Drama
長谷部浩の
「劇場で死にたい」

新シリーズ
芝居のことば2 「楽屋とんび」

「とんびがくるりと輪をかいた、ほぉいのほぃ」
のとんびが、劇場の楽屋にすんでいます。
あちらと思えば、また、こちら。
いろんな俳優さんにあいそを売って歩く人を、
楽屋とんびと呼んでいます。
なんかいやーな、響きを持っていますね。
翻訳すると「八方美人」ですね。

たとえば、ある劇場付きのプロデューサーA氏が、
じぶん以外の劇場の公演を見に行ったとします。
彼は考えます。
「やっぱり、主演の◯◯さんとは、
来年、一緒にお仕事をするし、挨拶にいかなくては」。
かくして、A氏は、
楽屋口の着到板で◯◯さんは、まだ楽屋にいると確認して、
舞台裏に入っていきます。

楽屋の廊下で、この間、出演してもらった女優の△△さんと
すれ違います。「やあ、ひさしぶり」。
これは人間関係からいっても、
△△の楽屋を訪ねないわけにはいかないでしょう。
△△から解放されたと思ったら、
そういえば、××さんも、この芝居にでているのを
思い出しました。
△△と××さんは、同じくらいのクラスの俳優さんですし、
お互い交友がありますから、△△の楽屋だけいって、
××のところを、すっぽかしたのでは、まずい。
△△さんが、××さんに、
「昨日、楽屋を訪ねて、とってもほめてくださったのよ」
なんて自慢されては、立つ瀬がない。
かくしてA氏は、××の楽屋にも、
「おはようございます」
とのれんをくぐることになりました。

かくしてA氏は、楽屋とんびとなって、
あちこちを訪ね歩くことになるのでした。

こういう面倒くささがあるので、楽屋には一切行かないと、
決めている関係者も多いようです。

私はといえば、ほんとうにいくつかの例外をのぞいては、
楽屋には立ち寄りません。
たとえば、用事があったり、おなかがすいていたりして、
いつもは、訪ねている俳優の楽屋にいかないとします。
すると、その俳優は、私が今回の芝居を
よっぽど気に入らなかったのではと、心配するようです。
いったん、行きはじめてしまうと、
いかないことに意味がついてしまう。
考えただけで、面倒でしょう?

(もっとも、純然たる俳優さんの楽屋を訪ねることは、
まず、ありません。演出家が俳優を兼ねている場合、
楽屋に立ち寄ることもあるのでした。
舞台の責任者である演出家と話すのは、
批評家の仕事の一部だと思っていますから)

次回は、「着到板」です。

長谷部浩

1999-04-22-THU

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