感心力がビジネスを変える!
が、
感心して探求する感心なページ。

第3回 越境のためのCompassionという哲学。


田中 今回のプロジェクトが
あくまで「非営利」を追求したということを、
この真っ白いボールに込めた、というのが、
素晴しい着想だなと思ったんですが、
このボールについて、
語っていただけますか?


(THE OTHER FINALより)
マタイアス このボールっていうのは、
試合に込めた「純粋さ」の象徴なんです。
ふつうサッカーのスタジアムにあるような広告も、
ブータンでの試合では無くしたんです。

これは、広告に対しての批判ではなくて、
人々が分かちあえるような
「ゲームの美しさ」や
「サッカーの純粋さ」に、
より焦点をあてることの象徴なのです。

  
<ワンポイント英語>
“This was not done
 because we were against the advertising”
この発言には笑ってしまいました。
そりゃそうですよね、
ぼくたちわたしたちは、広告屋ですから。
ここで、今まで黙っていた小泉さんから質問が。
小泉 この白いボールが、
映画の中で、
いろんな所に投げ込まれていくシーンが、
すごく印象に残ってるんですけど、
投げ込む行為っていうのは、
なにか意図が込められているんですか?
マタイアス それは、ブータンとモントセラトを
「つなげる」方法だったんです。
私たちは、ボールを
「赤い糸」(“Red thread”)に見立てたんです。
マタイアス 物語を通して、この白いボールがブータンに現れ、
モントセラトにも現れ、
そして、ついにボールが、試合の日、
太陽が昇ったフィールドのセンターラインに置かれ、
二つの国が「つながった」わけです。
田中 サッカーファンってわりと、
ローカルに固執するというか、
愛国主義に走る傾向ってあるじゃないですか。
それに対して違うメッセージを
送りたかったっていうこともあるんですか?
マタイアス はい、そうなんです。
この映画のメインメッセージは、
「競争」するよりも「情をともにする」ほうが、
面白いんじゃないか、ということです。


  
<ワンポイント英語>
“Compassion is more interesting than
 competition.”
ここは、“com” で韻をふんでます。
“Compassion”を辞書そのまんまで訳すと、
「同情」ということになるんですが、
日本語で「同情」というと、
「立場が良い人がそうでない人を哀れむ」という風な
意味がついてまわりますよね。
そこで、「情をともにする」としました。
マタイアス サッカーでは、
あまりに「競争」に走りすぎていて、
お金にまみれすぎている。
また、今、世界中の人々が
不信感を抱きがちてあったり、
互いに信頼できなかったりとか、
ネガティブな気持ちにおおわれているので、
この映画をとおして、
少しはいい気持ちになって、
ちょっとだけでも
ポジティブな気持ちになってほしいっていう
メッセージも込めました。


(THE OTHER FINALより)
田中 それは、普段されてる仕事が、
コミュニケーションの創造であって、
そのコミュニケーションの大切さとか、
人と人がつながることに対して、
非常に興味を持ってらっしゃるからですか?
マタイアス 私たちは、コミュニケーションに対して
とても情熱を持っているし、
人々に何かを考えはじめる刺激を
与えることへの情熱を持っているんです。
また、
境界を超えていきたいんです。
異なる文化や異なる主義主張に対して、
映画、インターネット、本などを通じて、
ひとつのアイデアで
ひとつの文脈をつくっていきたいんです。
田中 ふだんビジネスの場では、
マタイアスさんは
キャンペーン戦略のプランナーだと
いうことなんですが、
いつも境界を超えて
「人々をつなげていくこと」を
意識して仕事されているんですか?
マタイアス 自分の仕事は、
人々が商品や会社やアイデアについて、
考えることを助けることだと思ってます。
つまり、人々がものごとをどう見ているか、に
焦点をあてる仕事なのです。
ディーゼル・ジーンズの仕事であれば、
若い人たちのファッションに対する考え方を
助けるという風にしているんです。
最近の広告っていうのは、
世界を単純化し過ぎているように思う。
私たちが興味があるのは、
あえて一見むずかしい広告なんです。
人々が最初ちょっと触れただけでは、
「あ、これは何だ?」と思うような広告です。
田中 それは、「単一性」よりも
「多様性」に興味があるからですね?
マタイアス そう、それに「境界を超える」こと。
田中 とくに近ごろ、
グローバル・ブランディングのキャンペーンだと、
単純化したメッセージを送る傾向がありますよね。
それについてどう思います?
(「GAP」や「NIKE」のように、
 世界中で同じ広告キャンペーンをする傾向について
 聞いています)
マタイアス それは、広告としては、
とても論理的なつくり方ですよね。
たった20秒の間に、
広告はストーリーを
伝えなければならないわけですから、
ひとつのメッセージを送ろうということになる。
「単純化」は、理屈にはかなっているわけです。
特にグローバル・キャンペーンとなると、
より多くの人々に
理解してもらわなければならないので
伝達が難しくなります。
一方、私たちが求めている「多様性」は、
わたしたちのオフィスにあるんです。
35人いるスタッフは、
12の異る国々の人々で構成されているんです。
だから多種多様なものの見方というのがある。
わたしたちはそれを注意深く観察しているんです。
世界中の異なる文化を。
田中 多くの異る文化を持ちよって、
毎日ブレイン・ストーミングしてるんですね。
マタイアス そうです。
映画を一緒につくったロボットの人たちも
アムステルダムにやってきて、
アイデア出しのためのブレイン・ストーミングを
やっていました。
そのようなミーティングをすることによって、
今こうして話をするようなことも含めて、
自分たちは何者なのかということを、
たくさん学ぶことができるんです。
ミーティングがとても好きなんですよ。

モンセラトやブータンともミーティングをしました。
異なる文化から学ぶということは、
とても面白いことです。
田中 プレスリリースで
仏教徒だという話を知ったんですが、
「多様性」というものを重視される考え方って、
やっぱり仏教の影響なんですか?
マタイアス 仏教の哲学は、
私たちのやっているような仕事には、
非常に刺激的だと思います。
なぜなら、
「競争」するよりも「情をともにする」ほうが
面白いんじゃないかとか、
お互いに疑いあうよりも信頼しあうほうがいいとか、
背を向けるのではなく向かい合うことを
仏教は教えているからです。
仏教からは多くを学ぶことができますが、
他の宗教も同じです。
キリスト教もそうですし。
時々自分がもともと何教だったのか、
忘れてしまうなんてこともあります。
こういう考えは、
このプロジェクトにも影響を及ぼしていると思います。
ブータンとモンセラトとのミーティングでも、
「情をともにする」
思いやりの精神が見られました。

ブータン人の仏教に根差した精神では、
ゲームに勝つというのは困ったことなんです。
ブータンは4対0で圧勝したものだから(笑)。
仏教の教えでは、
ゲストはゲストとして迎えなきゃいけないから、
「1点でも入れさせろ」って、
ブータンの大臣たちがとても心配したんです。
それで、映画の最後で、
「敗者もヒーローとして祝われること」を
描いたんです。


<ワンポイント考察>

このオランダ人のいうことは、
いちいち一貫性がありますよねえ。

ちょうどこの1月にロンドンに行くことがあって、
ナショナル・ギャラリーにふらっと入ったら、
入り口の床に天使や女神とともに
“Compassion”と、
でかでかとモザイク文字が描かれていたんです。
その時に、
キリスト教でも「情をともにする」というのは、
重要な考えなんだなぁと思ったんです。

以前、つらい目にあったという女子の話を聞いて、
ああでもなくこうでもなくと
励ましの助言めいたことを話していたところ、
「同情するのはやめて!」と激され、
自分のいたらなさに痛い思いをしたことがありました。

それ以来、「同情」と「情をともにする」のは、
どうやら違うみたい
、と感じていました。

それで、また思い出したんですが、
ちょうど今ごろの季節の話ですが、
学生時代、塾の講師のバイトをしていた時、
教えていた小6の女子生徒が、
「入試に落ちた」と泣きはらした目をして、
報告しにきたことがありました。
まぁ、喫茶店でも行くか、と、
連れ立っていったわけですが、
また泣きはじめたわけです。
この時は、困りましたねえ。
はたからすれば、
「自分は犯罪者」に見えたはずです。
どうしようもないので、
「遠慮せずになんでも頼み」と言ったら、
チョコレートパフェを頼んだんですね。
わたくしも、ややためらいながら
同じものを注文しました。
一生で、後にも先にも
チョコレートパフェを食ったのはこの時のみです。
「いちごは、先に食べるんか?」とか、
「これはかきまぜるほうがうまいんか?」とか、
聞いてるうちに、
受験に失敗した生徒も泣くのをやめて、
「中学に入ったら部活動が楽しみだ」とか、
「新しい友だちができるかな」とか、
笑みがでるようになったんです。
思えば、この時、
「同情」ではなく、
「単純に同じことをする」ことの意味を、
「感情を分ける」意味を、
身にしみて感じたのかもしれません。

“Compassion”が、
コミュニケーションの根っこにあるんだなぁ
、と
マタイアス=ディ=ヨング氏に教わりました。
”Cross border”とも言っていましたが、
「境界を超えるために、感情を分けあう」というのが、
うまいコミュニケーションの原則かもしれないです。
理屈はなかなか分けにくいもので、
「分からない」となりがちです。

「一」のための“Compassion”ではなく、
「多」のための“Compassion”というのが、
キリスト教と仏教の違いかもしれませんね。


なんだか、えらい深みに入ってきました。
今回はこのへんで。

2003-03-28-FRI

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