長谷部浩の 「劇場で死にたい」 |
高度3600mの都市(その7) 前回は既にマスメディアに発表した文の再録でしたが、 あゝ、ほぼ日刊イトイ新聞には似合わないと つくづく思いました。 そこで、オリジナル原稿に書き改めてみました。 メディアによって、 このくらい文体が変わるものなんですね。 では、どうぞ。 お待たせしました。公演レポートです。 もう、すっかり何の話だか忘れてしまった人が ほとんどだと思うので、復習しておくと、 この夏、東京の劇団ク・ナウカが、BeSeTo演劇祭に 泉鏡花作の『天守物語』で中国ツアーを行ないました。 演劇祭自体は、藩陽で行なわれたのですが、 昆明を巡演し、チベットに入り、 ラサと、ラサから南へ200キロほどいったところにある ツェタンで、公演を持つことになったわけです。 8月29日。 ダライ・ラマの離宮ノルブリンカの門の前には、 チベット独特のテントが風にはためいていました。 門を背景に、黒くぬったよしずの装置を 前日組んでおきましたから、 当日は、その前に濃紺の布をしきつめれば、 準備はOKです。 一枚の布が舞台になる。 不思議に思えるかも知れません。 けれど、布には、結界をもうける効果があるのでしょう。 東京の劇場のように、 舞台と客席が隔てられている冷たさはなく、けれど、 「ああ、ここでは劇がおこなわれるのだな」と 思わせるちからがあるんです。 ク・ナウカでは、演じる人と、語る人が別れています。 天守物語ならば、主人公の富姫を ふたりの俳優がつとめます。 ひとりは美加理、彼女は舞台を動きまわり演技をします。 ひとりは阿部一徳。 彼は、舞台の四隅にもうけられた「座」で、 富姫のせりふを語ります。 ふたりで、ひとつの役を演じるわけです。 「なんで、こんなことするの?」 歴史的に見れば、 これはそんなにめずらしいことではないんです。 特に日本の演劇では。 能がそうですね。 演じては無言。せりふはすべて謡いです。 文楽も同じです。人形は無言(当たり前ですが)。 舞台上手(右手)太夫と三味線が、物語とせりふを語ります。 文楽の台本を移植した歌舞伎の義太夫狂言もそうですね。 歌舞伎では、地の文は、太夫。 せりふは、太夫と俳優が分担します。 とすると、ク・ナウカの方法は、 古典の技法を復活しただけともいえるんです。 (つづく、次回にはようやく芝居の幕が開きます) 長谷部 浩(演劇評論) ホームページ Theater Walk http://move.to/ikizaka |
1999-10-27-WED
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