『デルボーのこと』(その一)
糸井重里さま
この間のメール、タイトルを読んで「はてな」と首を傾げ、
ややあって、くすっと笑ってしまいました。
デルボーって、デヴィッド・ルヴォーの略だったのですね。
「春の祭典」……はるさい
「チャイコフスキー」……チャイコ
など、お堅いと思われがちなクラッシック音楽には、
思わず吹き出してしまうような省略が、
広告にも使われています。
謹厳実直ないかめしさを、やわらげようとする狙いなのか、
それとも、えーい、ちゃかしてしまおうという魂胆なのか、
生粋のクラッシックファンに聞いてみたいものです。
一昨年に紀伊國屋書店出版部から出した
「傷ついた性 デヴィッド・ルヴォー演出の技法」が、
去年の4月に国際演劇評論家協会日本センター……
AICT賞を思いがけずもらいました。
受賞のことばや、選評が掲載される
「シアターアーツ」誌(晩成書房)の刊行が、
版元の都合でのびのびになっていたのですが、
ようやく2月の末に書店に並ぶことになりました。
一昨年前の4月から6月にかけて、
それこそがむしゃらに書いた本を、
ひさしぶりに手に取ってみたのですが、
今みると、「こうすればよかったのに」とあらが目立って、
「どひゃー」と叫んで逃げ出したくなってしまいます。
デヴィッド・ルヴォーの演出は、
女性にたいする憧れと畏れに引き裂かれている
と思うのですが、その振幅に
もっとページを費やすべきだったかなと、
改めて思いました。
ただ懐かしいのは、
POWERBOOKの狭くて、ぼやけた、
安物の液晶画面に向かって、
ただひたすら家に閉じこもって書いていたあのころです。
プリンターを持っていなかったので、(買えよ)
一章書き上げるごとに、担当にメールで送って、
プリントアウトして送り返してもらいました。
そんな劣悪な環境でも、一冊の本が書ける。
大きなモニターとG3がある今なら、ずいぶん楽でしょうが、
せっぱつまった気迫は、あの環境だからこそ、
知らずににじみでたのかもしれません。
今年の後半からは、「久保田万太郎の四季」を、
ねじりはちまきで、大幅に加筆する仕事に入ります。
地獄だとわかっているのに、やめられない。
ひょっとしてマゾ? とも思うのですが、
ひとりで机に向かっている時間があって、はじめて
あー、生きてるなーと感じてしまいます。
ま、奇人変人のたぐいなんでしょう。
これからしばらくは、あの「いぼいぼの季節」について、
書いてみたいと思っています。
では、デルボーの舞台、楽しんできて下さい。
99年2月20日
長谷部浩
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