江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

テーマ3 カフェーは明治の昔から

その1 トーキョー・カフェは銀座から。

さて、今回から学芸員は
「小山周子さん」に交代です。
小山さんは、この「東京流行生活展」を企画した
三人の学芸員のひとりです。
では、小山さん、よろしくおねがいします!


ほぼ日 展示で驚いたのが、
明治から昭和初期の
カフェの写真です。
かっこいいんでびっくりして!
天井が高くて、
今、こんなのあったら
絶対行くのにな、っていうような、
かっこいいカフェが
写ってましたよね。
小山

そうなんですよね。
でも、これはアメリカ人が
撮影したもので、
「東京cafe」をいうタイトルを
つけているんですが、
見た感じ、違うような気がします。
撮影者がなんでこれを
カフェだと思ったのか
想像するとおもしろいですね。

ほぼ日

そうなんだ!
言われてみると、デパートかな?
あるいは劇場のロビーかな?
という気もしますね。
カフェって、
いつぐらいからあったんですか?

小山 ちなみに「カフェ」ではなくて
「カフェー」とのばすのが
当時の言い方でした。
明治の後期から東京に出現しています。
明治の中ごろに、上野のほうで
「可否茶館」(こーひーさかん)っていう
最初のカフェーができたんですけど、
すぐに潰れちゃって。
ほぼ日 それはなんで潰れちゃったんですか?
小山 日本の文化に馴染まなかったんでしょうね。
ほぼ日 コーヒーっていうのは、
そのとき初めて来たんでしょうか。
小山

それまでも、江戸時代、
長崎の出島を通して
入ってきてました。
例えば司馬江漢が
コーヒーミルを持っていたようです。
司馬江漢って、平賀源内とかと
つきあいがあった、江戸時代の。

ほぼ日 司馬江漢、モダンですねー。
コーヒー自体、江戸時代にあったんだ。
一部の人は知ってたんですね。
小山 ええ。だけど、
一般的にはなかなか飲まれなくて。
けれども、明治の後期に、
銀座8丁目に
「カフェー・プランタン」という
カフェができて、
流行の始まりとなるんです。
その写真は、残念ながら
今回の展示ではないんですけど。
ほぼ日 そういうカフェーって
どういう人が経営してたんですか?
小山 長続きするかどうかわからなかったなかで、
長続きさせたい! という人たちが
お金を出しあって、
それでなんとかこう、
持たせていったっていうお店なんですよ。
ほぼ日 パトロンみたいな感じなんですかね。
どんな人たちが?
文化人ですか?
小山 そうですね。永井荷風とか岸田劉生が。
ほぼ日 おお!
小山 「カフェー・プランタン」っていう名前も、
劇作家の小山内薫がつけたんですって。
ほぼ日 展示の中に、六本木の龍土軒で
文化人達の寄せ書きがありましたね。
あんな感じの仲間ですよね、きっとね。


小山 そうです、そうです。きっと。
小山内薫は、龍土軒での集まりで
柳田国男宛に葉書を書いたり
していますよ。
それも今回展示しています。

ほぼ日 あった、あった。ほんとだ、
11月16日土曜日午後5時から
龍土軒で会費1円20銭で
例会を開くと。
「小山内宛まで折返しご一報」。
小山 こういうふうな感じで、
カフェも生まれて、
こういう人たちが
維持してたんじゃないかな、って。
ほぼ日 なんだろう、
バタ臭いものが好きな人たち(笑)。
小山 (笑)彼らの庇護のもとに、
カフェーも生まれて、
維持してたんじゃないかな、って。
ほぼ日 なるほど。「カフェー・プランタン」は、
長続きしたんですか?
小山 「カフェープランタン」は
昭和20年の3月に
取り壊されるまで、ありましたね。
今のプランタン銀座とは
関係がないんですけれど、
けっこう長く続いたカフェですね。
ほぼ日 ヨーロッパに行くと、
こういうカフェってありますよね。
たぶんそれを輸入したんですよね。
小山 そうですよね。
「カフェー・プランタン」の
店長の松山さんも、
フランスに画家修業で行っていた人です。
向こうの文化人たちって、
カフェに集まりますよね。
ほぼ日 チューリッヒの
「キャバレー・ボルテール」で
芸術運動のダダが生まれたり、
サンジェルマンデプレの
「オ・ドゥ・マゴー」で
サルトルとボーヴォワール、
ピカソとキリコが討論してた、
みたいな話って、ありますね。
文化人が集まる場所って、
飲食店だったんですね。
小山 そうですね。
やっぱり、コーヒーだけじゃなくて
お酒もたしなめるってことが
大事だったのかもしれないですね。
ほぼ日 日本の文化人たちにも
アコガレだったんだろうなー。
そんな軽薄じゃなかったかも
しれないけれど、
今以上に、舶来の文化って
輝いていたと思うんですよ。
そして、芸術家も作家も、
線引きがなく、一緒になにかを
目指していたような気分。
小山 今だと、美術と文学って
ちょっと離れた世界に思えますよね。
でもこのころって、
たとえば、永井荷風と織田一磨とか、
作家と画家が一緒に、
たとえば「パンの会」なんかで
一緒にご飯を食べて、
今回展示はしてないんですけど、
「東京風景」っていう
ひとつの作品を作ったりとかしてるんです。
ほぼ日 ほぉー。
でも、そういう世界って、
一般の人ってあんまり‥‥。
小山 ええ、最初は、やっぱり、
なかなか入りにくくて
入れなかったと思うんですよ。
ほぼ日 こういう資料だけを見てると、
ほんとに一部の人だけのものかな?
なんていうふうに思っちゃうんですけど、
でもだんだんきっと‥‥。
小山 そうなんですよね。
その後一般のものになっていくわけですが、
そういうカフェーが増えるのは、
関東大震災のあとですね。
どーんと、増えますね。
ほぼ日 やっぱ震災で1回
めちゃくちゃになっちゃったのを、
リセットしたことが大きかったんですね。
小山 大きかったんだと思うんですよ。

イントロダクションの今回は、ここまで。
次回はいよいよ「不二家」「千疋屋」も登場。
カフェーの女給さんって、どんなだったの?
というお話です! お楽しみに!

2003-09-26-FRI
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