Drama
長谷部浩の
「劇場で死にたい」

高度3600mの都市(その2)

「宮城さん、スタッフ・キャストで
 20人くらいはいるでしょ。
 ということは一割としても、
 ふたりは高山病で公演の戦力にはならない。
 ひょっとして、お芝居を縮小することも
 考えておいたほうがいいんじゃないですか」
 
演出家の宮城さんから、
高山病に効くという薬を成都でもらいながら、
私はためらいがちに切り出したのでした。

東京で高山病についての情報を集めると、
どう考えても、公演自体が無謀のように思えてくるのでした。
3600メートルといえば、
富士山の頂上でお芝居をやるようなもの。
酸素が薄く、高山病にかからなくても、
階段をのぼれば息が切れる。
靴のひもをむすぶのさえ億劫になるといいます。
まして、2、3日は、孫悟空の頭にはめられた輪のように、
頭痛でとても使い物にならないのは、当たり前。
酷い症状ならば、酸素吸入、入院。
有効な治療手段はなく、即刻低地へ移送するしかない……
観光でさえあやういのに、動きがはげしく、
腹の底から語りをしぼりだす
ク・ナウカの芝居ができるのだろうか。

チベットでこれまで海外の劇団の公演がなかったのは当然。
同じ高地のアンデスから劇団がくるのならば、別ですが。

チベットのラサには、東京からの直行便はありません。
私は成田から北京へまず飛び、トランジットし、
四川省の成都についたのは、夜の8時でした。
宮城さんと私は、食事をしながら、

「ま、劇中に出てくる獅子の舞いは、
 指人形でやりますか!」
 
と高山病の不安をうち消そうとしているところに、
劇団員のひとりが心配そうな顔でやってきました。

「あのう、副腎皮質ホルモンも利くって聞いたんですけど、
 やっぱり私にも薬もらえますか」

翌朝、4時半(!)、ロビー集合と告げられました。
空港から病院直行という重病人もときにはでるらしい。
そんなうわさが頭をかすめ、
暗い気持ちで客室にひきあげたのです。

(つづく)

1999-09-25-SAT

BACK
戻る