江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

テーマ7 〜戦中から戦後へ〜
代用品とジュラルミン。

その2.どんなときも、
    おしゃれ心はなくならない。


ほぼ日 ところで、
この絵はいったいなんですか?

*「民防空」
新田 漫画シリーズなんですよ、これ。
「民防空」という
北沢楽天の作品なんです。
ほぼ日 戦争中も、
漫画はオッケーだったんですか。
新田 漫画は
プロパガンダとしてのものならば、
認められていました。
ほぼ日 これは、一コマ漫画で、
兵隊さんが、
もんぺ姿の女性に、
ガスマスクを付ける練習を
させています。
それを見ながら怖がる子どもに、
お母さんが
「坊や、怖いことないよ。
 奥様、よくお似合いですこと。
 おほほほほほ」
と。
これって、プロパガンダなんですか??
新田 「統合の生活を楽しく過ごしましょう」
というプロパガンダですね。
防空演習みたいなものが、
のどかにというか、
なごやかに描かれています。
ほぼ日 ある意味、のどかですよね。
新田 代用品に象徴されるみたいに、
「戦争だ、みんなで頑張ろう」
という雰囲気があって、
代用品以外でも、
「まずは、戦争をやるために
 とにかくみんなで
 お金を貯めましょう」
という動きもありました。
貯蓄報国運動というんですけど、
戦時国債みたいなものを買ったり、
貯金をしたりして、
とにかく、国にお金を集める。
それによって、
戦費を調達しようとしたんです。
ほぼ日 ほお。
新田 貯金の奨励のポスターを
見てください。
意外と、かっこいいんです。

*貯蓄奨励ポスター
ほぼ日 不思議なんですけれど、
共産主義時代の、
ロシアや東ヨーロッパのデザインも、
こういう感じなんですよね。
新田 そうですね。
やはり、デザインの世界だと、
かなり、ロシアの影響は受けています。
ほぼ日 ロシアのアバンギャルド芸術って
面白いんです。
ロシアの人っていうのは、
共産圏だから、
芸術も共産主義的に行われるべきで、
やっぱり芸術には
意味がなくちゃいけないし、
プロパガンダとしての意味も
そこにはあって、
その中で表現したことって、
すごくかっこいいものとして、
ここ20年ぐらい、
再評価されていますよね。
そういうロシアの
アバンギャルド芸術のニュアンスが、
この貯金奨励ポスターにもありますね。
新田 アバンギャルドですね、うん。
この、ふかし具合というか、
エアブラシも
普及してないような時代だろうに。
ほぼ日 レタリングも、
すごくかっこいいですよね。
新田 おそらく、ロシアの
アバンギャルドみたいなものが、
村山知義などを通して、
日本の芸術界に入ってきて、
という流れでしょう。
ほぼ日 同じように戦争に巻き込まれて、
銘仙を仕立て直してもんぺにしたら、
けっこう派手になっちゃった
という話もありましたね。
新田 そうです。
ほぼ日 当時、派手なおばさんが
いっぱいいたようですね。
新田 カーキやオリーブグリーンの
国防色も流行しましたが、
新しいものには
お金がかかりますもんね。
ほぼ日 だって、女性の5割が、
銘仙のような
派手な着物を着ていた時代から、
あるもので仕立て直して
もんぺを作りましょうっていったら、
派手に決まってますよね。
新田 そう考えると、戦争って暗くて
カーキ色のイメージがあるとは
思うんですが、
意外と、派手だったんです。
戦後の話になりますが、
展覧会場では、
アメリカ従軍カメラマンの
フェーレイスが撮影した
カラースライドが上映しています。
終戦直後の東京の風景とともに、
銘仙の派手なもんぺ姿の女性たちを
リアルに見ることができますよ。
ほぼ日 おしゃれな代用品も
けっこうあったんですよね。
この内側に花柄のあて布を使った
ヘルメットも、
関東大震災以降の、
派手な文化のなごりですよね。

*花柄緩衝材入りヘルメット
新田 ええ。
ほぼ日 防空頭巾も、
花柄で、派手ですよね。
これだと、目立っちゃいそうですが。

*花柄の防空頭巾
新田 代用品のイメージというのは、
物資が不足していたことを
表わすように伝えられることが
多かったので、
そのように捉えられがちですけど、
すでに、戦争が始まる前の、
物資が豊富になりつつあった時代を
経験した人たちが、
なにかと制限の多い世の中になっても、
おしゃれをしたいという気持ちは、
なくならなかったんですね。
ほぼ日 そこらへんの印象が、
この展覧会を見ると変わりますよね。
新田 その確信を強めたのが、
やっぱりこの、灯火管制用の、
紙製のランプシェードの柄なんです。

*紙のランプシェード
ほぼ日

派手ですね。
こんな柄にする必要ないのに。

新田 これは、もうまさに、
企画商品といっても
いいようなものです。
なぜかというと、
灯火管制っていうのは、
夜になると外から飛行機が、
空襲でやってきたとき、
電気が窓から漏れていると、
狙われてしまうというので、
窓の外に明りを漏らさないために
作られたものなので、
スポットライトみたいなかたちで、
真ん中しか照らさない。
そうするためには、
専用のマスキングをした
電球というのをつけて‥‥
ほぼ日 電球からして違ったんですね。
新田 ええ。
で、さらには、
ランプシェードの光が、
拡散しないように、
布でもなんでも被せて、
真下しか照らさないようにしなさい
っていうような指導が、
国からあったんですね。
それだったら、
それまで普通に使っていた
ランプシェードに、
黒い布を被せればいいだけの
話なんですけれど。
ほぼ日 ですよね(笑)。
新田 なのに、紙という、
流行りの代用素材を使って、
ボール紙の遮光性を売りにして、
花の柄をつけるという。
これは、やっぱり
消費を喚起するもの以外、
何ものでもないんじゃないのかな、
と思います。
だから、素材に関しては
制限があったけれど、
その制限の中で、
このほうが気持ちがいいかな?
というような、
気分を求めていた日常が、
戦時中にもあったのではないでしょうか。
ほぼ日 なるほど。
毎日を少しでも明るい気持ちで過ごしたい、
というようなことは、
いまと変わらず、
当時の人たちも思っていたんですね。

*次回は、戦後のジュラルミンブームのお話です。
 お楽しみに!

2003-10-27-MON

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