ほぼ日 |
‥‥でも、一般家庭で
そういう料理本に載っているような
レシピを作ることができたんでしょうか?
調理器具じたい、なさそう。 |
田中 |
実は一般家庭では、
こんな立派な調理場なんて
なくってですね。
七輪の上で調理するわけです。
この絵にありますね。
ほら、七輪にフライパンを乗せて
調理してたりするんですよね。 |
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ほぼ日 |
七輪にフライパン! ほんとうだ。
和服に日本髪で、床にしゃがんで。
これはきっとオムレツですね〜。
食べる時は‥‥ |
田中 |
このように、
座敷で座卓に、
テーブルクロスを掛けて、
それらしいムードを演出して。 |
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ほぼ日 |
クロス掛けてる!
ナイフ・フォークを使ってる!
グラスで洋酒飲んでる! |
田中 |
「西洋風」を味わっていたんですね。
で、その「西洋風」の最高峰が
どこにあったかというと、ここなんです。
この絵を見てください。 |
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田中 |
これは「大隈伯爵邸」という、
『食道楽』の挿し絵です。 |
ほぼ日 |
す、すごい〜!
これ、庶民の憧れだったんですよね、きっと。 |
田中 |
そうですね、憧れだったんでしょうね。
こういう生活をしてみたいと。
その、料理の味の向こうには、
西洋の豊かな暮らしみたいなものが
あったんでしょうね。 |
ほぼ日 |
要するに、イギリス風?
大隈重信って、モダンだったんですね。 |
田中 |
大隈重信は、不平等条約の改正で、
外務大臣として奔走していましたよね。
あと鹿鳴館時代とかもありましたんで、
その関係で、日本人でも、
西洋については教養があったんでしょう。 |
ほぼ日 |
今みたいにテレビがない時代ですよね。
ほかの国や、自分の国でも政府高官が
どんな暮らしをしているかなんて
あまり知られていなかったはずですよね。
で、本買うとこんなの出てたら、
ものすごいビックリしたでしょうね(笑)。 |
田中 |
すごいでしょうね。
もう今、私たちメディアで
目が慣らされてますけど、
この頃はもう。 |
ほぼ日 |
急に叶姉妹を見たようなショックが! |
田中 |
あははは! |
ほぼ日 |
だって、こんな人、
いないわけじゃない?
帽子に花が乗ってるような人たちさ(笑)。
ジャングルのようなこの‥‥温室ですね。
西洋の花や何かがある温室で、
テーブルクロスを掛けて、
グラスだけで、これ、6コあるもん(笑)。 |
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田中 |
こんな暮らしがあるのか、と。 |
ほぼ日 |
でも、ナイフ、フォーク、
少ないですね(笑)。 |
田中 |
そのあたりは、まあ、
ちょっと微妙ですね。 |
ほぼ日 |
微妙ですね。絵が正確じゃ
ないかもしれない。 |
田中 |
はい。ま、雰囲気を伝えてるということで。 |
ほぼ日 |
なるほど。
この『食道楽』が売れた背景、
もうちょっと教えてください。 |
田中 |
やはり、それまでの
西洋料理本っていうのは、
けっこう難しかったらしいんですよ。 |
ほぼ日 |
それまでもあったんですね。 |
田中 |
もう、ぼちぼち出ていましたね。
明治の初年にも、
『安愚楽鍋』(あぐらなべ)とか、
『西洋料理通』とかっていう
本も出てましたけれど、
やはり庶民が家で作るための
材料もなかったですし、
器具もなかったですし、作れなかった。
それが、だんだん肉も
普通に買えるようになってくる。
でも、やっぱり料理本を見ると、
フランス語が書いてあったり。
そんな中で、簡単な小説風で書いてある
『食道楽』が受け入れられたんですね。 |
ほぼ日 |
っていうことは、この中に書いてあることは、
庶民が自分の家の台所道具で
できるものばっかりだったんですか? |
田中 |
たとえばこの道具がなかったら、
代わりにこれを使いましょう、
みたいな感じです。
ボウルのかわりに、
大きなブリキ鉢を使いましょうとか(笑)。 |
ほぼ日 |
ちょっと読ませてください‥‥
「その次は、レモンのゼリーに
いたしましょう。
上等にすると、生レモンを
絞り込まなければなりませんが、
代価が高くなりますから、
軽便法にして、
20人前なら1升のお湯で
クエン酸の結晶したのを、
大サジに軽く1杯ぐらい入れて、
砂糖半斤とゼラチンばかりなら
40枚いりますけれども、
代価が高いからゼラチン10枚に
寒天3本ぐらい使いましょう。」
‥‥すごい! |
田中 |
こういうところが親切ですよね。 |
ほぼ日 |
はぁ〜。いちおう、書かれている世界は
上流階級だけど、彼らは庶民感覚を持って
レクチャーしてくれるわけだ。 |
田中 |
そう、そうなんですよ。
もう手取り足取り。 |
ほぼ日 |
おもしろ〜い(笑)! |
田中 |
それだからこそ、
やはり売れたんじゃないでしょうかね。
もう淡々と調理方法、
大サジ何杯入れるとか、
そんなのだけ書いてあったら、
ここまで売れなかったと思うんですけどね。 |
ほぼ日 |
読み物として、面白かったんですね。 |
田中 |
そうですね。 |
ほぼ日 |
この「料理小説」というのは
村井弦斎さんの発明だったんですか? |
田中 |
それまでは、料理小説というのは、
やはりなかったわけですからね。 |
ほぼ日 |
この後は、どうなったんですか? |
田中 |
この後もですね、いろいろ
いくつか同じような形態で
出版物はあったんですが、
やはり『食道楽』が
いちばん売れましたね。 |
ほぼ日 |
料理小説のブームみたいなものって、
この後、明治終わっちゃうと、
もうすたれていくんですか。 |
田中 |
もう、やはり普通に広まってくると、
もうそれほど売れなくは
なってくるんでしょうけど。 |
ほぼ日 |
あ、そうか。あとはもう、
詳細なレシピでいいわけだ。
啓蒙が終わっているわけだから。 |
田中 |
そうですね。あとは、大正に入ると、
ラジオが始まりますね。
ラジオで料理講習とか
レッスンとかが始まりますよね。 |
ほぼ日 |
メディアが変わったんだ! |
田中 |
ラジオでやるようになると、
またさらに広まって、
料理小説の役割は少なくなっていくわけですね。 |
ほぼ日 |
ラジオが出る前の、
出版物しかメディアがなかった時代の、
ひとつのピークだったんですね。 |