Drama
バンドマンという幸福な商売s
沼澤尚さんと、とてもホンネな話。

「プレイヤーの理想」

Photo:Toshihiko Imai
(Rhythm&Drums magazine)

ほぼにちわ。
昔、ちょっとドラムをかじっていた
ROCK西本改め
スニーク西本です。
沼澤さんがこの対談でも超おすすめしてた
スティーブ・ジョーダンが参加している
キース・リチャーズバンドのライブCDが
自宅で見つかって、改めて聞き返してみて
ご機嫌の更新です。
クレジットを見てると
スティーブ・ジョーダンはドラムだけじゃなくて
ベースも弾いてるわ。
マルチな方なんだなと思いつつ、
「おっ、一人ドラマーがいるじゃん」
と思ってクレジットをみたら
チャーリー・ドレイトンという名前。
なにか、聞き覚えがあるなぁと思ったら
2月2日に武道館で観た
奥田民生さんのライブで
ゲストとしてドラムを叩いていた人だったのでした。
確かに「スパーンッ!」とキレのいいドラム。
武道館が「ビシッ!」と締まった感じがして
良かったもんなぁ。

今日も一通メールを紹介させてください。
ドラマーの方からのメールです。

はじめてメールします。
私は35才の会社員で、
20年ドラムに取り組んでいる者です。
仕事のかたわら数名の指導もさせてもらっていて、
自身のバンド活動とともに、がんばっています。
ほぼ日を知ったきっかけが、
2000年の沼澤さんの対談で、
むさぼるように何度も読み返していました。
それ以降ほぼ日にどっぷりはまってしまい、
毎日かかさず読ませていただいています。
ほぼ日に再び沼澤さんが登場してくれて、
本当に嬉しいです。
また何度も読み返したいと思います。
沼澤さんのドラム、本当にかっこいいです。
言葉で言うのは難しいのですが、
心の中心に水滴を落とされて、
なんか魂が吸い取られてしまうような感覚を、
ライブを見ている時に何度か経験しました。
ほんの1拍のフレーズなのに、
本当に骨抜きになったりしました。
今風の言葉だと、「来る!」と言う感じでしょうか。
主役を立てつつ、
自身の演出をしながらプレイを楽しんでいる
ように見えるのですが、
僭越ながらそんな姿こそ
プレイヤーの理想ではないかと思います。
(hideさん)


今日は「プレイヤーの理想」とまで言わせてしまう、
沼澤さんの
下積みというには明るすぎる
渡米当初のお話から、奥田民生さんについての
話へと流れていきます。



第4回
ロシアマフィアのパーティから
チャカ・カーンのバックへ
糸井 ロシアマフィアのパーティって
どんな感じなの?
沼澤 ドキドキしたけど面白かったですよ。
ロシアマフィアのパーティで踊ってる女の人が、
僕はすごいきれいだと思って、
演奏が終わった後、
そこにいた女の人に
話しかけたりなんかしたんです。
「あの、ちょっと話してもいいですか?」って。
そうすると向こうも
「いいわよ」って言ってくれたんですけど
でも、やっぱり周りにはその筋の方が
いっぱいいらっしゃるわけですし、
「怖っ!」とか思って
それ以上の事は何も無かったんですけど、
当時、こっちはタキシードを着て
チョロチョロ演奏している身分ですし、
「この曲をやれよ!」
っていわれた曲を演奏して、
50ドル札もらって、「やった!」
とかっていってるときですから
今、思うと、すごい勇気あるなぁって思いますね。
糸井 何年ぐらい、そういう生活してたんですか?
沼澤 1983年に、大学出てアメリカに行って。
学校には1年間行って。
学校卒業したら、
そのまんま、そこで先生になんないか、
って言われてから、
半分生徒、半分先生みたいなことやってるうちに
ちょっとずつ演奏し始めるようになって。
それから友だちと一緒に
ロシアレストランに頼まれて
やることになったんです。
26歳のころですね。
糸井 なんで? ロシアレストランで目つけられたの?
沼澤 僕の知りあいに頼まれたんですよ。
ロシアレストランに行き着くまでに、
気合い一発でいろんなライブに
出演しまくっているんですよ。
今日はゴスペルの人、そして次の日は
リッキー・ジョーンズの
まがいものみたいな人の
バックを地方でやって、みたいな。
そういうのの連続ですね。
糸井 ふーん。
沼澤 そうやっていろんな所に出入りしていると
コンサートやCDショップで
よく出会っていた人が
チャカ・カーンのバンドマスターに
なったんですよ。
それで僕も、「オーディションに来ないか?」
って言われて。
糸井 つまり「オーディションに来ないか?」
って言うだけの力は、もう、ついてたんだね。
沼澤 そのへんはわからないけど。
友だちの集まるパーティで
ちょろっと演奏してるときに、
「君なにしてるの?」
ってその人に話しかけられて。
「俺学校行って、ドラム習ってんだ」
って言ってて
その時点ではそこで終わった話なんです。
そのすぐ後に、中古レコード屋さんで
ボビー・コールドウェルのセカンドアルバムを
買ってたら
「それ、俺の好きなアルバムなんだけど」
って急に外人に声かけられたと思ったら
また、その彼だったんです。
糸井 ボビー・コールドウェル(笑)。
いちいちなつかしい名前だなぁ!
沼澤 「そういうの好きなの?」
「好きだよ、じゃぁ」
って別れたんですけど、
その次の週に
ひとりでコンサートを見に行ってたら、
その人がまた、いたんですよ。
だから、今度はこっちから
「なにしてんの?俺の好きなコンサートで」
って声をかけて。
向こうも
「うおっ、また会った」となって。
そういった偶然の出会いが重なって
チャカ・カーンのバックを
やることになったんです。
そのころのぼくはオーディションを
受けまくってた時期でした。
デイヴ・リー・ロスのオーディションとか。
糸井 チャンスはいっぱいあるんですか?
沼澤 ありましたね。
もう、LA中のドラマーが集まってくるみたいな。
チャカ・カーンのバックをやることになったのも
26歳のときです。
だから、アメリカに来て3年たった頃ですね。
糸井 それ、思えば短いね。
沼澤 短いですね。人に会うという部分では
めちゃくちゃラッキーでしたね。
糸井 ラッキーあるよねー。
沼澤 いや、すごかった。でも、ラッキーな分、
そこで、うまくいかないと、
2度と声かかんないですよ。
糸井 あ、そっか‥‥。
沼澤 「あいつは良かったね」
って言ってる暇がないんですよ。
アメリカにいると。
糸井 いいね、か、ダメ。
沼澤 こういう場合、
「いいと思ったらダメじゃない」
っていうのがいちばんダメなんですよ。
「あいつ、クビになったんだよね」
ってなった瞬間に、
そっちのイメージのほうが、
断然強くなるんですよ。
やっぱ悪いことの方が、
ぜったい人って憶えてるから。
「いい」っていうよりも、「ダメだ」っていうほうが。
だから、僕も逆の時があったんですよ。
糸井 ドラマーの人が潰れちゃうってこと、
結構、多いですよね。
沼澤 すっごい多いですよ。
糸井 他の楽器よりも多いですよね。
「昔は凄かったけど、
 今は飲んだくれて、もういない」とかね。
有名な人でもいなくなったりしてますよね。
それだけドラムって、肉体に近いんだろうね。
若さと美貌で売ってた人の宿命とかに近いかも。
沼澤 僕なんか、日本人だっていうのが、
すごいラッキーで。
糸井 憶えられやすい。
沼澤 ルックスがやっぱり、
黒人でも白人でも無いし。
糸井 はぁー。
沼澤 例えば、オーディションでも
同じ力量の黒人と白人と日本人がいたら、
日本人の方が面白いと思われるんですね。
糸井 はぁー、景色が違うんだろうね。
沼澤 そうなってくると
いかに憶えてもらうか、みたいなのがあって。
当時は「東洋人の髪の毛が立った、赤いメガネ」
みたいなルックスでオーディションに
行ってましたよ。
糸井 うんうん。
それは、自分でやりたいっていうよりは、
就職先を探す仕事になるわけですよね。
ステージ上に出かけていくときと、
普段って同じ服装なんですか?
沼澤 違いますね、やっぱり。
糸井 変えるんだ。
沼澤 変える。このオーディションのときは
こういう感じで、とか。
糸井 はっはー、なるほどね。
戦闘服ですね、ようするに。
沼澤 それは、みんながそうしてたんで、
してるっていう感じでしたね。
糸井 日本に戻ったら、全くしなくなった。
沼澤 ない、ですね。今じゃ、
このまんまステージ上がるわけですよ。
糸井 逆に、なんっにもしなくなったに近いね(笑)。

動物と動物として会ったときに、
わかる大きさがある。
沼澤 しないほうが、カッコイイ時代に
なっちゃったんで。
民生君のセンスというか、
他のバンドと違って
いかに普段服で目立つかっていう。
糸井 奥田君のそこらあたりのセンスは
表現として計算し尽くされてるとも言えそうで。
ただのワイルドじゃない、丁寧な人ですよね。
沼澤 それを、いかに、ゆるくやってるのか、
っていうことを。
でも、本人はものすごい、
気合い入ってるんですよ。
糸井 あぁー。
沼澤 っていうふうに、見える器のデカさが、
もう、あるんですよね。
僕はあの人に対しては
ドラマーとしての憧れとか
ミュージシャンとしての憧れとかではなくて
人として憧れるな、っていうのは、
唯一、彼なんですよ。
糸井 もしかしたら、関係なさそうだけど、
ミック・ジャガーに
すっごい近いんじゃないかなって
気がするんですよね。
沼澤 うん。
糸井 冷静さとワイルドっていうのが、
人間たぶん両方あるでしょ。
そうとう冷静じゃないと、
奥田民生ってやってられないと思うんですよね。
沼澤 あと、僕がそばで見ていいと思うのは、
「どう考えてもこの人は、
 努力してないはずがない」
っていうことを、やってのけるんです。
例えば、いろんなイベントにちょろっと出ては、
今日初めて歌う曲を、
今まで歌ってきた曲のように歌っちゃうとか。
糸井 技術なんですよねー。
沼澤 すっごい努力してるんだけど、
そんなふうに、まるで見えないんですよ。
一緒にいるときに、
いろいろわかることあるじゃないですか。
本人には言わないですけど、
あの人には憧れますね、
自分より年下なんだけど。
糸井 奥田民生はそう見せてないけど、
大物なんですよ。
動物と動物として会ったときに、
わかる大きさがある。
奥田民生は存在としてデカいんですよ。
沼澤 そうでしょうね。
純粋なところっていうのを、
ずっと見せてるとは思わないんだけど、
見えるんですよね。
たとえばギター、今日もレコーディングしてて、
自分のギターを録音することになると。
ギター少年というか、
自分がそんなに上手じゃないっていうことを
思いながらも、自分のやるところは見せる。
なんていうのかな、
奥田民生っていうレーベルをしょっていながら、
ぜんぜんそういうことを
気にしていないような人に……。
糸井 だから、まわりの人も、
あの気持ちを
わかってあげないスタッフだと無理だし。
沼澤 だから、いいスタッフが集まるんですよね。
糸井 ずーっとそれをキープしてますよね。
あれは劇団なんですよね、一種のね。
奥田民生劇団なんですよね。
沼澤 あの人のそばにいたいと思ってる人が、
たくさんいるんですよ。
それは、あそこのスタッフを見てて、
すっごくよくわかる。
日本でほんとに特別ですよ。
糸井 特別ですよね。
沼澤 あのセクションにはものすごい社風っていうか、
カラーがあるんですよ。
そこに、新しくマネージャーになりましたとか、
ローディーになりましたとかっていう人が
みんな面白いんですよ。
しかも絶対忘れない。
次に会った時でも「あいつ誰だっけ?」
っていう人は、いないんですよ、なんか。
糸井 前にさ、奥田君が古いブルーバードをさ、
黄土色に塗って乗ってたときがあってさ。
ありゃぁ、まいったな。
何も考えてないような気もするけど、
ダサさとカッコ良さの境目あたりのところを、
あえて突っ込んでいくじゃないですか。
頭にタオル巻いて釣りしてたのも、そうですよね。
まずは、かっこよくないんです。
それが、じわじわとかっこよくなっていくわけだから。
沼澤 本人がカッコいい思っていることを
やってるだけなんですけどね。
でも、こっちにそういうふうに
見えちゃうんですよね。
だから彼の音楽がそうじゃないですか。
糸井 そうですねー。
沼澤 パフィーに書いてる曲とかも
「ビートルズをここまでやっていいの?」
みたいな。
民生君自身のアルバムでも
「お前、なーんでこんなことできんの?」
っていうふうに……。
糸井 1回食べてゲロにしてますよね、ちゃんとね。
沼澤 「サーキットの娘」とかも、ええっ!?って。
糸井 ひどいよね。考えてみりゃね。
沼澤 「何で俺はこれをいいと思っちゃうんだろう?」
っていう。
糸井 「何でこれをいいと思っちゃうんだろう?」が、
あの人のすごさですよ。
根っこにある、あの人の善良さが
それを支えてるんだと思うんです。

(つづきます!)

2003-03-24-MON

BACK
戻る