シングルチャンネル・ビデオ、カラー、サウンド、軍服 26分 Commissioned by the Mori Art Museum, Tokyo, 2015
DQL
そうかもしれません。
──
簡単に説明すると、
それは、広い原っぱのようなところで
武器から軍服から作戦行動から
歴史上のさまざまな戦争を
「再演」している日本人を取り上げた
映像作品ですが、
あの人とは偶然、知り合ったんですか?
DQL
ええ、2014年の8月15日に
靖国神社で、はじめてお会いしました。

私は、靖国神社には何度か行っていて、
8月15日という
日本にとって特別な日にも、何度か。
──
そうなんですか。
DQL
ときに物議を醸す場所だと聞いており、
その理由について
私は、外国人として興味がありました。

そこで、2014年の8月15日にも
行ったんですけど、
そのとき、第二次大戦のときの
日本の軍服を着ている人たちがいたんです。
──
ええ、なるほど。
DQL
実際に戦争を経験されたような歳の方も、
まったくそうではない、
まだまだ年齢の若い方もいました。

でも、そのなかでも、
ひとりの日本人男性に強く惹かれたんです。
──
それは、なぜですか?
DQL
そのような格好をしているのに、
彼は、何だか柱の陰に隠れているみたいな、
不審な行動をとっていたから。
──
ははあ。
DQL
他のみなさんは、
とくに、そういう格好をしている人は
どちらかというと
まわりの人に見てもらいたいというか、
胸を張っている感じなのに、
彼は、何だか「控えめ」に見えました。

見られたいのか、見られたくないのか‥‥
どうしたいのかが、よくわからない。
──
その動きは、たしかに気になりますね。
で、声をかけたんですか?
DQL
そう、はじめに私が質問をいくつかして
それからしばらく、
お互いにコミュニケーションをしました。

すると彼が、歴史上のさまざまな戦争を
「再演」している人だとわかったんです。
──
それはつまり、そういう「趣味」として。
DQL
そうですね、その男性の本業は
「高級なバーの、バーテンダー」なので。
──
なるほど‥‥仕事じゃないって意味では
たしかに「趣味の活動」ですかね。
DQL
で、そのようなやりとりを続けるなかで
私がベトナム人だとわかった途端、
彼は
「自分たちは
 ベトナム戦争の再演もやっているんだ、
 富士山のふもとの大きな原っぱで」
と教えてくれたんです。
──
ははあ。
DQL
もう、抗しがたい魅力を感じました。

「この人、日本人でありながら、
 富士山のふもとで
 ベトナム戦争を再演しているって‥‥
 何だそりゃ?」と。
──
そうでしょうね(笑)。
DQL
これは、絶対に見に行かなくてはならない、
と思いました。
──
でも「戦争の再演」というのは、
米軍と北ベトナム・解放戦線とにわかれて
なにか、
戦争の趨勢をなぞったりするんですかね?
DQL
そうです。

それぞれのコスチューム姿をした日本人たちが
富士山麓の原っぱに現れる。
彼らは、それぞれの軍が使っていた銃の
モデルガンを携行していますが
実際にBB弾のようなものを撃つわけではない。
──
つまり、いわゆる
サバイバルゲームのような遊びとも違うと。
DQL
それは、非常にシュールな光景でした。

戦場ですから、戦いをしているわけですが
弾の出ないライフルで
漫然と戦いごっこをしているわけでなく、
ものすごく緻密に、
歴史的に有名な戦いを「再演」している。
──
歴史的に有名な戦いというと、
フランスと戦った
「ディエン・ビエン・フーの戦い」だとか、
解放戦線側が
戦況の巻き返しを図った「テト攻勢」とか。
DQL
そう、そういった有名な軍事作戦を調査し、
忠実に再現をしていたんです。

それはもう、本当に素晴らしいと言うか、
ほとんどオブセッション、
何かに取り憑かれているかのような
細やかさで、彼らは、
ベトナム戦争の研究をしていたんです。
──
へぇー‥‥。
DQL
その戦いが、どのような経過をたどって、
戦争全体の趨勢に
どのような影響を与えたのかはもちろん、
当時の兵士たちが、
どんなものを食べていたのか、
どんな音楽を聞きながら戦場へ向かったのか‥‥
彼らは
そういうことまで細かく調べ上げていました。
──
大河ドラマもビックリな時代考証ですね。
DQL
それは、本当に、緻密なリサーチでした。

心底ビックリしたのと同時に、
私は、彼らのなかに自分を見た思いでした。
彼らは、ベトナム戦争について、
私と同じようなことをやっている‥‥と。
──
現代の日本人が、富士山のふもとで。
DQL
感動した私は、彼らの「再演」のようすを
映像に撮りたいと申し入れたのですが
リーダー格の人に、断られてしまいました。

なんでも、彼らには
「自分たちがやっていることを
 ベトナムのアーティストが映像に撮って
 アート作品にするだなんて、
 そんなことは
 ベトナム人にたいして、失礼すぎる」
という認識があるようなんです。
──
それもまた、興味深い心理ですね。
DQL
でしょう。
──
ひとつ、お聞きしたいのですが、
日本人が、そんなことをやってるってことに
ディンさんは
腹が立ったりとかは、しなかったんですか?

ご自身も、幼いころに
ベトナム戦争を経験しているわけですよね?
DQL
私は、ただただ「すごい、おもしろい」と。

そもそも「なんで、そんなことするの?」
ということが謎でしたし、
彼らが、どのように
「ベトナム戦争」を理解しているかにも
興味がありましたから。
──
好奇心のほうが、勝ってしまったと。
DQL
ベトナム戦争というものにたいして
誤解があるとすれば、
どういった誤解が、そこにあるのか。
どういった経緯で
そのように誤解されてしまったのか。

そういったことのひとつひとつが
じつにおもしろいなと思ったんです。
──
聞けば聞くほど、
まさしく「アートの題材」という感じです。

このひとりの日本人男性の物語は、
映画でやるより、アカデミズムでやるより、
ジャーナリズムでやるより、
アートでやるのが、
いちばん合ってるような気がします。
DQL
ええ、あまりにシュールでしたから。
ディン・Q・レ 《人生は演じること》 2015年 シングルチャンネル・ビデオ、カラー、サウンド、軍服 26分 Commissioned by the Mori Art Museum, Tokyo, 2015
──
最終的には、どのような作品に?
DQL
申し上げたように
その「ベトナム戦争の再演そのもの」は
残念ながら、
映像に撮ることはできなかったので
男性にインタビューしました。

彼のご自宅を訪問し、
彼の所有している軍事関連のアイテムを、
たっぷり見せてもらったんです。
──
おお。
DQL
彼の部屋は
とにかくいろんな制服で溢れていました。

アメリカの軍服もあれば、
カウボーイのコスチュームもあったし、
第二次大戦中の日本軍、
それとは別の日本軍の軍服もありました。
もちろん、ベトナム戦争の軍服も。
──
ええ。
DQL
彼と話をしてみて感じたのは
そのような、一見シュールな行動を通じて
彼らは、日本や日本の歴史について、
なにかを見出そうとしている、ということ。
──
え、そうなんですか。
DQL
はい。第二次大戦から数十年後に生まれた
その日本人男性は、
自分とは直接的には関係のない
ベトナム戦争を「再演」してみることで、
第二次大戦という戦争が
日本にとってどういう戦争だったかのかを
間接的に
考えようとしているのではないか。

私は、そのように、感じたんです。
──
なるほど‥‥。

そして、今のまぼろしみたいなお話は、
アートでありつつ、
ぜんぶ現実のできごと、なんですよね。
DQL
はい。すべて、本当に起こったことです。
<つづきます>
ディン・Q・レ 《抹消》 2011年 シングルチャンネル・ビデオ、カラー、サウンド、写真、石、木製ボートの断片、木製通路、コンピューター、スキャナー、ウェブサイト(erasurearchive.net) サイズ可変、7分 Commissioned by Sherman Contemporary Art Foundation, Sydney, 2011 Supported by Nicholas and Angela Curtis 展示風景:「ディン・Q・レ展:明日への記憶」森美術館、2015年 撮影:永禮 賢 写真提供:森美術館