DOCTOR
Medic須田の
「できるかぎり答える医事相談室」

Q:死生観というか、人生観に関わる質問です。
一般的に不治の病と考えられているガンは、
患者に病名を知らせませんよね。
ぼくの父親も、10年ほど前に食道ガンで他界しましたが、
病床で、「医者も看護婦も、見舞客も、
みんなして自分にウソをついている。そのことが口惜しいんだ」
と歯ぎしりするように、ぼくに訴えておりました。
ガンであることを隠して患者をはげますこと、
これはこれで、孤立感を強くさせるのではないかと、
息子として悩んでしまいました。

「ガン告知」については、マナーとかルールとか、
一定の規準があるのでしょうか?
また、医療関係者の方々は、自分がガンであった場合、
知らせてほしいのでしょうか?
(むろん、人それぞれでしょうが)

以下、回答です

うーん、これは深刻な話題です。

世間の方向としては「告知」の方向に
少しずつ動いているようではあります。
数としてはまだ少数派でしょうが、
原則として告知するという病院が
僕の住んでいるところの近くにもありますしね。

さてさて、この問題が難しいのは、
例えばこんな2つのケースを考えてみるとわかると思います。


ある癌患者のお婆さんは、
医者から癌であることを伝えられました。
これを家族に
「あたし、癌なんだって。先生にいわれちゃった」
と伝えると、
家族の代表の人が医者に怒鳴り込んだそうです。
「あたしたちになんの相談もなしに、
何でおばあちゃんに勝手に告知したんですかっ!」


ある癌患者のお婆さんが癌であることが分かった医者は、
お婆さんの家族の方に、
「彼女は癌です。告知すべきでしょうか」と相談しました。
ご家族の方は承知されたため、
改めてお婆さんの前にご家族を呼んで
「お婆さん、あなたは癌ですよ」と伝えました。
そのことを聞いてお婆さんは怒りました。
「先生! 何でアタシよりも先に家族に知らせるんだい!
おまけに告知するときにこんなに晒しもんにして!
アタシにはプライバシーはないのかい!
人権はないのかい!」

大雑把にいって、Aは日本で起こる可能性の高いケース。
Bは人権にうるさい某国で起こりやすいケースでしょう。
ただ、ガキの頃から人権人権で育ってきた今の若い連中だったら
後者の方に共感を覚える人もいるかもしれません。

ともかく僕がこの2つのケースを出して言いたかったのは、
万人が納得できるような告知の「ルール」を作ることは
難しいということです。

ちなみにうちの大学病院では、
入院時に患者に記入してもらう用紙の中に
「自分が悪性疾患(癌など)だった場合、
 自分にそれを知らせて欲しいですか」
という質問に答える欄がありますが、この質問は
親切ではあるものの、ちょっとお間抜けな感じもするでしょう。
ある意味で「ルール」を患者任せにして、
場合によっては双方合意の上での八百長をしろと
言っているようなものですから(ちょっと言い過ぎかな)。

ただし、「マナー」だったら
経験的に少しずつ学んでいけるでしょうし、
告知の問題では、「マナー」こそが必要なことだと
私は思います。
これも、「これこそマナーだ」
ということが伝えられないのが
辛いところですが、社会人・常識人として通用する
物言いをするということがまず
第一だというのが僕の基準です。

例えば、癌であることを伝えるにしろ、伝えないにしろ、
今後の病状が容易でないと予測が立つときには、
それを患者の気持ちをくじけさせないように伝えることは
医者としてのマナーだと思いますが、
これは他の世界でも同じではないのでしょうか。

あまり調子良いことばかりいっている人間も信用されません
し、かといって素っ気なくありのままだけを言って
「はい、さよなら」では、信頼されるタイプの人間とは
思えませんよね。
あくまでも容易ならざる状況を伝えながらも、
「私もベストを尽くすから、
 あなたも私を信頼して協力して欲しい」
という人間に人は惹かれるのではないかと
僕には思えるのです。

具体的な例で申しますと、癌ではないのですが、
私の知人の手術のケースでこういうことがありました。

術前に先生に「本当に希望通りの結果になりますか」と
何度も聞いたにもかかわらず、「ああ、大丈夫大丈夫」と
その先生は安請け合いしていたそうなのですが、
術後何カ月かして「もう一回手術させてくれ」とその先生は
言ったそうです。
私の知人は「先生、それは失敗したってことですね」と、
多少嫌みを込めて言ったのだそうですが、グチャグチャと
未練がましくなにか言い訳を申し述べていたその先生は、
完全に私の知人からの信頼を失ってしまいました。
「あの先生は駄目だわ。君はああいう風にならないでよ」
と、気丈なその方がちょっと鼻をすすりながら言ったのが
耳に残っています。

繰り返しますが、リスクを説明すること、
そしてそれを患者が受け入れられるような形で伝えることは、
「癌か否かを告知する」という問題以前に、
しなければならないことだと思います。

さて、その「一定のマナー」という前提をふまえた上で、
僕が「告知か否か」に関して取りたい立場を
逃げずに表明しておかなければ
卑怯者の誹りを受けることになるでしょう。

僕は基本的には告知の立場をとりたいと思います。
そして、家族がいる場合には家族にまず伝えることでしょう。
ただし、そこで「伝えないでくれ」と言われたときにも、
「僕は今まで医者としてこういうケースでこういう経験があり、
 それ相応の信念を持って伝えるつもりだから、
 私を信頼して欲しい」と
(こんなあっさりとは言わないでしょうが)、
伝えるつもりです。
その上で、同様のことを本人にも伝えることになります。

もちろん、そんな私を信頼してくれるような
人間としての説得力を僕が身につけるということが
前提となりますし、それはこれからの僕の課題でもあります。

また、本人よりも家族に先に伝えるという理由に関しては、
現在の日本の慣習を考えた場合、それは人権やプライバシーに
優先するべきものだと考えているためです。

さて、最後に
「医者自身は知らせて欲しいのか」ということに関してですが、
とりあえず言えることは、一般の患者さんよりは
知らせて欲しいという人が多いだろうということです。

もちろん僕は知らせて欲しいと思っています。
あくまでも、自分の主治医が信頼のおける人間であることを
前提とした上での話ですが。

たとえば、僕の身の回りに
「こいつだけはオレの結婚式に来て欲しくないなぁ」と
心底思えるような非常識で恥知らずな奴がいたとしますよね。
(あくまでも、仮定の話ですよ、仮定の話。
 やだなぁ、もう(笑))
こういう馬鹿野郎には告知してもらうどころか、
点滴も拒否したいと思いますね。
「もし、そんな馬鹿野郎がいれば」
という仮定の(笑)話ですけどね。

以上、今回は冗談抜きで堅い話題になってしまいましたが、
ぜひみなさまの忌憚なきご感想、ご批判、誹謗中傷
などお待ちしております。

今回のテーマについては
皆さんの意見がマジに聞きたいと思っている須田でした。

1998-11-05-THU


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