『デルボーのこと』(その二)
糸井重里さま
糸井さんがコピーライターとしてデビューされた頃、
「はやい、うまい、いとい、よろしく」
というキャッチを使っていらっしゃいましたね。
(今の読者に解説すると、当時、吉野屋の牛丼が
「うまい、安い、早い」とうたっていて、
このコピーはそれをもじったものです)。
原稿書きを仕事の中心にしてから、
ほとんど毎日、コンピュータに向かっています。
それは川本三郎さんから、
「プロたるもの、ピアニストのレッスンと一緒で、
一日も欠かさず書かなければいけない」
とアドヴァイスを受けたこともあります。
現実には、新聞や雑誌などの原稿をこなしながら、
単行本の書き下ろしを進めるには、
毎日、キーボードをたたく習慣はどうしても必要なのだと、
すぐにわかったのですが……。
原稿を書くのは、早いほうかもしれません。
たとえば、このほぼ日刊イトイ新聞サイズなら、30分。
5枚くらいの劇評で、1時間。
日経に連載している「せりふの流儀」で2時間。
ただ、調べ物を必要とする「久保田万太郎の四季」は、
ぐっとスピードが落ちて、3日間。
くらいでしょうか。
ただ、書くまでが長い。
お茶を入れたり、シャワーをあびたり、30分寝たり、
関係ない本を読んだり、耳のそうじをしたり、
携帯電話のファンクションの探求にいそしんだり、
なんだかんだで時間を使っています。
ひっかかることばが発見できないと、向かえない。
そのことばは、必ずしも一行目につかうわけでは
ありませんが、あたまのなかにあるバネを、
クリックするようなことばが見つからないと、
ディスプレイのまえで、途方に暮れてしまうのです。
もっとも
「傷ついた性 デヴィッド・ルヴォー演出の技法」
を書き下ろしたときは、例外でした。
もう二年前のことなのに、記憶があざやかです。
4月から6月まで、ほぼ三ヶ月、
朝の7時から夜の1時くらいまで、
そのころ使っていたパワーブックに
ずっと向かいっぱなしでした。
ばね、だの、クリックだの、気の利いたことはいわずに、
ことばをしぼりだしているような状態に
じぶんを追い込んでいきます。
さらに初校を、「これでは書き直しでは」
といわれるくらいに、赤字だらけにしてしまいました。
(もっとも、先日ご報告したように、プリンターなしで
単行本を書くという暴挙でしたから、
当然の結果ともいえますが)。
その間はナチュラルハイで、お酒ものまず、
とっても楽しかったのですから、はっきりいってマゾ。
ごはんもそんなにちゃんとは食べなかったので、
体重は5キロ減って、(ああ、身を削るってこれなんだ)
とわかりました。
憑依といったら大げさですが、
じぶんがデヴィッド・ルヴォーになったような気分で
書いていましたから、その三ヶ月、
私は英国人で、長髪でハンサム、めちゃくちゃ女性に
もてる演出家になっていたわけです。
たまに外にでても、デヴィッド・ルヴォーの
ことばかりしゃべっていました。
(周りはさぞ迷惑だったでしょう)。
担当の編集者、紀伊國屋書店出版部の太田さんは、
もちろん冷静でした。が、一冊の本に、
担当の及ぼす影響は大きく、
この本がセクシュアリティ論に統一されたのは、
太田さんの巧みな誘導があってのことだと思っています。
2章くらいでセクシュアリティは、ざっと片付けようと
目次立てしていたのが、いつのまにか、
全体を貫く軸となっていました。
担当がよろこぶ顔をみたいがために、
牢獄のような生活で原稿を書くのですから、
章ごとの反応を見るうちに、
このテーマに落ち着いていったのは、
優秀な編集者のたくらみに乗ってのことでした。
「久保田万太郎の四季」は、
「i feel」に連載していますが、
そろそろ本格的に書き下ろしの準備にかかるつもりです。
連載原稿はあくまで素材で、
大幅に加筆していくことになりそうです。
たぶん、この秋からは、また地獄のような日々が
はじまります。
うれしいような、かなしいような、でも待ち遠しいような。
99年3月14日
長谷部浩
伝言板
インターネットでは、次のアドレスで
朝日新聞の書評が読めます。
「傷ついた性 デヴィッド・ルヴォー演出の技法」
http://asahi.cab.infoweb.or.jp/
books/1207/rev3.html
編集委員の扇田昭彦さんが、
厚意にあふれた文を書いて下さいました。
紀伊國屋書店BOOKWEBのアドレスは、
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/
cgi-bin/wshosel.wb?REV-COD=
9970901370&USER=GUEST です。
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