Drama
長谷部浩の
「劇場で死にたい」

『水の戯れ』(その一)

糸井重里さま
バリ島でリフレッシュされたようですね。
勉強部屋の大掃除に明け暮れていた私とは大違い。
うらやましく「おことば」を読みました。

12月は慌ただしく過ぎました。
忘年会ではありません。
昨年からそのたぐいの集まりは、
よっぽどのことがないかぎり
遠慮するようにしています。
なぜって、時間がないから。
6月に手術をしたこともあって、
残された年月が気になるようになりました。
(あ、もちろん余命を
宣告されたわけではないのですが)

忙しくしていたのは、
12月にいいお芝居が重なっていたからです。
岩松了作・演出『水の戯れ』
デヴィッド・ルヴォー演出『ルル』
松尾スズキ作・演出『ふくすけ』
野田秀樹作・演出『Right Eye』
いずれも、甲乙つけがたい1998年の代表作でした。
それぞれ初日付近と楽日近く、
二度舞台に通いました。
この四本で、八夜使ったわけです。
(正確に言えば、『Right Eye』は、
課外授業で学生をゲネプロに引率していったので、
三回見たことになります)

手に入りにくいチケットばかりなのに、
なんというわがまま!
ですが、いい舞台にはそれだけの
情報の深みがあるので、
再度見ると、勉強になるのは確かなのです。
これは演劇にかぎりません。
映画でも、小説でも、
専門にしたいと思っている方は、
「これは」と思った作品は、
何度も繰り返し体験することをおすすめします。

テアトロの年末回顧の座談会、
朝日新聞の今年のベスト5、
いずれも11月の終わりに出席したり、
選出したりしなければならなかったので、
この四本は選にもれてしまいました。
だからといって、来年の回顧で、
今年の12月の舞台について触れるのも奇妙ですから、
この四本は不思議な空白のなかにおかれてしまいます。
慌ただしい師走が、回顧の真空地帯というのは、
おもしろいですね。

『水の戯れ』、『ルル』、
『Right Eye』については、雑誌テアトロに
劇評を書いたので興味のあるかたは、
本屋で読んでみて下さい。
(もうすぐ、店頭にならぶと思います)

『水の戯れ』の樋口可南子を、
演劇評論家はどう見るのか。
という課題は、
ほぼ日刊イトイ新聞の読者は
気になるところと思います。
劇評めいたものをはじめ書いたのですが、
どうも演劇村のことば遣いになってしまったので、
思い切って書き直しました。

『水の戯れ』を通して、
お芝居の快楽と魔にふれられればと思い立ちました。
このシリーズは、長くなるかもしれません。
ゆっくり進めていこう!
糸井さんには、
「当たり前だよー」てな話が
多くなるかもしれませんが、
お芝居を見慣れない読者にも、
興味をもってもらえるように、
書ければいいなと思っています。

岩松了の舞台に参加するのは、勇気のいる決断です。
なぜなら、彼の芝居には、「いい人」が登場しません。
むしろ、人間にはこんな思惑や
嫉妬や悪意がひそんでいたのか。
彼は、観客にそう気づかせる人物ばかりを描く
作家だというのが前提としてあります。
これを頭の隅に置いておいてください。

竹中直人の会は、
これまで映像の世界で
名前のある女優さんが参加してきました。
一昨年の『月光のつゝしみ』は、桃井かおり。
昨年の『ラジオ・デイズ』は、原田美枝子。
で、今年の『水の戯れ』に、樋口可南子です。
樋口さんがキャスティングされたとき、
軽いショックを受けました。
なぜなら、桃井さん、原田さんには、
これまで役柄を選ぶ上で、
「芸術的な選択」を行ってきた印象があります。
「汚れ役」ということばが
ふさわしいかどうかわかりませんが、
少なくとも「癖のある女性」を
演じてきたキャリアがあります。
それに対して、樋口さんには、
あくまで美人女優の看板がつきまとっています。
樋口さん、本当にいいんですか?

舞台に限っていうと、
蜷川幸雄演出の『近松心中物語』の梅川。
これは、歌舞伎の
『恋飛脚大和往来』を原作にした作品で、
梅川のために公金に手をつけた忠兵衛と、
『新口村』で、雪の中を心中していく。
まさしく美人女優にふさわしい
悲劇のヒロインでした。

仕事を引き受けるに当たって、
過去の作品と、今回のシノプシスを
樋口さんじしんが読むでしょうから、
相当な覚悟があっての舞台だと思いました。

これは一般論ですが、
俳優さんは観客に好かれたいと本能的に思っています。
映画やテレビと違って、
観客の反応がダイレクトに伝わってくる舞台では、
この誘惑からのがれるのは、とてもむずかしい。
一生この誘惑のとりこになっている人が、多いんです。

その一方で、
人間として深みのある役に挑戦したいという
欲もあります。
きれい、きれいに描かれた人物は、
どうしても表面的に受け止められやすい。
人は多面的なプリズムのようにできていますから、
その一面だけを輝かせた役には、
どうしても人工的な印象がつきまとう。
ですから、俳優としての成長にしたがって、
たとえば、シェイクスピアでいえば、
『ハムレット』のオフェーリアや、
『ロミオとジュリエット』のジュリエットでは、
あきたらなくなって、
『マクベス』のマクベス夫人や
『オセロー』のデズデモーナに挑戦してみたくなる。
これも、至極あたりまえな
成り行きだといっていいでしょう。

ただ、シェイクスピア以上に、岩松了には、
人間の悪意を描く分量がかなり多い。
観客に嫌われる怖れを引き受けながら、
1カ月以上の公演を演じきらなければならない。
美しさの神話のなかに生きてきた女優さんにとって、
それはかなり辛いことでしょう。
というのが、お芝居を見る前の感想でした。
ところが……

長くなってしまったので、今日はこのへんで。
次は台本執筆中に、岩松さんと会ったときの話です。

一月九日

長谷部浩

1999-01-10-SUN

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