水着でダルクローズ!
糸井重里さま
ごぶさたしています。
樋口さん、風邪のご様子なので心配しています。
なんとか時間をつくって、
もう一度見たいと思っているのですが、
なかなか思うようにいきません。
残念です。
さて、
昔の女優さんの話をしますね。
江戸時代の歌舞伎は、男だけでやっていましたから、
女優が生まれたのは、もちろん明治になってから。
マダム貞奴がはじめて「女優」と呼ばれ、
松井須磨子が、『人形の家』のノラを演じたのは、
明治44年(1911年)のことでした。
今日は、田村秋子の「一人の女優の歩んだ道」
(1962年 白水社)を読んでいました。
田村秋子は、築地小劇場から築地座を経て、
文学座の創立にかかわった女優さんです。
田村秋子は、築地小劇場第一回旗揚げ公演に
出演していますから、
新劇はじめての女優といってもよさそうです。
名優杉村春子にとっては、仰ぎ見る先輩で、
田村の技芸に嫉妬したという挿話があるくらい。
大正時代の稽古の話がおもしろかったので、
ちょっと引用しますね。
「『海戦』のおけいこがすむと、
みんなダルクローズの体操の基本をやるんです。
それもみんな海水着でやるんです。
何しろまだ大正時代でしょ、その頃は。
海へはいるんだって大人の女の人では
ジュバンに腰巻、しかも丸髷(まるまげ)で
入っている人だってたくさんいた時代です。(笑)
その時代は海水着は着ているにしても、
陸の上、芝生で裸でやるんですもの。
山本安英さんは勇敢にやっているんですよ。
あたしは、そんなかっこうを見て、
『なんて偉い人たちなんだろう。あたしには出来ない。
肌を人の前にさらすなんてことは、
あたしにはとても出来ない。
もうあしたから来ますまい』
と覚悟を決めて、
あたしはそのダルクローズを見ていたんですよ。」
注釈がいりますね。
○ダルクローズというのは、
ズロースの一種ではありませぬ。
Emile Jacque Dalcrozeって名前のスイス人。
運動を通してリズム感を養う教育を実践しました。
ダンサーのニジンスキーにも
影響を与えたと言われています。
○山本安英さんは、木下順二作「夕鶴」のおつう役で、
親しまれた女優さんです。
稽古が終わると、シャワーをあびて、
男性は蝶ネクタイをして、食堂に集まり、
コースで西洋料理を食べたとありますから、
「新劇」って、なかなかスノッブなものだったんですね。
このごろ稽古場で見る女優さんは、
アディダスの上下で決めているのがはやりみたいですけど、
稽古が終わったとたん、水着に着替えてハイ、体操
なんていわれたら、怒って帰っちゃいますよね。
掲示板
来年の話をするのは気がはやいかもしれませんが、
お正月は、3日から浅草で歌舞伎です。
毎年、芝居初めは浅草と決めていて、
「ああ、今年も劇場に通うんだな」
と思いを新たにします。
そのうち、糸井さんも歌舞伎にお誘いします。
T.P.T.のホームページができたと聞きました。
http://www.tpt.co.jp/
できたてのほやほやです。
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