第20回 虫の思い出。

幼い頃の虫の思い出ってありますか??
珍しい虫を見つけてびっくりさせようと、
大声でお母さんを呼びに走ったのに、
ちっともびっくりせずに笑っていた母の顔。
ドキドキしながら、クラスの男の子に
カマキリを触らせてもらった時のこと。
おじいちゃんが素手でハエを捕っていたこと‥‥
などなど、虫の周りには、そんな人との思い出も
たくさん溢れているように思います。


本日は、そんな虫にまつわる
思い出ばなしをお届けします。
また、「おまけの虫博士」では、
語り尽くせないほどの虫との思い出があるに違いない、
日本一の昆虫屋さんについて紹介します。
では、どうぞ。



モンシロチョウと妹。

私には4歳年下の妹がいます。
彼女がまだ幼稚園児の頃、
よく近所の畑に遊びに行きました。
彼女はなにやらキャベツ畑をジーッと見つめて
しゃがみ込んでいます。
彼女の横には、イズミヤのクッキーの
四角い空き箱がありました。
なにやらごそごそと仕込んでおります‥‥。
翌日、「お母さん、コレ見て」と、
妹が目をキラキラさせて蓋を開けると、そこには
キャベツの葉にアオムシがうじゃうじゃ蠢いていて‥‥
悲鳴をあげる母を、妹はキョトンと
不思議そうに見ていました。
なぜかその箱はそのまま放置され、
約1週間テーブルの上に置いてあり、
いよいよ処分しなくてはと母が意を決して蓋を開けると、
同時にヒラヒラと、モンシロチョウたちが
開けはなたれたガラス扉の彼方に羽ばたいて行きました。
なにか変なマジックのような、
生命の神秘を感じた瞬間でした。
(tomo)

素敵なメールをありがとうございます。
妹さんに対するやさしい眼差しにも、
心がホロッとするお話しでした。

ところで、モンシロチョウの幼虫は、
なぜキャベツを好んで食べるんだろうと気になって
調べてみたところ、
計り知れない植物とチョウの不思議なやりとりが。

大昔、チョウの幼虫など、植物を食べる虫たちに
食べられまいとした植物たちが、
身を守る術として、自分には害のない「毒」を持つように
進化しました。
するとこんどは、それを食べる側のチョウが、
その「毒」に対する抵抗力をつけるという進化をしました。

これが繰り返されるうちに、特定の植物に対応したほうが
生き残るために効率がいいので、例えばモンシロチョウは、
「私はキャベツなどのアブラナ科の植物なら大丈夫」
という抵抗力だけを維持して、それ以外の植物は
食べられないようになったのだそうです。

へ〜! 
ちょっと、思い出からそれてしまいましたが、
お菓子の箱から解き放たれたモンシロチョウも、
またきっとキャベツに向かって
飛んでいったんでしょうね〜。


害虫のフェロモン研究

私は虫博士ではないのですが、
亡き父が正真正銘の「虫博士」でした。
「ハスモンヨトウ」や「コカクモンハマキ」などの
害虫のフェロモン研究の第一人者だったようです。
なんのこっちゃという感じですが、
雌のフェロモンに雄が集まる習性を利用して、
駆除をする研究です。
今となると不思議なのは、その研究所の人達は、
当然「虫博士」の集団なのですが、
「虫好き」のくせに
虫の駆除を研究しているって事でした。
いぜん紹介された本
『原色図鑑 野外の毒虫と不快な虫』の著者も
父の友人でした。
ご多分に漏れず、おかげで小さい頃は
虫に囲まれてすごし、
「虫博士」を「おおきくなったらなりたいもの」
としていたときもありました。
いまでも皆さんのように「虫博士」ではないものの
「虫先生」ぐらいの知識はどうもあるようです。
今はまるで関係ない暮らしをしているのですが、
このコンテンツをいつもクリックして
懐かしい感じが蘇っています。
(虫博士の息子)

ハエとりフェロモンなる、
害虫駆除の商品も最近よく目にしますが、
これもきっと、虫博士の息子さんのお父様の
研究の成果のひとつなのかもしれませんね。
最近では、ハエを食べて動くロボットの話題もありますし、
知らない所で地道に、ハエの研究がされているんでしょうね。
そういえば映画で、
ハエの研究中に、うっかりハエになった男の話も
ありましたね。
また、虫博士の息子さんの「虫先生」の虫話も、
ぜひ聞かせてくださいね!


おじ様たちは「へぼ」狩りに夢中。

私の住んでいる所は、
愛知県の三河山間部というところです。
今の時期、近所のおじ様たちは狩りに夢中です。
何を狩るのか、というと「へぼ」と呼ばれるハチです。
(ジバチとかクロスズメバチなどらしいです。)
珍味として、結構な高値で
お土産屋さんでも売っています。

祖母から「分けてあげるからおいで」と電話があり、
「別に私はすすんで食べたくないんだけど」と
言っていたのですが、母に「取りに行け」と言われ、
祖母宅まで行って来ました。
何でも、蜂の巣1キロあたり七千円ほどする、とか、
2キロの巣をとってすでに食べたとか(泣)、
祖父母は、にこにこ笑いながら
楽しそうに話してくれました。

私は決して進んで食べようとは思わないのですが、
私たちが喜ぶだろうと思っている祖母は、
一生懸命ハチの巣を解体して、
1匹ずつ丁寧にピンセットで、巣から
「へぼ」たちを引き抜いてくれていたそうです。
その時、祖母は「手がベタベタになるから、
潰れた子を食べながら」作業するそうです‥‥。
幼虫はとても体が柔らかいためつぶれやすく、
また、栄養価が高いのです。
(ちなみに、スズメバチの成虫は、
 幼虫に餌をやって、幼虫は成虫に
 エネルギーの高い液体? を分泌して
 返している、らしいです)

ちなみに「さなぎはからからでまずい」とか、
「メダナ(女王ハチの育つところ?)が出来た後の
 へぼは美味」とか、祖父はそんな予備知識まで
私に披露してくれました。

この時期こちらでは、どこのご家庭でも
良く見られる和やかな光景です。
(caco)

「へぼ」とはハチの子のことかと思ったら、
どうやら、成虫も唐揚げにして食べたりするようですね。
食用としてのハチやハチの子のことを「へぼ」と
総称しているのでしょうか??
調理方法を調べたところ、
cacoさんのお家の佃煮のほかに、
ご飯に混ぜて炊きあげる「へぼ飯」や、へぼの押し寿司、
幼虫をすり潰して五平餅のたれに混ぜた「へぼ五平」、
などがありました。「へぼ五平」すごそう‥‥。
cacoさんもきっと50年後ぐらいには、
「懐かしいわ〜、お袋の味、へぼ!」
なんて言って、お土産屋さんで思わず購入して、
嫌がる娘や息子に勧めたりするかもしれませんね。

みなさまからのメールをお待ちしています。
ではまた来週〜!



今回登場した虫たちをご覧になりたい場合は、
こちらをクリックしてどうぞ。

(検索エンジンgoogleの
 イメージ検索を利用しています。)


モンシロチョウ
ハエ


<はらだゆきこさんイラスト壁紙
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そこから画像をデスクトップにドラッグ&ドロップして
くださいね。

1024×768 800×600
 


『日本一の昆虫屋
 わたしの九十三年 志賀夘助』




東京都渋谷区にある「志賀昆虫普及社」。
青山通りを渋谷方面に向かって歩き、
宮益坂を下る手前に見える「志賀昆虫」という看板。
この看板に目を留めたことのある人って、
結構多いのではないでしょうか??

糸井事務所が11月末に、
青山に引っ越してきたこともあり、
この機会にぜひ「志賀昆虫」を
覗いてみたいと思っていました。
(虫とは関係ありませんが、
 ちょっと愉快な糸井事務所の引っ越しの様子は、
 コチラです。)

青山に引っ越して、片付けも落ち着いてきたある日、
ふと、私の机に並ぶ書籍に目をやると、
『日本一の昆虫屋 わたしの九十三年 志賀夘助』
のタイトルが目に入ってきました。
‥‥ん??
昆虫屋‥‥‥‥‥‥。
志賀‥‥‥。
‥‥あ!
ということで(気付くのが遅いのですが)、
まさしくこれは、「志賀昆虫普及社」創設者の著書!
引っ越し準備の際中、大量の書籍の中から、
「虫」の字があるものは、
ことごとく私に集まってきていたのですが、
その中の1冊に、この貴重な本が紛れていたのでした。
もう、これは何かの縁があったとしか思えません。
表紙を開くと、筆で、
「志賀夘助」という矍鑠たる文字が‥‥。
こ、これはサインに違いなく。



この本は、
著者の、貧しい家庭に生まれた生い立ちから、
昆虫との出会い、そして「志賀昆虫」を創設し、
現在に至るまでのこと、また、昆虫採集や
標本づくりについてなど、わかりやすく書かれています。
明治、大正、昭和、平成という時代の移り変わりを背景に、
80年以上も虫とともに生きてきた著者の言葉は、
ひとつひとつの重みが格別で、素直に胸に響きます。

この書籍の発行が1996年なので、
当時93歳ということは、現在、御年101歳。
ご存命であられることを願いつつ、
あえてそれは確かめずに、
いよいよ「志賀昆虫」へと向かったのでした。

おそるおそる「志賀昆虫」の引き戸を開けると、
そこは見たことのない世界。
簡素で少し古めかしい棚やガラスケースには、
標本や昆虫採集の道具が、きちんと種類ごとに
整頓され並べられていました。

まずはジロジロと(きっと傍目には怪しかったはず)、
中にある貼り紙や書籍などを拝見。
貼り紙には、志賀夘助さんの新聞記事も貼ってあり、
会いたさが募ります。
書籍も、専門雑誌から子ども向けの昆虫図鑑まで、
いろいろと並んでいます。
本を手に取ったり、道具をジロジロ見たりと、
10分以上も経過したでしょうか。
その間もひっきりなしにお客さんがいらっしゃいます。
中年のスーツ姿の人から、お母さんらしき人まで。
あとは、戸口の外から興味深げに覗き込む人が多く、
戸口が開くときに漏れ聞こえる
「ここいつも気になるんだよねー」という声。

資料用の書籍を購入しながら、
お店の方に思い切って
「あの、日本一の昆虫屋という本を拝見したんですが、
すごく感動しまして、その‥‥、志賀さんは‥‥??」
まだお元気でしょうか? と聞く前に、
お店の方は、笑いながら
「まだ元気なんですよ。」
と、明るくおっしゃるではないですか!!

「足腰が弱ったものの、月に1、2回は、
 お店にも出てくるんですよ〜(ニコニコ)。」
とのこと。それはまた、偶然お会いできると嬉しいですね。
しかも、年明けの1月3日で102歳になられるそうです!
どうかどうか、お元気でいて欲しいです。
私もまた、年明けに足を運びたいと思います。
ありがとうございました。

お店には、
『日本一の昆虫屋 わたしの九十三年』
を文庫化し文芸春秋から再販された、
『日本一の昆虫屋〜志賀昆虫普及社と歩んで、百一歳』
の書籍も販売されていました。
こちらは、著者の貴重なチョウの標本を
カラー写真で紹介していたり、
著者自身が加筆した序文も追加されています。

なぜ、「志賀昆虫普及社」という名前にしたかも、
この本の中に書かれていますので、
「志賀昆虫」のお店に初めて行く際には、
良かったら、この本を読んで行ってみてください。
ちょっと感動しますよ〜〜!

※(株)志賀昆虫普及社さまにご了解を得て、
 掲載させていただいております。
 なお、(株)志賀昆虫普及社さまのご希望により、
 お店のお写真、詳細な店舗情報につきましては
 掲載を控えさせて頂いております。
 なにとぞご了承くださいませ。

2005-12-18-SUN



(c)2005 Hobo Nikkan Itoi Shinbun