江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

テーマ1 「明治の写真」

その3
鉄道馬車とステレオスコープ

ほぼ日 こっちは、‥‥これは古めかしい。
田中 この写真は大丸屋ですね。
日本橋大伝馬町大丸屋。
日本橋界隈は、越後屋もあったし、
白木屋(のちの東急日本橋店)もありましたね。
もともと大丸って関西の出身で、
江戸時代にこちらに進出してきたんです。
明治になっても、老舗の呉服屋だったんですね。
こういう土蔵造とか、暖簾のでっかい‥‥。
ほぼ日 これ、いわゆる時代劇に出てくるような、
呉服屋さんですよねぇ。
大店(おおだな)ですよね。
これは丁稚奉公の子たちかな。写ってますね。
田中 でも、三越に先を越されて、
どんどんどんどん、
「田舎の呉服屋」とまで言われるまでに
なってしまったんですよ。
ほぼ日 流行遅れ。
田中 流行遅れになってしまったんですよ。
そこで、もう、赤字続きで、
このままじゃいけないっていうんで、
明治41年に、土蔵造の暖簾をやめて、
銅版造りの看板を作って、変えたんですよ。
そういって街並みもまた、
江戸のものがなくなっていくわけですね。
ほぼ日 これ、電柱ですかね。
田中 電柱ですね。道路には、
鉄道馬車のレールが見えますね。
ほぼ日 ほんとだ、レールが出てきた。
田中 ここらへん、遠くに見えるんですけども。
チラッと馬車が。
ほぼ日 これが鉄道馬車ですね。
つまり、レールがある馬車ですね。
馬が引くんだけどレールがある。
田中 発展の順序でいえば、
鉄道馬車の次が蒸気機関車なんですが
それが日本にはいっぺんに入ってきたんです。
そういう進歩の段階を踏まないで、
突然両方入ってきたんで、
どっちを採用するかっていうと、
蒸気機関車は金がかかる、
鉄道馬車のほうが安いっていうことで、
とりあえず新橋・横浜間は鉄道が走りますけど、
新橋から市内は、人力車と鉄道馬車が
張り巡らされたんですね。
ほぼ日 鉄道馬車っていうのは、
1台の収容人数って、
どのぐらいなんですか?
田中 そうですね、ちょっと正確な数は
わからないんですけど、
30人ぐらいだったかな?
ほぼ日 そんなに乗れるんだ。
田中 でも、まあ、いろいろ馬糞の処理とか
大変だったらしいんですけどね(笑)。
ほぼ日 そうですよね。モダンな商店街に、
ウンチがたまるわけだから。
馬は、そこらへんは自由自在ですもんね。
田中 そうですね。でも、そうですね、
もうこれが明治末には、
電車が少しずつ普及してきます。
ほぼ日 新橋・横浜みたいな区間って、
今だったらたとえば横浜に住んでる人が
通勤に使うわけじゃないですか 。
そういうような行き来っていうのは?
田中 そういうものでは、たぶん当時は
利用してなかったと思いますね。
貨物とかが中心だったと思いますね。
ほぼ日 鉄道馬車って、動力がないのを除けば、
完全な市電のかたちですよね。
サンフランシスコのトラムみたいな。
馬は何頭?
田中 2頭引きですね。
ほぼ日 2馬力で30人!
馬がやる気なくしちゃったりして、
動きたくない、とかってあったんじゃないかな。
田中 まあ、走らせるしかないですよね、鞭打って。
でも、当時も、すごい痩せた馬を
こき使ってる会社がいたらしくて、
それがあまりにも動物虐待だ、ってことで、
西洋人の記者から批判をされたりとかも。
ほぼ日 当時からそういうニュースがあったんだ‥‥。
じゃ、交通事故も?
田中 ありました、ひかれてました。
そういう資料もありますね。
あの、当時、日本人としては、
鉄道馬車もそうですけれども、
「スピード」に、やはりなかなか、
最初は慣れなかったんですよ。
ほぼ日 びっくりしちゃいますよね。
田中 人間の目って、なかなか速いものに
すぐ慣れなかったらしくて。
当時、最初に蒸気機関車に乗った人も、
風景が見えなかった
って、
よくいいますからね。
ほぼ日 へぇ!
認識できない。
田中 人間の目が、速すぎて、認識できなかった。
今まで未知の体験じゃないですか、
スピードっていうのは。
ほぼ日 はぁー、そういうもんなんだ。
田中 というのもあって、やはり馬車も、
まあ、遠くから見て、
これぐらいでよけれるだろうと思ったら、
もうぶつかられたとかっていうのも
よくあったらしいですよ。
ほぼ日 でも、今から比べたら
ぜんぜん遅いんでしょうけどね。
田中 実は人力車のほうが
速いんじゃないかな。
時速8キロですから、鉄道馬車。
ほぼ日 自転車より遅いですよね。
だって、歩いたって時速4キロですもん。
なのに、感覚が狂っちゃったんですね。
そういう「鉄道馬車」みたいなことは
江戸東京博物館の常設展で
よくわかるようになっていますよね。
ジオラマがあって‥‥
だから、「東京流行生活展」を見て、
常設展を見ると、より良いですね。
田中 そうです!
合わせてご覧ください。
銀座レンガ街の模型も
復元されてますんで。
当時の写真をご覧になって、
さらに詳しく、もっと立体的に
ご覧になりたいっていう場合には、
常設展へお越しいただければと。
ほぼ日 あ、この写真、カラーですね!
えーっと、なんか書いてある。
Yokohama. Japanese Boys Coloring Pictures
and Using Stereoscope.
田中 これは、着色してあるんです。
やはり外国人向けのお土産用です。
ステレオスコープで、
立体的に見えるんですね。
この写真は、色をつけて遊んでいるところですね。
ほら、少年たちが、色をつけて。
ほぼ日 あ、自分で色をつけるんだ。
少年たちは和服ですね。
田中 はい。ま、この少年たちが
こんな色の着物を着ていたかというと
ありえないと思いますけどね。
信号機みたいな色ですもんね(笑)。
こちらも立体写真ですよ。
ほぼ日 あ、ほんとだ、立体写真だ。
立体視すると、飛び出て見えますね。
愛宕山って、港区の愛宕山ですよね。
田中 そうです。ちょうど、
東京を一望できる、ビューポイントですね。
ほぼ日 今も愛宕山の上から見ると、
一望できますもんね。
こちらの写真は‥‥?
田中 明治になってからも
江戸の大名屋敷を利用していたという写真ですね。
鳥取藩江戸屋敷を陸軍省が使ってたんですね。
屋敷跡を利用して、まあ、官庁が建てられて。
ほぼ日 あ、そういうことか!
田中 ええ。駐在所、みたいなことにして。
明治10年か11年ぐらいになると、
ちょうど今の永田町あたりに、
ちゃんと、さっきの西洋風の
陸軍参謀本部が建てられたんですが、
この写真は、仮の住まいみたいな感じです。
西洋風の建築が建っていって、
だんだんと、移り変わるときですね。
明治になったからといって、
いきなり建物が変わるわけではないから。
ほぼ日 この役人さんは、洋服というか、制服ですね。
田中 制服ですね。やはりこう、
軍隊とか警察官が最初に制服とか、
採用されていって
洋装になっていったんですね。
でも、靴とかもなかなか揃わなくて、
みんなぶかぶかの履いてたっていいます。
やはり、靴屋さんとかもそんなになかったので。
ほぼ日 作るにも、技術持ってないから、
真似で作るしかないですもんね。
田中 作れないんです、ええ。
ほぼ日 この写真の人たちも、じつは靴が
ぶかぶかなんだ(笑)。
そう思ってみると、なんだかおかしいですね。

今日は、このあたりでおしまい。
これにて「明治の写真」は終了、
次回からは「明治時代の料理の流行」について
田中さんにお話しをお聞きします。
「料理小説」なんていうものが、あったというお話も。
お楽しみに〜!

2003-09-17-WED
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