DOCTOR
Medic須田の
「できるかぎり答える
医事相談室」

「痛みについて」その2

その1を読んでいない方はまずそちらからお読みください。

Q、Medic須田さん、
「痛み」って数値に出来ないんですか?
出来なそうだと思っているんですが、
医者の考え方だとどうなのでしょうか。
もし、数値に置きかえられるのなら、
とっても便利で嬉しいんですが。
主観的なものでしかないと、
「今の痛みは我慢しとこかどしよか」とか、
「医者に行ったほうがいいんだろか」とか、
悩まなくていいじゃないですか。
それに痛みが主観的にしか判断できないと、
私の場合自信がないんです.....(中略)
Medic須田さん、お願いします。
ババーン、と答えて下さい。
37度を越したらちょっと用心風邪薬、
38度越したら解熱剤、
みたいに計れないものなのでしょうか。

(ななしみちこ)



こんにちは
Medic須田です。

ここんところ、私生活の方で色々と立て込んでおりまして、
原稿を1月ほど空けてしまいました。
このコーナーを楽しみにしている全国30万の
女子高生の皆様にはとても申し訳ないことを致しました。

え、何? 

「“私生活で色々と立て込んでた”って、
ひょっとして女関係と違う?」

ずいぶん失礼なことをおっしゃる方もいますねぇ
でも、半分は正解(笑)。
残りの半分は、「1000時間ヒア◯ングマラソン」
ならぬ「テストマラソン」で汲々としていたからなのです。

医学部に入ると、一般の人から、

「ご専門は何ですか? 内科? 小児科?」

なんて尋ねられるんですが、
医学部生は学内で全ての科目の試験に合格して、
その上で、国家試験(←これも全科目出題されます)に
パスしなければならないわけでして、
専門分野もなければ卒論もないのです。

ということは、内科・外科・小児科・産婦人科・
整形外科・泌尿器科・皮膚科・耳鼻咽喉科・
精神科・放射線科・形成外科・脳神経外科.....(以下略)
と、試験の数だけでもとんでもない数になるものですから、
6年生のある時期からは卒業試験に追われる
日々となります。

うちの大学では、8月の終わりからおよそ1週間おきに、
1月まで試験日程がビッチリ入っていまして、
これが「テストマラソン」とでも
言いたくなる所以です。

おまけに、「医師国家試験模試」なんてのも
あったりしまして(ホントですよ)、
ここ1ヶ月間はテスト漬けの毎日だったというわけです。


能書き(言い訳?)が長くなってしまいました。

今回は前回からの続きで、「痛みの定量化について」です。

痛みと言えば、以前、

「生理痛を抑えるにはどうしたらいいか」

のところでご紹介したビタミンB6については、
何人かの方から効果をうかがうことができました。
効果は人それぞれで、

「“え? ウソ! いつの間に来てたの?” って感じ」

と言うほど長年悩まされていた生理痛が
スッパリと消えてなくなった人もいれば、

「全然変わんないわよ。前と同じ」

と言う人まで様々。
まぁ、ひどくなった人はいないみたいだし、
お札よりは効いてる感じですかね。
試された方は、どのような効果があったか
ぜひお便り下さいませ。
(お便りはmoriko@ops.dti.ne.jpまで)

おっとっと、またまた話があらぬ方へ
行きそうになりました。
今度こそ、本題に戻します。

「痛みの定量化」については、
確かに便利な点もありますが、
前回も申しましたとおり、何となく魅力を感じません。
不思議なんですが、これが言葉にするとなると
難しいんですね。
1ヶ月間、この「何となく」をどう言葉にしたらいいのか
考えていたのですが、結局思い至ったのは、

「そもそも「痛み」って、
やっぱり主観的なもんじゃないの」

ということなのです。

「痛みを定量化」するとしても、
化学的に定量するか(例:神経伝達物質の量を測定する)、
物理的に定量するか(例:感覚を伝える神経の電位を
測定する)くらいしか考えられませんよね。

でも、この方法で、前回の「hanage」のような単位を
設定したとしても、次のような場面に遭遇せざるを
得ないような気がするのです。

患者:
「イデデ......」

医者:
「腕が痛いんですね。大丈夫ですよ、
今から治療しますからね.....
あ、いや、でも、300hanageですか?
そんなに痛くありませんねぇ。
これで騒いでるようじゃ恥ずかしいですよ」

患者:
「でも、こんな痛み、僕、
全然経験したことないんですよぅぅ」

医者:
「そんなこと言っても、やっぱり300hanageだからねぇ。
大人げないよ、あなた」

患者:
(「そんなこと言っても痛いものは痛いのに」
と思いつつ、不機嫌な表情)

言い換えればですね、本人の主観的な訴えである
「痛み」を客観的な量で定量することによって、
本人の訴える苦痛がかえって軽んじられやしないか、
ということなのです。

これって、よく考えてみたら、
前回、「小川vs橋本」の喩えで
説明したことと同じですね。
患者の訴えに耳を貸さなければ、
実際に苦しくて医者の前に来ている人に対して
失礼なように思えませんか。

「じゃあ、心理学的な尺度を使って、
痛みの単位に主観的な要素を
加味すりゃいいじゃないのよ」

と、思われたアナタ、かなり優秀な方と
お見受けいたしますが、
それはやっぱりおかしいように思いますね。
だって、それだったら、直接患者本人から話を聞いている
医師がやっていることとあまり変わらないじゃないの、
ということになりますから。

ただし、この指摘は一面ではすごく良いポイントを
突いているのです。
「痛み」の問診を取るときに、
患者本人の訴えを上手く引き出せる仕組みを
質問の中に組み込むことができれば、
とても有効な問診になるはずですね。
(人によっては、このような体系的な問診を
「メディカルインタビュー」と言ったりもします。
ちょっとカッコイイよね)

実際に、こういう試みは色んな形で成されていて、
例えば、米国辺りでは
専門医養成に偏りすぎてきた今までの医学教育を反省し、
"general practitioner" (一般開業医)を育てるための
"family medicine"(家庭医学)という分野が
少しずつ見直されてきています。

日本でも、医師国家試験で 「どのような問診の仕方がよいのか」が
出題されたりして、どうやら、厚生省も
その方針を追従する様子がうかがえます。

ちょっとだけ話がずれ始めましたが、
ともあれ僕の言いたいことは、

「痛みを定量化して示すことよりも、
患者の主観的な訴えを聞き、
ある時はそれに共感を示すことで患者の気持ちを落ち着け、
症状を和らげたり、またある時は痛みをきっかけにして
身体に関する情報を上手く引き出すことの方が大事だ」

ということなのです。

ただし、特定の領域においては
痛みの定量化は有効かもしれません。例えば、

「色々な検査をしてみても、どこも異常がないのに、
確かに本人は痛いと訴えている」

というような場合です。

もちろん、このような場合にも、
きちんとした問診を取って、患者から色んな情報を
引き出すことは大事なのですが、

「本当に痛みがあるのか」

ということを確認するために、
定量化が効果を発するという可能性があります。
このような場合、

「確かに、ここからここまでに痛みが存在するようだ」

となれば、痛み止めの治療が効果的に行われるでしょう。

また、時には、薬が欲しいがために、
症状を偽ったりすることや、
精神病性の痛みの訴えもありますから、
このような見分けにくい疾患を除外するのには
上手く使えるかもしれません。


長くなりましたので、今回はこの辺で。

1999-10-10-SUN


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